第4話

あれは小学校何年だったか。

恐らく低学年だったのだろうと思う。

でなければ、周りに盛大にバレるようなヘマはしなかった。

なにしろあの時は、隠すべき事と隠さなくて良い事の区別が曖昧だったのだ。


バケツ一杯に溜めた水に、捕まえられるだけの多数の虫を浮かべて蠢く羽根を枝で突いては溺死していく様を眺めて居るのが好きだった。

羽虫はバッタになり、バッタはカマキリになった。

夏休みの自由研究で、いったいどの虫が一番早くに溺れて死ぬのか、ストップウォッチを使って時間を計ったレポートを提出したらそれが問題になった。

私の宿題は提出されていないものとなり、親が学校に呼び出された。

そんな昔の思い出を詳しくは覚えておらず、続く関連した記憶は、当時近くに住んでいた中学一年の年上の従兄との会話になる。


『そういうのはバレないようにやんなきゃダメだろ』


『だって、こんなことになると思わなくて』


『まあなあ。今度から、隠れてやんな』


『やっていいの?』


『大抵の事は、バレなきゃどうでも良いんだよ』


唇の端を歪めて笑った彼とは、今までよりよく付き合うようになった。

その二年後に引っ越しで離れた所に行ってしまったけれど、黙っていた方が良いものと、公にしても良い趣味の区別はこの時についたように思う。

ダメな人生の先輩だった。

彼は真っ当に生きているのだろうか。

それともあの時私に言った言葉なんて、とうの昔に忘れているのだろうか。


死なせた虫達は、自宅の庭の植木の近くに穴を掘って埋めていた。

季節になると綺麗に花開く庭を眺めては喜ぶ母は、きっとその事に気付いていなかったろう。

私は自分の秘密を守る為、人の表情を読むのに敏感になっていた。


虫はやがて鳥になり、鳥は猫に。猫は犬に。犬は。


一人暮らしをするなら小学校の近くと決めていた。

自分の出勤時間と小学生の登校時間は被っていて、目当ての人間を探すのは思ったより難しくは無かった。

女よりは男が良い。

生意気より従順そうな子が良い。

グループでやかましい奴らより、独りで俯いているような子。

家庭環境に問題が有りそうで、家に居なくても親が騒がない子。

愛を与えたら、簡単に懐いてくるような子が良い。


夕方五時に仕事が終わる。

毎朝に目を付けていた子供が、仕事場から自宅への帰り道にある公園のベンチに座って居るのを見つけた時、背筋がぞくぞくとした。

ここで焦ってはいけない。

ゆっくりと距離を縮めていかなければ。


遊ぶ友達は居ないのか?

帰りたい家は無いのか?


時間を掛けて彼が孤独だという事を確認した。

傷付けてはいけない。甘やかさなければ。

この少年を確実に自分のものにしなければ。


名前を呼んで、と言われた時、必要とされていると思った。

警戒する事無くアパートにやって来るようになった時、もうすぐだと思った。

あざを見つけた時、思った通りだと唇が綻んで、どう繕うべきか解らなくなった。

「これはなんだ」と問うたら、泣いて縋ってくるだろうかと考えた。

ついに「助けて」と言われた時には、もう旭は私から逃げては行かないだろうと思った。

未完成な生白い細い手足の、馬鹿で可哀相な子供。


旭。旭。

君はきっと頼る相手を間違えた。


風呂から出て来た少年は、布団に入るとすぐに寝てしまった。

熱のこもる荒れの無いつるりとした頬を撫でながら、無防備な寝顔の額に唇を寄せた。


首に付いた絞められた跡。

私の知らない所で死ななくて良かった。

私の知らない所で。

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