独演劇

【隕石が衝突か 女性死亡】

八月■日の早朝、D県D市の山中で、マキタミヤコさん(二■)を探しに来た友人が、マキタさんが倒れているのを発見した。マキタさんは頭部を強く打っており、搬送先の病院で死亡が確認された。マキタさんのすぐそばには血痕がついた石が落ちており、専門家によると隕石の可能性が高いという。前日夜、隕石らしき物体が山中に落下するのを複数人が目撃している。D県警は事件の可能性も視野に入れつつ、隕石落下による事故と見て調べを進めている。



「証明してみせるんだから」


 わたしはスコップを突き立てた。足で体重をかけ、地面に深く食い込ませる。後はテコの原理をうまく利用しながら、土を掘り返せばいい。昨日の大雨には感謝しなければならないだろう。よく湿った土は、デスクワーカーの細腕でも楽に掘り起こすことができた。


 よく晴れた夏の一日だった。ただそこに立っているだけでも汗が次々に噴出してくる。土仕事などしていてはなおのことだ。首に巻いたタオルはぐっしょりと湿り、帽子の中は蒸れ、長袖のシャツとジーンズが体に張り付いて気持ち悪かった。水筒の水はあとどのくらい残っているだろう。作業が長引くようなら、一度家に帰って補充しなければならないかもしれない。ついでにシャワーを浴びて服も着替えたいところだ。そんなことを考えながら土を掘り続ける。燦々と照り付ける太陽、台風一過の青空、懐かしいセミの鳴き声。その全てに背を向けて淡々と掘り続ける。


 土仕事なんていったいいつぶりのことだろう。東京でアパート暮らしをはじめてから一度でも土を触ったことがあっただろうか。殺風景な部屋を思い出して、少し憂鬱になる。東京に帰ったら、何か植物を育てよう。サボテン、ガジュマル。なんでもいい。ハーブを育ててお茶を楽しむのもいいだろう。想像上の部屋を緑で彩るのに夢中になっていると、背後から声がかかった。


「やっぱり手伝おうか?」


 わたしは振り返った。太陽の眩しさに思わず目を細める。手で光を遮るようにすると、逆光の中にカブラギ君の姿が浮かび上がった。その後ろには、十年前、映画研究会で一緒だった仲間たちが集まっている。夏の日差しの下で、ある者は顔をしかめながら、ある者は汗を拭いながらわたしの背中を見守っていた。


「いいの。これ以上あなたたちに甘えるつもりはないわ。わたしが言い出したことだもの」わたしは作業を再開しながら言った。「みんなも律儀に見てくれなくていいのよ。ジュースでも買ってきたら」


「いまにも脱水症状で倒れそうな人に言われたくないよ」


「なら、スポーツドリンクでも買ってきてくれる?」わたしは微笑んだ。「手伝いと言うならそれで充分よ」


「でも――」


「言ったでしょ。思い出した人だけが手伝ってくれればいいって」


 カブラギくんはしばらく押し黙っていた。汗が目に入ったのか頻繁に瞬きし、タオルを顔に押し当て考え込むようにしてからようやく口を開いた。


「わかった」


 彼は踵を返した。Tシャツの背中に、汗の跡がくっきりと浮かび上がっていた。




 最初にマキタミヤコの幽霊と出くわしたのは、洗面台で顔を洗っているときのことだった。鏡の中に彼女の姿が見えたのだ。それは一瞬のことで、彼女の影はすぐに消えてしまった。しかし、わたしは不思議とそれがマキタさんであると確信していた。


「どうしたの。真っ青」


 婚約者に言われて、わたしは鏡の前に舞い戻った。


 マキタさんはそれからもわたしの前に現れ続けた。その度にわたしは真っ青になり、周囲の不審を買った。婚約者には心配され、上司には「マリッジブルーってやつか」なんてつまらない冗談を言われる始末。このままではいけないと思い立ち、彼女が付きまとう理由を考えはじめた。


 マキタさんとは高校の映画研究部で一緒だった。といっても、役者として活躍した彼女に対してわたしはあくまで裏方のまま三年間を終えた。卒業後はたしか東京の劇団に属したと聞いていた。テレビや映画に出るような女優を目指していたようだが、現実はなかなか厳しかったようだ。かつての仲間たちとともにその活躍を楽しみにしていたが、彼女の名前がラテ欄に載ることはなく、最初で最後のテレビ出演――といっても顔写真だけだが――が事故の報道となった。


 隕石落下による死亡事故。


 警察はそう結論したと聞いている。時期的にはお盆休みと重なっていた。きっと里帰りしたときに運悪く隕石の落下地点に立ってしまったのだろう。当時はその程度にしか考えていなかった。


 しかし、いま考えると不審な点がある。どうして彼女は山の中にいたのだろう。隕石が落下したのは標高二〇〇メートルほどの小さな山のふもとだと聞いている。花畑があるわけでもなければ、神社などのパワースポット、史跡の類もない退屈な山。山菜やキノコが取れるらしいが、それらを採取していた形跡もないという。何のために山に入ったのかわからなかった。


 タイムカプセルのことを思い出したのは、その数週間後のことだった。


 あれは卒業式の直前のことだった。映画研究部のみんなでタイムカプセルを埋めることになったのだ。わたしは何を入れただろう。そんなことも覚えていない。しかし、その場所がたしかあの山のふもとだった。何か目印があったはずだが、思い出せない。そこでようやくかつての仲間に連絡を取ることにした。


 まさか誰一人タイムカプセルのことを覚えていないとは思いもせず。




 ケイコは南中からいくらか遅れてやって来た。喪服だった。走ってきたのか息が荒い。親戚の初盆があると聞いていた。「同窓会」には遅れることになる。お墓参りが終わったらすぐ行くからと。


「ごめんなさい」


「着替えてくればよかったのに」


「いてもたってもいられなくて」口元を拭いながら言う。「みんなは?」


 ケイコにペットボトルを渡すと、半分ほど残っていた中身を全部飲み干してしまった。


 わたしは苦笑しながら、


「アキタくんの家でバーベキューをするみたい。何か出たら呼んでだって」


「ひどい」


「しょうがないわ」わたしは言った。「誰も覚えてないんだもの」


 ケイコは爪を噛んで押し黙った。それから、ようやく空のペットボトルに気づき、もう一度わたしに詫びた。


「何か出てきた?」


「まだ何も」


 ケイコは穴を覗き込んだ。


「きっと見つかるよね」


「そうじゃなかったら、わざわざ苦労してみんなを集めたと思う?」


「そっか……よかった」それから慌ててつけたすように、「わたしずっと不安だったの」


「不安?」


「そう、せっかく思い出しはじめた記憶に自信が持てなくて。もしかしたら嘘なんじゃないかって」


「誰がそんなことを吹き込んだの?」


「別に誰ってわけじゃ……」


「誰?」


「本当に誰でもないの。ただ……ね、わかるでしょ、あの人たちは何も覚えてない。だからわたしがタイムカプセルの話をすると訝しむようにするの」ケイコはこちらを窺うようにして言った。「しょうがないことなんだよね」


「ええ、そうね」


「手伝おうか」


「土仕事が向いてる服装とは思えないけど」


 ケイコは自分の格好を見下ろした。ワンピース型の礼服とパンプスを。


「ごめんなさい」ケイコは詫びた。「でも着替える隙がなくて」


「いいの」わたしは微笑んだ。「記憶を共有できる人がいるってだけで励みになるから」




「タイムカプセル?」


 連絡を取った仲間たちはみな怪訝そうに訊き返した。誰一人覚えていなかったのだ。かく言うわたし自身も忘れていたのだからしょうがないのかもしれない。映画研究会として活動した日々はたしかに青春の一ページだった。しかし、どれだけ輝かしい記憶でも毎日読み返すわけにはいかない。現状とのギャップから読み返すのがつらくなることもあるだろう。そうして記憶は埋もれていく。


 そんな中、連絡を入れてきた人がいた。ケイコだ。タイムカプセルのことを思い出したという。尤も、わたしと同じで場所までは覚えていなかった。彼女の記憶も完全ではない。実際、彼女は大きな勘違いをしていた。


「ミヤコはいい役者だったよね」ケイコは言った。「正直、ちょっとうらやましかったな。わたしはずっと裏方だもん。本当は心のどこかで期待してた。いつか、声がかかってわたしも表舞台に立たせてもらうことに」


 ケイコはこんな田舎に置いておくにはもったいないほどの美人だ。実際、そういうことが起こってもおかしくなかった。いや、


「そうね。わたしも似たようなもの」


 わたしは本当に言いたい言葉を飲み込んだ。ケイコ、いえ、ケイコ先輩。あなたはずっと役者だったじゃない、と。


 電話がかかってきたとき、わたしはケイコ先輩の様子がおかしいことに気づいた。彼女はわたしが同級生だと思い込んでいた。ケイコ先輩はわたしより一年上の先輩だ。わたしたちが入部する前から役者としてカメラの前に立っていた。フィルムの中のケイコ先輩は、撮影と編集の拙さを補って余りあるほどに輝いていた。わたしたちはみな憧れたものだ。それがいまや、その記憶をすっかり忘れている。


 わからない話ではない。ケイコ先輩は高校生活最後の撮影がはじまる少し前、とあるアクシデントから主演の座を降板せざるを得なくなったのだ。役者の経歴をなかったことにしたくなってもおかしくない。


 なにより、代わって主演の座を射止めたマキノさんの存在が大きい。彼女は天才的な役者だった。ケイコ先輩がただ顔がいいだけのお人形に見えてくるほどに、彼女の演技は際立っていた。ケイコ先輩がフィルムを見たかどうかはわからないけど、その評判くらいは伝え聞いていたはずだ。けっきょくはマキノさんも夢を果たせずその生涯を終えたけど、この田舎では間違いなくスターだった。その輝きが眩しいばかりに、ケイコ先輩は自身の過去が見えなくなっているのかもしれない。




「ケイコ」


 太陽が傾きはじめた頃、彼女の夫がやって来た。ケイコ先輩と同期だったタニマチ先輩。映研ではカメラマンを務めていた。

 

「誰?」ケイコ先輩が怯えるような視線を向ける。


「ここにいたんだな」タニマチ先輩は言った。「何考えてるんだ。法事を抜け出すなんて」


 タニマチ先輩はケイコの腕を掴んだ。


「いや。離して」


「ほら、帰るぞ。マサトがぐずってる」


「誰よ。それ。そんなの知らないわ」


「おい、いい加減にしろよ」タニマチ先輩は声を荒げた。「俺たちの息子じゃないか」


「知らない!」ケイコ先輩が負けじと叫ぶ。「わたしに子供なんて……」


 タニマチ先輩は腕をつかむ力を緩めた。すかさず、ケイコ先輩は腕を振りほどき、わたしの背後に隠れた。


「まだ根に持ってたんだな」タニマチ先輩は静かに言った。「高校時代のことは悪いと思ってる。何度も謝っただろう」


「そんなこと知らない!」


「僕のせいで君は主演の座を……それどころか高校を辞めなきゃならなくなった」


「聞きたくない!」


「すまない」タニマチ先輩は頭を下げた。「本当にすまない。だから帰って来てくれ」


「ねえ」ケイコ先輩はわたしに向かって言った。「嘘よね。この人が言ってることなんて全部嘘。わたしに子供なんていないわよね」


 わたしは何も言えなかった。その表情から何か察するものがあったのかもしれない。ケイコ先輩はその場に崩れ落ちた。タニマチ先輩が駆け寄り、体を起こす。


「君も君だぞ」タニマチ先輩はわたしに言った。「みんなを巻き込んで何考えてるんだ。タイムカプセルを埋めたなんて話聞いたことないぞ」


「それはみんなが覚えてないだけ」


「じゃあ、どうしてタイムカプセルが出てこない」タニマチ先輩はわたしが掘った穴を示した。「そんなものは最初からなかったんだ。わかってるんだろ、マキノ」


「ちょっと待って。わたしはマキノじゃない」


「何を言い出すかと思えば」呆れたように言った。「君もたいがいだな。君はマキノミヤコ。元映画研究部の部員で、二年の夏から役者を務めていた。東京でも劇団に属してるんだろう?」


「知らないわ! わたしはソノダミドリだもの」


「おいおい、それはあの夏に撮った映画の役名だろ。悪ふざけもいい加減に……」


「知らない!」


 タニマチ先輩は諦めたように言った。


「わかったよ、ソノダさん」それから、ケイコ先輩に向かって、「ほら、帰ろう」


 ケイコ先輩はもはや抵抗しなかった。夫の肩を借りる格好で少しずつ、遠ざかっていく。その後姿を見送りながらつぶやいた。


「わたしはソノダミドリよ……」




「証明してみせるんだから」


 わたしはスコップを突き立てた。足で体重をかけ、地面に深く食い込ませる。


 よく晴れた夏の一日だった。空気が澄んでおり、天の川がくっきりと光って見える。懐中電灯を消しても、星の明かりで視界が確保できそうな気さえした。


 わたしはソノダミドリだ。東京で婚約者と同居している普通のOLにすぎない。劇団なんかに属してないし、役者をやったこともない。それはあの星々の光と同じくらいたしかなことだ。


 そのはずなのになぜだろう。東京での生活がうまく思い出せない。婚約者の顔が、水を落とした水彩画のようにぼやけて見える。代わって浮かんでくるのは、目の前に降りる緞帳、演出家の厳しい声、閑散とした客席だ。


 脳裏にマキタさんの顔が浮かぶ。それは、きっと映研のフィルムで見た彼女だ。夏空の下、恋人と草原を駆け巡る彼女。恋人に見送られながら東京行の電車に乗る彼女。あどけなさの残るその顔が徐々にわたしの顔と重なってくる。


 ソノダミドリ。たしかにそんな役名だったかもしれない。そんな気がしてくる。


 わたしはスコップを放り投げた。見上げれば、満天の星空。劇場で浴びた照明が脳裏をよぎり、わたしは知らず星空に向かって手を広げていた。中でもひときわ輝く星があった。燃えるように赤く、心なしか少しずつ大きくなっていくように見える。ひゅるひゅると音を立て、徐々にこちらに近づいてくるように見え――


 そして幕は閉ざされた。

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