第5話 そして……

 都心から遠く離れた片田舎。


 春先になれば、地元民が山菜取りに通いつめる山の麓に、古ぼけた赤い鳥居と小さなお社がある。


 そこに祀られているのはお狐様。


 普通は二つあるはずの狐の像は、なぜか一つ欠けている。


 そのお社を守るお狐様は、少し前まではとても寂しそうに見えた。


 でも、今は。



 古びた体の首元に、鮮やかな赤のマフラーを巻いたお狐様はなんだか幸せそうで。


 その口元もにっこり微笑んで見えるといつしか評判になり、古かったお社や、草だらけだった境内も、村の住人が代わる代わるお手入れをしてくれるようになった。


 そうやって小綺麗に保たれている境内には、お年寄りから子供まで、たくさんの人が遊びに来るようになり。


 お狐様はますます、嬉しそうな顔をするのだった。



 それは十年の時を過ぎても変わらず。



 そんなある日。


 一人の女性が、その赤い鳥居をくぐってお狐様の前に立った。




 「ママ~、これ、なぁに?」




 その女性は、小さな女の子を連れていた。まだ幼い彼女の娘は、古いお狐様の像を見上げて不思議そうに首を傾げた。




 「お狐様よ。とっても、優しい」




 言いながら、彼女の指先はすっかりボロボロになった赤いマフラーをそっと撫でる。


 懐かしそうに、愛おしそうに。




 「……コン様。マフラー、ずうっと大切にしてくれてたのね」




 嬉しそうに微笑み、彼女は持ってきた荷物の中から、真新しい手編みのマフラーを取り出す。色は当然、鮮やかな赤。


 彼女は古いマフラーをそっと外し、新しいマフラーを狐の首に優しく巻きつけた。


 すると。




 (……ぬ?なんじゃ??真帆の、匂いがするのぅ)




 狐の器の内側で、誰かが大きなあくびをした。そして、懐かしい匂いに惹かれるように、その誰かはするりと器を抜け出した。


 金色の毛皮の大きな耳に、大きな尻尾。そんな余分なものを着けた、巫女装束の可愛らしい幼女は、びっくりしたように、狐の像の前に立つ女性を見上げる。


 そして、なんだか泣きそうな顔でふにゃりと笑った。




 「ママ~。その子、だぁれ?」




 不意に、小さな女の子の声が、境内に響き渡る。


 娘の言葉に、すっかり大人の女性になった真帆は驚いたように目を見開いた。




 「あなたにも、見えるのね?ねぇ。ママに教えて。その子、今、どこに居るの?」



 「ん~と、ママの左の方」




 娘の言葉に従い、真帆は左を向いてしゃがみこむ。


 そして、自分の正面を探るように見つめながら、もう一度娘に問いかけた。




 「どう?今、私の正面に居る?」



 「うん。嬉しそうな顔で、ママの事見てる~」



 「そう、ありがとう」




 娘の言葉に頷いて、真帆は改めて己の正面をじぃっと見つめた。


 幼い頃、確かに見えたはずの存在は、今の自分の眼には映らない。


 けど、かの人は確かにそこに居るのだろう。昔、共に過ごした時の姿、そのままで。


 真帆は何も見えないその空間を見つめ、それから柔らかく微笑んだ。


 そして言葉を紡ぐ。




 「……コン様。私、いま、とっても幸せよ」




 と。


 そう告げた瞬間、見えないはずなのになぜか、目の前でそれはそれは幸せそうな笑みを浮かべる狐耳の幼女の姿が、確かに見えた気がした。

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優しくて甘い 高嶺 蒼 @maru-maru

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