第4話 別れがどんなに辛くとも

 クリスマス。


 真帆と過ごすクリスマスは、今年で何度目になるだろう。今年が、共に過ごす最後のクリスマスになるかもしれない。


 そんな事を思いながら、お狐様は空を見上げる。今にも泣き出しそうな空。


 今年のクリスマスは雪が降るのかもしれない。


 いつの事だったか、クリスマスに雪が降ることをホワイトクリスマスと言うのだと、真帆に教わった事を思い出す。


 雪が降ったら、真帆は喜ぶだろうか。そんな事を思い、お狐様は自嘲の笑みを浮かべる。




 (真帆を突き放そうとしているというのに、真帆の喜ぶ顔が見たいとは。我ながら難儀な性格をしておるのう)




 社の前で一人膝を抱え、小さくため息。


 ちらりと鳥居の向こうを見るが、真帆の姿はまだ無い。


 けんかしたあの日から、真帆はぴたりとこの場所へ来なくなっていた。




 (今日は、来るかのう)




 赤い袴に包まれた足をぷらぷらさせながら、お狐様は右手の拳をそっと開いてその中を覗き込む。


 そこにあるのは、角が取れてつるっと丸い、薄桃色の平らなガラス石だ。


 近くの川原を何時間も歩き回って見つけた真帆へのクリスマスぷれぜんと。


 その表面の滑らかさを確かめるように指で撫でながら、お狐様は思う。


 わしに出来るのは、せいぜいこのくらいの事までじゃ、と。




 「わしは、お主と一緒に成長してやることも、お主の為に家や金を用立ててやる事も出来ん。わしがお主にやれるのは、こぉんな子供だましの贈り物くらいしかありはせん」




 誰に聞かせるわけでもなく、ぽつりぽつりと呟いて、再び自嘲の笑みをその口元に浮かべた。




 「真帆、今の意固地なお主は言うじゃろうのぅ。そんなのいらない、との。じゃがのう、真帆。お主には、共に成長してくれる友人が必要じゃし、お主の住む場所を用意し、お主の生活を支え、お主に惜しみない愛情を注いでくれる両親が必要じゃ。どんなに頑張ろうとも、わしにはそれをお主に与えてやることは出来ん」




 ふぅ、と白い吐息を宙に吐き、今日はもう来ないかもしれんと思いながら、鳥居の向こうをじっと見る。


 そして、




 「お主はわしだけでいいという。じゃが、近い将来、それじゃあダメじゃと気付くはず。真帆は、賢い子じゃからのう。それに……」




 二人が共にいられる時間は、もう、そんなに長くない。


 そう思い、暗くなり始めた空を見上げると、ちらりちらりと舞い降りて来る白い雪の姿。




 「……ほわいとくりすます、じゃのう。真帆が、喜ぶ」




 小さく呟いて、その口元をほころばせた瞬間、鳥居の向こうから草を踏みしめかけて来る足音が聞こえた。


 赤い鳥居をくぐり、息をきらせて駆けて来る愛おしい姿。


 お狐様はぱっと顔を輝かせて、駆け込んできた真帆の顔をキラキラした瞳で見上げた。


 が、真帆の視線はそんなお狐様を素通りし、きょろきょろと、何かを探すようにせわしなく動き回る。




 「コン様?どこ?真帆だよ。出てきて。待たせてごめんなさい。怒ってるの?」




 そんな言葉と共に、必死な面持ちでお狐様を探す真帆の姿に、すぅっと心が冷たくなるのを感じた。


 真帆を見上げ、心の中でそっと語りかける。




 (怒っておらぬ。怒ってなどおらぬよ。可愛いお主を、どうして怒る事などできようか。わしはおるじゃろう?ほれ……)




 お主の、目の前に。


 ほんの一瞬、真帆の黒い瞳とお狐様の黄金の瞳が真っ直ぐに向かい合い、すぐにまた通り過ぎていく。


 お狐様は、それをただ見送る事しかできなかった。 



 感受性豊かな子供が、幽霊などをその無垢な瞳に映すことは、良くあること。


 そして、そんな子供が成長し、かつては見えていた世界を見ることが出来なくなる、それもまた、良くある出来事だった。



 とうとう、その時が来たのだ、とお狐様はぼんやりと思う。


 そして、懸命に己を探す真帆を見上げ、その口元に優しくも切ない笑みを浮かべた。


 ホワイトクリスマスを彩る雪は、段々とその粒を大きくし、寒さは刻一刻と増していく。


 そんな中、これ以上、真帆をこの場に止めておいたら、また風邪をひいてしまう。そうなる前に……。




 (わしが、引導を渡してやらんと、の)




 そう心を決めて、きゅっと唇を噛み締めた。




 「コン様……コン様、どこ?隠れてないで、早く出てきて?」




 今にも泣き出してしまいそうな真帆の声。


 お狐様は心を決めるように、ぎゅうっと拳を握る。




 「コン様。この間はごめんなさい。でも、分かって。真帆はコン様が大好き。コン様だけがいてくれればそれでいいの。ねえ、コン様。お願いだから、ずぅっと、ずぅっと傍にいて?真帆の、一番近くに。それだけで、真帆はもう、他に何もいらないから……」




 懸命に紡がれる真帆の心からの言葉。


 その全てを心に刻み込むように、お狐様はほんの一瞬、瞳を閉じた。それから、心を決めたように目を開き、そして。




 「うるさいのぅ。ぴーちくぱーちくさえずりおってからに。お主の面倒を見るのはもううんざりじゃ」




 お狐様は、冷たく優しい毒を吐く。




 「コ、コン様?うるさかった?ごめんなさい。でも……」




 今まで聞いたことのない冷たい声に、真帆はうろたえた様に目を泳がせた。


 だがすぐに、再びお狐様の姿を探して目をさ迷わせる。


 冷たくされてもなお、己を求める真帆の姿がいじらしくも愛おしい。


 でも。


 お狐様は、つめが掌に食い込むほどに、拳をきつく握り締めた。




 「うんざりじゃと言うたのが、聞こえんかったか、人の子よ?お遊びはもうしまいじゃ」



 「お、怒ってるの?コン様?ごめんなさい。謝る。謝るから、だから、ねえ、お願い。いつものように真帆って、ちゃんと名前を呼んで?」




 心無い言葉を重ねても、真帆の足は動かない。


 早く行って欲しい、と思う。


 だが、それと同時に、まだ、もう少しだけ、と思う気持ちもある。



 もう少し、あと、少し。


 真帆の声を、真帆が己を呼ぶ声を聞いていたいと思ってしまう。


 出来る事ならば、全ての言葉を嘘じゃと取り消して、真帆の言うようにずっと一緒に居たいとも。




 (……わしは、弱いのぅ)




 困った笑みを、口元に浮かべる。


 真帆を、見上げた。その顔を、姿を、全て脳裏に焼き付けるように、瞬きもせず。


 これが別れと、分かっていたから。ずっと共に居る事など、夢物語に過ぎないと。




 「お主の名前など知った事か。わざわざ口にするのも汚らわしい!」




 尖りきった言葉で真帆の心を突き刺しながら、心の中で真帆の名前を呼ぶ。


 何度も、何度でも。愛しくて特別な、その名前を。




 「コン様……」




 ショックを受けたような真帆の声。


 胸を押さえ、後ずさるその姿に、ただ胸が痛んだ。




 「……真帆の事、嫌いになっちゃった?」




 すがるような問いに首を振る。嫌いなはず無かろう、お主を嫌うことなど出来はしない、と。


 だが、言葉にするのは正反対の感情。




 「……ああ。嫌いじゃのう。お主の顔を見ていると、虫唾がはしる。ずっと前から、お主なんぞ好きでもなんでもなかった。お主を構ってやったのはただの気まぐれ。ただの退屈しのぎよ!」




 それを聞いた真帆の顔が、悲しみに歪む。


 そんな彼女に向かって、お狐様は追い討ちをかけるように叫んだ。




 「これでわかったじゃろう?わしはお主が嫌いじゃ。大っ嫌いじゃ。顔も見とうないから、もう二度とここへ来るな。分かったか?分かったのならさっさと消えろ!いね!いってしまえ!!」




 嫌いと言葉にする裏で、心は真帆が好きだと叫ぶ。


 大嫌いと言いながら、大好きだと。


 好きで、大好きで、大切で、愛おしい。


 だからこそ、この小さな箱庭から、お主を解き放とう。


 愛して、いるから。



 お狐様の言葉に押されるように、真帆が後ずさる。


 そして、ようやくお狐様に背を向けた。


 震えるその背中を優しく見上げ、お狐様は手の中の贈り物を、そっと真帆の服のポケットに滑り込ませる。


 真帆の幸せを願い、それを叶えるためのお守りとして。



 しばらく、真帆はその場に佇んでいた。


 全部、嘘だと、そう言って引き止める言葉を待つように。


 だが、どれだけ待ってもダメなのだと悟ると、真帆はやっと足を動かした。


 少しずつ、少しずつ、遠ざかっていく真帆の背中を、お狐様は黙って見送る。



 お狐様がそうやって見守る中、鳥居の少し手前で真帆の足が止まった。


 そこは、お狐様の冷たい石の器の前。


 真帆は、今にも泣き出しそうな瞳で古ぼけた小さな狐の像を見つめ、それから持っていた袋を像の足元へそっと置いた。


 そして再び歩き出す。



 真帆の姿がすっかり見えなくなった後、お狐様はとぼとぼと己の器へと向かった。


 これからの真帆の居ない日々、もう二度とこの姿になる事も無いだろう。


 これから先はまた、石の器の中でただ一人、これまでと同じようにひっそりとまどろんで過ごすのだ。


 いつか己が、消えてなくなるその日まで。



 さて、器に戻ろう。


 そう思ったお狐様は、ふと、真帆が置いていった袋に目を止めた。


 手を伸ばし、袋を引き寄せて中を覗き込んだお狐様の金色の目がまぁるく見開かれる。


 そして、嬉しそうに幸せそうに微笑んだ。



 そこにあったのは、編み目がばらばらの、少々不恰好な赤いマフラー。


 自分の袴と同じ色のそれを両手で持ってぎゅうっと顔に押し付ける。


 そのマフラーからは、大好きな真帆のにおいがした。



 笑みを深め、お狐様はマフラーを手に己の器を見上げる。


 そして古ぼけた狐の首元に、そっとその赤いマフラーを巻きつけた。


 お狐様はそれを満足そうに見つめて一つ頷き、それから己の器の中へと帰って行った。

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