第3話 的場武探偵事務所

 的場武。34歳。明応大学卒業。

川崎駅近くの繁華街を一つ入った露地の通りに4階建てのビルを構え、その2階で的場探偵事務所の看板を掲げて探偵事務所の所長をやっている。 

 4階建てのビルは不動産業を営む親からの生前贈与のたまものだ。私立の名門明応大学現役合格、卒業、大手企業の八頭興産入社、26歳で結婚、その後タイ支店に副支店長で出向。ここまでは準風満帆であったが武29歳の時、妻の美智子が滞在中のタイの8階建てマンションから飛び降り自殺した。解剖の結果、美智子はその時妊娠中であったことが地元警察より告げられた。武はこの時点、複数の販売店の出店に向けて睡眠時間4~5時間で数週間にも及ぶ現場に泊まり込みというハードな激務の真っただ中だった。

 武にとっては始めて任された大きなプロジェクトで大きなやりがいに身をゆだね、ハードな激務に反して一種の恍惚感さえ味わっていたのである。

 美智子が異国の地で言葉も通じず、食文化も異なり、友達も話相手もなく、ただただ夫の帰りをひたすら待っていたなんて、自己コントロールが不能となるような大いなる重度のうつ病の真っただ中にいたなんて、気づくことも思いやることも一切なかったのである。ましてや妊娠していたなんて・・・

 妻の自殺をもって始めて知らされたのである。武の心にぽっかり空いた漆黒の闇の空洞。消えることはなかった。埋まることもなかった。

「何故もっと早く、妻の精神疾患に気づいてあげられなかったのか?」

「何故もっと早く、うつ病の治療を受けさせてあげられなかったのか?」

武の(たられば)の後悔は留まることがなかった。

 そして懺悔と落ちこみは筆舌を絶した。

武は八頭興産を退社し、親の持つビルの一室に閉じこもったのである。日中でも光をさいぎって暗い、暗い、目先にかざした手指の動きさえも見えない程の漆黒の闇をつくりあげ武はそこにうずくまったのであった。

「自分などこの世にいらない!」

日々暗闇の中からは死神が手招いていた。武の心も壊れてしまっていたのである。

 親は武を不憫に思い武の閉じこもったビルを生活の糧にと生前贈与したのであった。そしてやせ細り骸骨のようになった武をひそかに、ひそかに見守りつづけるのでした。


 泥沼の底を這いずりまわり浮上しょうともがき苦しむ武を・・・2年に迫る歳月から救い出したのはルイだった。


 「先生どうしちゃつたの・・・会社辞めていたなんて全然知らなった。捜したのよ私!私とうとう大学生よ信じられる花の女子大生よ。本当は先生、花束の一つくらいくれたっていいじゃない!」(笑)

 「・・・なに先生、凄い痩せちゃたんじゃない。もしかしてそれダイエット、男のダイエットなんてお笑いバンバンよ先生!」(笑)(笑) 

 以前と変わらぬ、少しばかり大人に近づいた屈託のないルイの笑顔だった。


 それからルイは武の病状を知ってか知らないのか、時折武の部屋を訪れるようになり、締め切って、湿気と悪臭と腐留した空気漂う部屋から腐臭を掃き出すかのように、カーテンや窓を全開し、バタ、バタとハタキをかけまわり、うずくまる武の尻を蹴っ飛ばし「ほれ、ほれ、先生じゃま、じゃま、どっかへ行っていて!」とゴー、ゴーわめき散らす掃除機のノズルを手に武を追い出すのだった。

 さすがの武もこれには参り、汚いジャージをひっかけ、タバコ片手に朽ち果てたサンダルに足を通し、少しの時間まぶゆい光をあびて路地裏を歩き回るのだった。歩き疲れて恐る恐る部屋の扉の前に武が立つと、ルイがいつも鼻歌まじりに台所に立っていてトントン、トン、シャーシャー、ぶくぶくと包丁と煮炊きの音が聞こえるのでした。

 そして「先生、今日はカレーだ」、「今日は肉じゃが」、「今日はオムレツよ」、とテーブルの上に並べるのでしだ。それほど旨いわけじゃないのだが食べない訳にはいかず、引きこもった武の胃袋はこぶし大の大きさから少しずつ正常の大きさに戻っていったのでした。


 「先生今日さあ~、サークルの00がさあ~、ルイちゃんなんて寄ってきてさあ~、あいつルイに気があるんだよ。だけどルイは好かんのよ~ヘラヘラしていて自分じゃ女の子にもててると思っているから・・・ルイもすぐついてくると思っているのよあいつ・・・そんでさあ~何言いたいのあんたって、じっと顔見つめてそのまま暫くいてやったら・・・急にオドオドしはじめやがって、またねって・・・離れて行きやがんの」(笑)(笑)


 「先生さあ~、この前言ったじゃない、真美ちゃん。先生と同じ山形出身、あの子がさあ~、ちょと純粋すぎるんだけど、人の言うこと疑うことしないんだから、ちょとイライラするとこあるけど心配なのよ、わかる先生。で真美ちゃんが・・・

この前サークルだましに合っちゃつて5千円取られちゃたんだよ。ルイ頭に来て、サークルの説明受けただけで5千円もとるのかって・・・ヒョロチィ男子学生二人の胸倉交互につかんで睨んでやったら・・・あわてて5千円返してくれたのよ」(笑)(笑)


 屈託のないルイの笑顔とたわいない話とちょぴり不味い食事に、武に取りついていたあの死神も、いつの間にかいなくなっていました。

 壊れてしまった武の心も少しずつ少しずつ元に戻りはじめるのでした。

 


 武が眠い目をこすり4階建てのビルの3階(武の居室になっている)から降りてきて2階の踊り場へと足をかける。

「お早うございます・・・」

一階に入店している花屋の奥さんだ。武を見上げにっこりとほほ笑む。夫婦二人でこの花屋をこのビルが武名義になる前よりやっている。

 よくルイがこの花屋に立ち寄り切り花を買ってくる。だいたいが白とか紫とか青系で、武は(演歌系色彩)だと思っている。赤やピンク、緑に黄色のカラフルな色ではない。ピチピチの女子大生なのにめずらしい嗜好だと、おかしなことだと思っている。

 まあ~この汚い武の探偵事務所にルイがチョコ、チョコと顔を出し続けること自体、また何だかんだと世話を妬き続けること自体おかしなことなのだが、武はあまり気にせづ好きなようにやらせることにしていた。


 この事務所には女っけがない。

働いているのは北林英雄。54歳。やや小太りの腹の出た親父だ。もと町工場の社長である。こうゆう所ではあまり過去を詮索して聞かない。不運が重なって会社が倒産し、妻子にも縁を切られ独身でこの探偵業にしがみついている。元社長の為、経理や数字には強く顧客応対にもそつがないので主に経理と電話番や顧客対応をお願いしている。

 もう一人は、草間健一。29歳。長髪で蒼白い顔をしている。痩せてボソボソしゃべる少し陰気に見えるタイプだ。PCとその関連機器にめっぽう強いのだ。探偵捜査においては心づよい特技だ。母一人子一人で病弱の母を見ながらの探偵業勤務である。会社務めが望みらしいが母の病状によっては突発的な休みは避けられず、比較的自由の効くこの探偵事務所が今の生活の糧だ。


 ルイが時々この事務所に顔を出しては、掃除をし、花を飾り、お茶やコーヒーの買い置きをチェックし、冷蔵庫を開けて(別にあまり入ってないのだが)賞味期限のチェツクまでやり、「本当に男所帯はイヤ、イヤ、お客様に入ってもらうような小ぎれいさがないのよね。ここには・・・」なんて愚痴っている。

 まるで可愛い、世話焼きババアみたいだと武は思っているのだが・・・それはそれでルイが来ない日が長く続くと寂しくなるのである。後の二人も同じなか・・・

「ルイちゃん、このところ来ないね?」、寂しそうな顔で心配するのだ。


 今朝も草間が「ルイちゃん、このところご無沙汰だねえ~」と心配げにコーヒーを点てる。そのコーヒーを三人ですすっていた時、

「世田谷区羽根田公園で殺人事件です。被害者は国会議員の太田黒雄介の秘書戸田健三58歳。胸部を鋭利なキリ状な物で一突きにされたことが死因のようです。現場は世田谷区の中央北端に位置した閑静な住宅地域内の公園です。財布、免許証、クレジットカード類、スマホ、現金がそのまま所持されており、警察は通り魔的強盗殺人事件より怨恨による殺人事件に切り替えて捜査中であります・・・また」

とホットモーニングのテレビキャスターが画面の中で渋面をつくっていた。


 それを見ていた武が、

「世田谷区羽根田・・・これって!両津先輩、両津刑事の所轄じゃないか、ちょつと草ちゃんネットで調べてくれる。両津先輩は確か世田谷区の羽田署だ」、「了解!所長、この事件もちょくら検索してみますよ・・・」

「所長、両津さんてあのガタイの良い、角ばった四角い顔の人ですか・・・時々ルイちゃんが、私あの人好かん・・・あの人ガサツで遠慮なんてサラサラないんだからって・・・いつも舐めるように見て気持ち悪いって言ってる」 

「そうなんだよ北さん・・・いい人なんだけど刑事だろ、職業柄、職質が専門だからさあ~ガサツ、遠慮なしでやらなきゃ舐められんじゃないのかな~」

「まあ~ルイくらいな女の子にわ、嫌われるタイプだわなあ~それは・・・」

と苦笑いした。


 その頃、羽根田署の二階、刑事課のフロアーに入ると捜査員や職員達の声がいつもよりいくらかうわづりトーンがおちていた。本庁の捜査一課がやってきたので署内の空気がいつもより張りつめているのだ。

 刑事課と組織犯罪対策課の捜査員達は、全員会議室に集められた。羽根田公園殺人事件捜査本部が立ちあげられ、詳細な報告と捜査員の配置の指示があるからだ。両津刑事と小松刑事は手帳をもって(今度は両津刑事も手帳を持参していた)一緒に会議室の後方寄りの席に着いた。

 強行犯係の山田係長が、関本刑事課長の隣で書類ホルダーを手に立ち上がり、40人ばかりの捜査員達を見渡してから言った。

「昨日朝7時38分、区内住民より110番が入った。世田谷区羽根田8丁目、羽根田公園内の茶室前で人が死んでいる模様だと。羽田署地域課の警察官が現場に急行し、7時50分に事象を確認した」、「110番したのは羽根田公園近くに居住する第一発見者の吉田泰一。休日の日課である早朝ランニングをした後、その後の楽しみであるタバコ一服の為、茶室前に向かった。そこで倒れ込んでいる人物を発見。寝込んでしまった酔っ払いではなくて死人だと確信し110番した」

「死体には打撲痕や絞殺痕等はなかったが左胸部の上部(心臓部)にキリ状の刺傷痕があり死亡解剖の結果、これが心臓まで達して死因と断定された」

「また遺体のあった庭木戸の敷石の上からは被害者とは別の犯人のものと思われる足跡痕がいくつか採取されている。メーカー名や型式については鑑識の結果待ちである」、「尚被害者の左手人差し指と中指の爪の間から微量の皮膚片と繊維片が採取された。直接犯人の特定に結び付く手がかりとなるので報道には末公開である」

「死後硬直の様子から、死亡推定時刻は一昨日(27日)夜間、午後10時から昨日(28日)の早朝、午前4時ごろの間である」

「遺留品から、被害者は戸田健三58歳。民自党の国土国交省大臣太田黒雄介の第一秘書である。民自党の太田黒雄介は・・・」ここで山田係長がキッつと瞳を据え場内を一旦嘗め回して話を続けた。「言わずと知れた次期総理候補の一人とやゆされる人物だ。その第一秘書の殺人事件だ。住まいは鎌田四丁目。家族は一戸建てに妻と会社員の長男と大学生の長女とで住んでいる。背広の内ポケットからはスマートホンと名刺入れと数枚の名刺。背広ズボンの後ろポケットからは財布。財布内には運転免許証、キャッシュカード、クレジットカード2枚、現金86452円が入ていた」

 山田係長は顔を上げて、再び捜査員全員の顔を見渡した。

ついで関本刑事課長が羽根田公園と現場付近の地図が貼られたホワイトボードを背にして中央に座る本庁の後藤捜査一課長にかるく頭を下げ、話を継いだ。

「緊急案件を抱えている者以外は、刑事課員の全てをこの事案の捜査に振り向ける。配置についてはそれぞれの係の所属長が指示する。くれぐれもスタンドプレーや抜け駆けをすることなく、組織の一員として行動し捜査に当たるように」

 小松刑事は、関本刑事課長の瞳が一瞬泳ぎこちらに向けられたよううに思われた。そう関本刑事課長の瞳は確実に両津刑事に向いていたし、念を押すかのように一瞬ではあるがとどまっていたと確信した。

 (頼むよ!両さん・・・身勝手な行動は・・・するなよ)

とでも念を押していたのだろう。

 両津刑事は頭を垂れたまま鼻毛抜きのまっ最中だ。机の上には4~5本の鼻毛が散らかっていることだろう。

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ルイと先生の事件簿 @yasuo310

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