第2話 羽根田公園殺人事件

 羽根田公園は世田谷区の中央北端に位置し閑静な住宅地内にある。野球場とテニスコートやプレイパ―クを備えた大規模な公園だ。隣接する羽根田駅からはこんもりとした森のような小高い丘と雑木林が目を引く。周辺住民の憩いの場でもある。特に百本にも及ぶ梅林が有名で春先には梅祭りが長期間開催され、区内外より沢山の人が訪れにぎあう。


「強殺事件・・・?」

 両津巡査部長(羽田署刑事課)は、自宅のベットでその連絡を受けた。非番の朝で立ち上がってもまだ瞳がまどろく、おまけに携帯電話がベッド横でガタガタなった為、頭にズキズキに響き、苦い液汁が喉元にせり上がってくる。昨夜たっぷりあおり過ぎた梅割りの焼酎グラスがテーブルの上で横たわっていた。


「現場は・・・?」

「世田谷羽根田8丁目・・・公園です」

 両津刑事は思わず舌打ちする。

「なんだ・・・もう少し離れたら代田署の管轄区じゃないか?」

「俺の非番の日に・・・何やってんだ」

(ええ~・・・しかし私にそれを言われましても・・・)

 痩せぎすぎみで青白くとても刑事には見えづらいひ弱な小松巡査(羽田署刑事課)は、直属の上司であり捜査コンビを組されるこの両津刑事が最も苦手であった。


 強引、無理強い、ガサツ、ケチ、口が悪い、鈍感、品がない、他人に気を使わない、まわりの空気が読めない、上司には調子よく、部下にはえばる。

 あげればきりがないのだが・・・羽田署、署員の両津刑事評だ。

 そんな訳だから羽田署の職員からは小松刑事は(豚クジ引きの小松)とやゆされ、あわれ身をかけられている始末である。


「で、どうしたホシは割れたか・・・?」

「いえ、まだです。」

「世田谷区の羽根田8丁目なんて、一種低層住地域だ、コンビニも建てられんだろが・・・」

「はい~、ちょと離れて大通りにでればコンビニはありますが・・・」

「・・・馬鹿!そんなこと言ってんじゃないんだよ、コンビニも無いような閑静な住宅地だろってことだ、それで住宅地のどこだ」

「あの場所はさっきも言いましたが、住宅地内の公園です・・・羽根田公園」

「羽根田公園、なんでそんな閑静な住宅地内の公園で事件が起こるんだえ!」

「事件はどんな場所でも起こると思いますが・・・」

 小松刑事はたっぷりの皮肉を込めて言ったつもりだが・・・鈍感な両津刑事が気づくはずもない。

「臨場しなくてはいけないな~っもう、まったくもう・・・」

「あと30分くらいで行く」

「了解しました」


 死体発見現場は羽根田公園の南西端で梅林と草広場に囲まれた一画で、書院造りの日月庵(茶室)と冨士見堂(和室)の落ち着いた建物の前に広がる芝生の庭である。その庭木戸の入り口を2~3歩入った飛び石の上だった。羽根田公園の最も奥座敷と言えるような場所でもあった。


 庭木戸の入り口から芝生全体を囲むようにして張られた立ち入り禁止の黄色いテープは、この静かな場所で事件が発生したこと、事件現場であることを強く物語っていた。

 朝8時を過ぎたあたりなのに周辺にはランニング姿の多くの野次馬とたくさんの警察関係者でごった返していた。野球場、テニスコート、多目的広場を囲んで一周する人気のランニングコースから少し外れたこの場所は、鳥のさえずりが常に響き渡るような静かな落ち着いた場所なのに今朝がたはひどく雑然とし騒々しかった。

 「こんな静かな公園でなんで・・・うそでしょう」

 「ここまではあまり来ないぞ・・・ランニングコースからはずれているしな」

 「茶室があるなんで知らない人もいるんじゃないか・・・地元の者か、怖いな」

 「殺人なんでしょ・・・おじさんなの」

 「おじさんらしいょ・・・背広姿だって」

 「昨日の夜間らしいいな・・・どうも」

 至る所で寄り集まり・・・暇人の推理は続いていた。 


 両津刑事が現場に臨場したときは、鑑識が遺体の状況を写真に収めブルーシートをかけているところだった。捜査員たちは、鑑識が仕事を終えるまでは黄色いテープで仕切られた現場にはいることもできない。どんな些細な痕跡でも需要な捜査対象になりうるし証拠物件でもあるからだ。現場では鑑識が主導権を握るのだ。刑事たちは、鑑識が引き上げてからようやく仕事をはじめられる。小松刑事は真っ先に現場に駆けつけた地域課交番勤務の武井巡査より第一発見者の話を聞いているところだった。


 「小松!」、「あ!どうも・・・」、「何だ!お前目が赤いぞ。二日酔いか!」

 「素面ですよ。寝不足なだけですよ・・・両津刑事こそ酒くさいですよ」、「ばかやろう!ひさびさの非番なんだ非番前に飲んだからって何が悪いんだ、それより俺の非番に事件おこさせるな!」、「それを私にいわれたって・・・もう!」

 「で~どうなんだ状況は・・・」

 「ちょと待ってください」

 小松刑事は、今しがたの聞き取り内容をメモった手帳をひろげ武井巡査に軽く会釈した。武井巡査は二人に挙手をするとその場を離れた。 小松刑事のメモによると、聞き取った内容はこうだ。


 第一発見者は公園近くに住む吉田泰一、年齢62歳、江東区の神田電気の嘱託社員である。

 吉田は休日の日課で早朝のランニング(ランニングコースを軽めに2周)している。ランニング後いつも茶室向かう。茶室前の縁台に座りきれいに刈りあげられた芝生の緑を眺めながら缶コーヒーとたばこでの一服がランニング後の楽しみらしい。

 茶室前へ行った時間は7時30分頃、家をいつも7時前に出る、ランニングは30分位。ランニングにかかる歩数(万歩計)で何歩か、かかる時間はどのくらいか何度か調べたので間違いないとのこと。

 茶室前にくるとこの日は庭木戸入口の扉が開け放たれていた。

(いつもは閉じられている)

 庭木戸入口より数歩入った飛び石のところで男がうつ伏せで左腕に顔を乗せるような格好で右腕を伸ばし倒れていた。背広を着ていた、ネクタイが見えた。

 酒の飲みすぎで昨日から寝てしまった酔っ払いかと思った。声をかけようかと一瞬戸惑ったが声をかけずにこの場をはなれた。しかし途中で得体のしれない不安感に襲われふたたび戻った。

 ろう人形のように真っ白い顔。見開いたままの瞳。口角端より少し垂れた赤い血の跡。

 これはもう確実に死んでいると思いすぐ110番した。

 その時公園には7~8人のランニング中の人と早朝散歩の人が14~5人いたと思う。男と女は半々、ほとんどが年配で60歳以上だった、若い人はいなかった。

との内容であった。

 

 鑑識のOKが出たので数人の捜査員達が遺体の廻りに集まりブルーシートをめくり遺体や周囲の検分を始めていた。両津刑事と小松刑事も遅ればせながらその輪に紛れ込んだ。被害者は年齢50歳前後でがっしり系に脂肪がついたようなでっぷりした中背の親父だった。頭部等には目立つ打撲痕はなく、頸部にも絞められたような絞殺痕もなかった。仰向けに寝かされた死体の左胸上部からは細い流血痕が腹部にかけ残っていた、多分これが死因かなと小松刑事は思った。

 その時後ろから声をかけられた。

「お~い、小松どうだ?」

聞きなれた声、どきりとして小松刑事の背がピ~ンと伸びた。

振り返ると、今後この捜査を束ねることになるだろう関本刑事課長(羽田署警部)だった。

「おはようございます」小松刑事は上司に対して丁寧にあいさつをした。しかし関本刑事課長はそれには応じず、

「両さん非番なのに悪いね・・・あれ、ちょと酒臭いね・・・酒気帯での臨場は服務違反じゃないかな?」

 勤務態度には大いに難がある両津刑事をおちょくるようにして口角をゆるめる。

「なんだい課長!非番の前の晩だ。日ごろため込んだ憂さ晴らしに酒を煽っちゃいけねえって服務規律があったっけ・・・課長みたいに机の上で事件を解決させてる訳じゃないんだ、こちとら野良犬みたいに昼の飯にもまともにありつけず動き回っているんだ・・・ストレスが溜まるんだよ憂さ晴らしが必要なんだよ・・・なあ~そうだろう小松」

 勘弁してくださいよ。私にふらないでと小松刑事は苦笑いをし問いかけを無視した。階級も組織上でも上だが年齢では下の関本刑事課長は両津刑事のため口を軽く受け流し二人を茶室前の縁台に呼んだ。そして既に仔細を聞き取りし確認していたのだろう、手帳を取りだしめくり始めた。小松刑事はあわてて手帳を取り出す。しかし両津刑事は手ぶらのままだ。「まさかまさか手帳を持って来てないのか?」、「え!嘘だろう考えられない」小松刑事の心の叫びである。

 関本刑事課長がかまわず話し出した。

 

「被害者の身元はすぐ判明するだろう。免許証、名刺、財布、現金と数枚のカード、スマホが所持されていた。現金は8万円弱が財布にあったそうだ。それなりに高額だな」、「となると強盗殺人じゃない単なる殺人だ。当然金目当ての通り魔的殺人じゃないので怨恨による殺人の方向だな」

「死因は胸部の刺傷痕らしい、鋭利なアイスピックのような物で一突きらしい」

「遺体現場の飛び石の上に足跡痕。またランニングコースから茶室に向かうコースにも複数の足跡痕がありその内のひとつの足跡痕は飛び石の上の足跡痕と一致らしい。・・・正式には監察の結果待ちとなるが」

「あと、これからは俺の見立てだ。両さんも後でちょつと確認しておいてくれよ」

「被害者は一見大きな企業の役員らしき風貌と身だしなみだが、どうも若い頃はそれなりのワル、暴れん坊じゃなかったかと見てるんだ。両さんみたいだなあ~」「なんだよ課長!おれがなんで若い頃ワルなんだ。誰が言ってんだよ?」

「まあ~まあ~、遺体の左目の横に古い裂傷痕。1~2センチ程あるぞ。口元というか右口角下にも古い裂傷痕がある。ガキのころから喧嘩ばっかししていたってことかな」、「また耳の端が縮こまって耳たぶがつぶれている。両さんと同じだ、柔道の高段者だよ。だけどあの顔の裂傷痕は柔道ではつきにくい。まあ~両さん見ればわかるよ・・・」、「若い頃そうとうにグレてたか、ワルだっかもしれない。警察にも一度くらいはお世話になっているかもしれないなあ~」、「まあ~あとの細かいことは鑑識の結果待ちになるが、手持ちの物証もそれなりありそうだし、なにせ通リ魔的、行き当たりばったりの殺人じゃない・・・怨恨による殺人だ。通リ魔的だと周辺に防犯カメラがないと捜査は難航するが・・・カメラのない住宅地でしかも公園だ、怨恨でよかったよ。被害者とホシのつながりを追いやすいからな」

「捜査本部、立ちますかね・・・?」

小松刑事がメモを取りながら不安げな顔をする。

「それほど難しい事件じゃないって」

「捜査本部は立たんだろうなあ~?」

 関本刑事課長は期待をかけ自分に言い聞かせるようにして締めくくった。


 捜査本部が立ち、警視庁の捜査一課長がくるかどうかで関本刑事課長の立場が一変するからだ。捜査一課がやってきたら、もう所轄(羽田署)の出番はあまりない。捜査一課長とは同じ課長であるが本庁と所轄とでは格が違う。階級も上だ。関本刑事課長とその下の山田係長は捜査一課に振り回されることになるだろう。捜査一課長にべったりと張り付き、質問に答えたり指示を仰いだり、その指示を下の署員に伝えたり、署員を動かし期待される成果を出したりしなくればならない。

 ピリ、ピリと張り詰めた空気の中、幾日にも及ぶ泊まりこみが当然となることだろう。


 だが関本刑事課長の期待を裏切り警視庁の捜査一課長がやってきてしまった。

捜査本部が立ったのだ。

(これ位の事件で何故?)

(被害者が普通じゃないってことか?なにか上に絡む、霞が関にからむ!まさか・・・?)

関本刑事課長の表情が歪み、胃がキリキリとうごめいた。


 捜査一課長は、後藤守男警視正。ノンキャリヤのたたき上げで、捜査畑一筋だ。鑑識課長を経て捜査一課長というお決まりのコースを上がってきたバリバリの猛者だ。ノンキャリヤで(警視正)まで出世するのはまれだ。


 警察組織はキャリヤとノンキャリヤからなる。キャリヤとは(国家公務員1種試験合格者)から将来の幹部候補生として警察庁が採用したエリート達のことをいう。ノンキャリヤとは各都道府県警察が実施する採用試験に合格し、警察官となった人たちをいう。エリートのキャリヤ組と区別する意味合いから使われる。現在警察官は警察署、警視庁(東京)、各都道府県警察で約228千人位、その内キャリヤは520人位である。いかにキャリヤが一握りかがわかるだろう。

 警察の階級は巡査、巡査部長、警部補、警部、警視、警視正、警視長、警視監、警視総監、警察庁においては警察庁長官がある。

 キャリヤの昇進システムはまず警察庁に入庁した時点から、いきなり警部補からのスタート。キャリヤ組には昇進試験などなく、その後1年で警部、それから2~3年で警視。25~26歳で所轄の警察署長なれるのだ。それに反しノンキャリヤ組は巡査から始まり、警部までは階級ごとに幾つかの昇進試験に合格しなくれば出世の道はない。大卒の場合実務経験1年、高卒の場合4年で警部の受験資格が得られるが順調に合格とはいかずノンキャリヤが定年までに警視以上になることは至難のことである。だいたいが定年まででも良くて警部どまりである。






 





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