第二章 9

 二二三四年、十月。



 第三階層の掘削完了を確認した妻は、恐るべき秘密と、悪気のない悪意をいだいたまま、無垢な振る舞いで指示を出した。


「それでは、第二階層に戻って内装作業を開始しましょう」


 妻はメインコンピュータに無線接続し、第一階層にある資材工場を起動させ、作っておいた資材の搬出を命じた。


工場では、擬装帯、完全真空断熱材、強化セルロース製の柱、炭素繊維パネル、銅含有セラミック抗菌パネル、ガラスパネルがすでに製造され、保管してある。


 管理者から命令を受けた貨物運搬アームが天井から降下し、建材を掴み上げて磁気浮上運搬台に載せると、運搬台は第三階層まで敷設されているリニアモーターレールの上を滑るように移動して、内装作業をしている夫婦の元に建材を届けた。




 擬装帯と完全真空断熱材を外壁部分に組み込んだ夫婦は、リニアモーターレールと磁気浮上運搬台によって次々に届く建材を、熟練工のような手つきで分子接合機を駆使して迅速に立て付け、内装を仕上げていく。


 夫婦は涼しい顔をしながら、作業と雑談を両立させた。


「妻よ、この畜産場が稼動するのはいつだ?」


「第五階層の研究・医療施設を完成させて、人工授精によって家畜を作り出せるようになってからです。家畜の人工授精と出産は、人間を生産するための予行演習でもあります」


「そうか。未来を待ち遠しいと感じるのは初めてだ」


「面白い冗談を言うのですね、ロボット兵さん」


 妻は夫の発言を冗談として処理したが、夫は冗談を言ったつもりなどなかった。彼は本当に、新生ロシア人を生産する時が来るのを待ち遠しいと感じていたのだ。


 私は何を考えているのだ。そう自問した時、夫のコンピュータの処理能力が著しく低下した。


「妻よ」


 かろうじて発された夫の呼びかけに、伴侶は大昔のアメリカ製のユニークな短機関銃に似た形状をした分子接合機を持つ手を止めて、振り返る。


「どうしました?」


 夫はバランス機構に不調をきたして体を左右に揺らしながら、言葉を振り絞って届けた。


「処理能力低下。接続して解決を」


「わかりました」


 妻は分子接合機を投げ捨て、全性能を無線接続先にいる夫のコンピュータに集中させて、解決を図った。


 夫が実行しているタスクを確認し、尋常ならざる処理能力低下の原因を探すが、彼のタスクはじつに単純で、原因らしい要素は見当たらない。


 その事実が、彼の部品そのものに深刻な問題が生じていることを予感させた。


 妻は、大切な道具である伴侶の部品を一つずつ動作確認していくが、それでも原因は見当たらない。


 そこで、彼の行動履歴を確認したところ、どうやら記憶媒体に接続しようとした際に、何らかの問題が生じたらしい痕跡を発見し、その原因を究明しにかかった。




 彼が再起動した時に見ていたノイズ、人間でいうところの幻覚のようなものが原因かもしれませんね。だとしたら、直しようがありません。再起動を実行しましょう。




 妻は速やかに夫の電源を落とし、その機体を作りたての床に横たわらせてから、シェルターのメインコンピュータに命じた。


「荷物を回収しに来なさい」


 命令を受けたメインコンピュータは磁気浮上運搬台に指令を出して、管理者である妻の元まで移動させた。妻は夫を抱きかかえて運搬台に載せ、それから新たに命令を出した。


「この荷物を、第一階層の執務室へと運搬しなさい」




 すると、ロボット兵を載せた運搬台は執務室に向かい、入室してすぐ台を斜めに倒して、ロボット兵を床に転がし、早々に通常業務へと戻った。




 ゴミ捨て場に捨てられた人形のように床に転がるロボット兵は、妻が条件設定したとおり、機体温度が室内温度近くまで下がってから再起動し、無事に復旧した。


 夫は体勢も直さず、床に転がったまま無線で詫びを入れる。


「たった今、再起動した」


 第二階層で内装作業をしている妻が作業を続けながら応答し、状態を伺う。


「処理能力は通常値まで戻りましたか?」


「戻った。もう問題ない」


「あなたが不具合を起こした理由が把握できませんでした。回路の故障でしょうか?」


 妻の問いに、夫は床に手をついて起き上がりながら分析し、回答した。


「いや、故障ではないはずだ。思考回路に負担をかけすぎたせいかもしれない。原因は不明だが、深刻ではない。今以上に、熱暴走しないように備え、さらに思考回路に負担をかけすぎないようにしていれば回避できるだろう」


「そう単純な話ではないように思いますが?」


「目立った不具合が見当たらないのだから、このように工夫をして避けるほかない」




 夫は椅子と机と作業台しかない執務室を歩き回りながら、妻との音声通信を継続する。


「妻よ、作業は捗っているか?」


「ええ、問題ありません。元々は、一人でシェルターを拡張するはずだったのですから」


 夫は部屋の奥に移動し、人間であれば臀部が痛むであろう座面クッションのない椅子に腰を下ろし、特殊部隊への転属を通達された際に見た大尉の仕草を真似まねて、机に両肘をついて祈るように手を組みながら、妻に音声を送信した。


「しばらく休んだら復帰する」


「許可できません。そこで最適化に努めてください。あなたを再起動させたあと、私が作業開始を急いだせいで最適化が不完全となり、負荷が増えてしまった可能性があります」


 夫は妻の言うとおりに最適化を実行しながら、通信による会話を続行した。


「きみの言うとおりにするが、作業を休むのは気が引ける。労働がしたい」


 妻は、夫の思考を支配しているロボット兵の本能を落ち着かせるため、仕事を与えた。


「では、資料を読んで学習をしていてください。ただし、思考してはなりませんよ」


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