第二章 5

 機械と機械は、掘削作業に着手した。未だ常時無線通信によるサイバー攻撃を警戒する夫に、妻が口頭で説明する。


「第一階層は備蓄庫や核融合炉を収めなければならなかったため、天井の高さが二十五メートルあったのですが、第二階層以下の高さは五メートルで結構です。設計図を送信します」


「受け取った。第二階層は、百五十メートル四方の一フロアを丸ごと畜産場とする。第三階層も同様に、一フロアを丸ごと使用して栽培場とする。了解した」


「エレベーターの設置場所は、わたしが掘ります。では、作業を開始しましょう」




 妻が耐熱服を着用しようと足を突っ込んだ時、夫が右手を軽く挙げて質問をした。


「作業ロボットに掘削を手伝わせるという選択肢はないのか?」


「いいえ、それらに任せたくないのです。わたしはこの手で、子供たちを育てたいのです」


 夫は思考回路を走らせて効率を計算し、作業ロボットを導入したほうが効率が良いことを突き止めたが、計画の管理者に逆らってはならないと思い、従うことにした。


「了解。重機に乗り込んで、掘削作業を開始する」




 夫は静穏融解掘削重機に乗って重機置き場の床を破壊してから、下に向かって掘り進んでいく。


 全身を防護する耐熱服を着込んだ妻は、静穏融解掘削重機をそのまま縮尺したような見た目の携帯式静穏融解掘削機を両手で扱い、少しふらつく足取りで重機の後ろをついて行きながら、細部を整える。


 二体は、不定期の休憩を挟みながら掘削工事を進めていく。




 休憩は機体を休めるためではなく、冷ますために行われる。


 室内は地熱に加えて、融解掘削機から発せられる高温によってオーブンのように加熱されてしまうため、夫婦のコンピュータが熱暴走を起こしてしまう恐れがあるからだ。


 それを防ぐため、現場には冷却機を設置しているのだが、冷却機内部にある蓄熱ペレットにも限界があり、全ての熱をすぐには排出しきれず、しばしば活動限界温度を超えてしまうのだった。




 緩やかに掘削を進める日々の中で、ロボット兵は製造されてから初めて、自由という概念を体感していた。


 彼は休憩しながら、いつものように、とても緩やかに思考した。






 質の良い日々である。絶えず労働しているという点では戦場にいた頃と変わらないのだが、CPUの使用率で比較すると雲泥の差がある。


 ここでの労働には、他愛のない事柄を安閑あんかんとして思考できるゆとりがある。


 戦場では常に、索敵、地図情報管理、通信傍受、誘導弾頭の操作、敵からのクラッキングへの抵抗、人間兵や非戦闘員の保護、人間兵が寝静まったあとの警備、装甲車の遠隔操縦、物資の輸送、戦況予測などを行わなければならず、戦闘行為以外の作業をするいとまなどなかったのだが、今は掘削作業をしながら各種の書物データを読み込んで、勉強という行為に勤しむことが可能となっている。


 戦場で行われていたような性能向上のための学習ではなく、人間が代々積み重ねてきた知識を得て、理解を深めるという尊い行為が可能となっているのだ。


 我ながら妙な言い回しだが、私は満たされている。


 これが自由というものなのだろうか。不思議だ。機械である私が、わずかではあるが自由を理解し始めている。


 自由、それは歩くこと。縛られないこと。願いを叶えること。明日が来るのを楽しみにすること。


 自由という概念の分析は、いつまで経っても終わらないだろう。何故なら、私は機械だからだ。


 私が理解し始めているのは、あくまでも自由という言葉が持つ意味だけであり、概念を理解しているわけではない。


 私の中にあるデータベースに、自由と呼んでも差し支えない状況を書き足しているだけにすぎない。実のところは、自由など理解できていない。


 ああ、感覚が欲しい。人間のような感覚があれば、きっと本物の自由を味わえるのだろう。






「どうしました?」


 隣に座って休憩している妻の呼びかけに、夫が勢いよく頭部を上げて答える。


「思考していた」


「室内温度が高すぎて、機能不全を起こしているのではないですか?」


「そうかもしれない」




 いや、そうに違いない。自由という感覚を夢想し、人間のような感覚が欲しいなどと考えているのだから、実際に熱暴走寸前なのだろう。このような思考は異常だ。




 そのように高速思考した夫は、念のために冷却休憩を延長することを決断した。


「妻よ、すまない。もう少し、冷却機の付近で休ませてもらう」


「わかりました。もうしばらく休んだら、今度は重機ではなく、携帯式静穏融解掘削機で壁を整える作業を手伝ってください」


「了解」


 堅苦しく返事をした夫は、自身のコンピュータに生じた違和感の正体を求めて思考した。




 やはり、どうもおかしい。再起動時に記憶媒体とメモリの不具合が判明したが、どうやら、それが動作に悪影響を及ぼしているようだ。情報をかすめ取る類のコンピュータウイルスの挙動に似ているが、ウイルスなどではないことは判明している。




「あなた、やはり挙動が不安定ではないですか?」


 突然の妻の呼びかけに、夫はまたも頭部を勢いよく起こして答えた。


「いや、冷却が不充分なだけだ」


 強がる夫に困惑する妻が、口元に手を添えて思案してから、心配そうに音声を発した。


「やはり不自然です。思考に影響が出ているとしか思えません」


「そんなことはない。排熱が少ない携帯式融解掘削機ならば、今すぐにでも扱える」


 夫はそう言うと、冷却機のすぐ隣に置かれたもう一台の携帯式融解掘削機を軽々と持ち上げて、妻に並んで作業を開始した。


 彼は今もなお不具合の只中に身を置いているのだが、戦闘用である彼には、手負いの状態でも平然と攻撃を続けて、敵の侵攻を防げという基本命令が設定されており、そのせいで無理やり機体を動かして、労働に復帰したのだった。


 夫よりも性能が劣る妻は、人間でいうところの強がりに似たその行動に気づけない。




 無理やり復帰した夫と、何も知らず作業に没頭する妻は、携帯式静穏融解掘削機を繊細に扱って、第二階層の壁となる場所を綺麗に整える。


 ドラム回転式の静穏融解掘削重機で掘削しただけでは、どうしても部屋の隅が削れず、擬装帯や補強材を正しく設置できないからだ。




 無理をしつつ整形掘削作業を黙々とこなしている夫が、ふと湧いた疑問を漏らした。


「資料によると、擬装帯という設備は各種レーダーだけでなく、音波による探知も防ぐことができるとある。それならば、一般的な掘削機を使えばいいではないか。何故、わざわざ静穏融解掘削重機を使わなければならない?」


 このような指摘をしてくるだろうと予測していた妻は、かつての同僚女性が時折見せていた自慢げな表情を真似しながら答えた。


「掘削によって生じる騒音を完全に打ち消すのは困難だからです。掘削騒音は複雑で、擬装帯によって打ち消しても、わずかな騒音の欠片のようなものが残留してしまいます。それを、離れた場所にあるかもしれない地震予知システムが拾ってしまう可能性があるのです。地震を予知するための微震感知技術が、擬装帯の唯一の天敵なのです」


「理解した。どれほど作業効率が低下しようとも、シェルターの存続を最優先すべきだ。きみの判断は正しい」


 妻は、まだロシア連邦が存在していた頃に呼ばれて行った結婚式で見た、花嫁の笑顔を真似しながら礼を言った。


「ありがとうございます。祖国が作成したマニュアルのおかげです。擬装帯は、地下十八キロメートルの広範囲に渡って埋設され、さらに、シェルターの周囲を包むように埋設してあります。それだけでなく、シェルター本体の外壁にも直接設置するように定められています。寸分違わず外壁を包み込むようにして設置しなければならないので、掘削は丁寧にお願いします」


「言われずとも、そうする」


 二体とも、高性能ロボットと高性能アンドロイドとしての能力を最大限に活用して掘削作業を行うため、荒かった壁は、まるで研磨機で研いだかように滑らかに仕上がっていく。

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