Last Flower

緑茶

Last Flower

 その日彼女は、友人であるAを殺した。

 夕暮れのホームを通過する特急列車に向けて、少女の背中を押したのだ。




 完璧な友人であるA。孤独だった私。誘ってきたのはあの子。だからあのこといっしょに、古びた図書館に繰り出して、沢山の本を読んだ。

 おいで、世界は光でいっぱいだよ。あの子はそう言った。成績も良くて、見た目もかわいくって、スポーツだってなんにでもできて。

 そんなあの子が、どうして私に声をかけたのか、今になってもわからない。

 でも、その理由は何でもいい。孤独で、足も短いし、髪の色だって地味だし、取り柄もない私。そんな私に手を差し伸べてくれた、あの子。

 ――ねぇ。光がいっぱいって言ったけど。私の光は、あなただけだったんだよ。


 だけどあなたは本当に優しくて、本当に強くて。

 ――誰にでも。そう、誰にでも。

 その笑顔は私だけに向けられたものじゃない。

 あなたは人気者だから。誰にだって好かれるし、誰とだって友だちになれる。私はあなたの親友。でも、私以外にも沢山親友がいる。

 だから、あなたのところはいつも、いっぱいの太陽で満ちていて。私のところには、一筋だけしか光が届かない。

 だから、あなたは気付かない。光の中に居るから、その見分けをつけることができない。私がどれだけ声を上げても、私には気付かない。

 目の前に居るのに。近いのに、こんなにも、遠い。

「……ねぇ」

「……なあに?」

「あなたは……わたしのこと……どう、思ってる……?」

「なに、その質問。そんなの、大の親友に、決まってるじゃない」

「……」

 私は顔を曇らせる。だけどあなたはその理由を、きっと天気かなにかのせいにする。

 だから、私の嘆きは聞こえない。

 ――私は、あなたの特別には、なれない。


 だけど私は、ある時気がついた。

 その発見は、私とあの子のすべてを変えた。私の中で。


 ――いつもの夕暮れ、帰り道。ふっと足を止めてよそ見をすれば、あっという間にどこかに行ってしまいそうな。

 そんな歩調で、あの子が私の前を行き、私がその後ろを歩く。

 涼しい秋の帰り道。石畳でできた坂の上。私はあの子の後ろを、置いていかれないように必死についていく。

 だけどあの子は振り返らない。私がそこに居るのは当然だと思ってるから。

 それは信頼? いや――ちがう。だって、私の足の痛みも、背中の汗も、あなたはきっと気付かないのだから。


 だけど私は気がついた。

 完璧な、あまりにも完璧なあの子の表層に張り付いた、ただ一片の疵。

 夕焼けの中、ハレーションみたいに眩しい彼女の首筋。その断片に、僅かな影。

 私は目を凝らした。あの子は気付かない。


 そして、見つけた――見つけたのだ。

 にきび。

 ちいさなにきび。

 ぽつんと、水滴みたいに産み落とされた小さな赤。それが彼女の首に。


 目を疑った。完璧なこの子に、そんなもの。

 だけど、何度見てもなお、それはそこにあった。

 彼女は気付かない、気付かない。


 ……そう。ならばこれは。

 私だけが、私だけが知っている彼女の部分。


 ――気づけば私は夕闇の中で立ち止まり、小さく、くっくっ、と喉を鳴らした。

「……どうしたの?」

「…………なんでもないわ、なんでも」

 笑顔の練習を、するべきかしら。きっと私、とっても不格好だわ。

 だけど、それはこの子には、見せてやらない。きっと、きっとよ。

「そう。だったら、はやく帰りましょう」

「……えぇ、そうね」


 ――だからこれは、私だけが知っている彼女の汚点。

 完全な偶像に落とされた、一滴の墨。知っているのは私だけ。

 守るのも、拭い去るのも、私だけが出来ること。


 ようやく私は、あの子に向き合う事ができるような気がしていた。

 あの子と顔を合わせた時に感じていたむずがゆさ、すわりのわるさが、ようやくなくなるような。

 そんな気がしていた。

 それは安堵? なんだろう。気持ちを言葉にするには、私はあまりにもモノを知らなさすぎて。

 ――だから、だろうか。


 その後に来る崩壊を、私は止めることができなかったのだ。


「ねぇ」

「……ん??」

「私達……ずっと一緒だと、思う?」

「そんなの、決まってるじゃない。私達は――」



 随分と帰るのが遅くなってしまった。

 季節は晩秋。すっかり冷え込んで、私とAは、髪の毛をマフラーの中にたくし込んで、震えながら帰路につく。

 風が吹く。夕暮れは藍色に装飾されて、奥深くから来る闇を少しずつ、少しずつ路上に向けて投射する。

 私とあの子はホームに立った。

 また、いつものように。

「あの先生、本当にひどいよね。貴重な私達の青春の時間を削らないでほしいな」

「……そう」

「んー、なんだ、あなたもそう思うんだ。良かった」

「良かった…………?」

「だって、あなたのそんな顔……わたし、ずいぶん久しぶりに見た気がするよ。いや、出会ってからはじめてかも」

 あっけらかんとあの子が言う。私は不意に、頬に触れてみる。

 ほんのり赤くて、あたたかい。

 ……なるほど確かに、私にとっても意外かもしれない。

 この子と一緒に居て、不安を感じないのははじめてかもしれない。

 あの『発見』以来私は、随分と平穏を味わっていた。


遠くで、警笛が鳴った。

まるで遠雷のように。


「今日は遅いけど。明日はどこか寄って帰ろっか」

「……うん」

「今日の分も、はしゃがなきゃ駄目だもんね」

「……うん」


 がたん、がたん。

 近づいてくる。


「……――風、冷たいね」

「……うん」

「……もうすぐ。――……冬が来る」


 がたん、がたん。


 そして。その言葉通り。

 風が、吹いた。私は服を抑える。彼女もそうだ。


「ううっ……つめたっ」


 がたんがたんがたんがたん。


 彼女はそれに抗おうとした。

 だが駄目だった。風はむなしくも彼女のマフラーをさらい、白い首筋をあらわにした。


 がたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたん。


「……大丈夫、冷えない? ほんと、はやく帰りたいよね」

「……――ええ、そうね……――――」


 がたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたん。


「――…………」


 そこで。

 私は、見てしまった。


 あの子の、首筋にあったはずの。


 にきびが、にきびが。


「……ねぇ、あの。首……」

「え? 何?」

「首……後ろ、にきび…………」

「あぁ、これ?」


 ――やめて。


 その先を言えば、きっと。

 きっと、何もかもが――。


 がたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたん。



「……友達に言われてさ、不格好でしょ。だから、潰しちゃった。アト、目立つかな??」



「――……」


 警笛が鳴った。すぐ近くで。

 眩しいライトが、ホームを照らし出す。


 その直前に全てが闇に包まれる。私は、その時にはもう。




――これまでのすべてのじかんがあたまのなかにながれるなかで、

わたしはあのこのせなかを、おした。





 くずれていって、おちていく。なにもわからないようなかおをして。


 何だ――そんな顔も、出来るんだね。


「――……」


 音。大きな音。

 終幕。全ての終わり。

 とどのつまり。



「ねぇ……ねぇってば……」

 私は顔を上げる。

 すると、見知らぬ少女が私を見ている。

 怯えた目で彼女を見ると、その顔がぱっと花開くように笑顔を作った。

 あぁ――なんて眩しいんだろう。

「そんなに暗いところに居たら、何も見えなくなっちゃうよ。だから――」

 あの子は私の手を引いて、私を外へ連れ出した。強引に、だけど、しっかりと握りしめて。

「はやくおいでよ。世界は――光でいっぱいだよ」



 何もかもが遠くに聞こえる。周囲を囲む大人たち。青ざめ、嘔吐する者も居る。

 何度も明滅するカメラのフラッシュ。押しかける集団。

 私の肩を揺さぶって、何度も怒号する男。

 その声は問いかけているらしい。

 君がやったのか、君があの子をやったのか――。

 だけど私には、全てがまるで水の向こう側にあるように聞こえて。

 心はそこにない。あるのは視線の先。そこにある『それ』。

 目を離さない。嫌悪も何もなかった。

 本当に、何の感情も浮かばなかった。


 だけど、風が冷たい。秋は終わったらしい。

「私は――……」

 声に出してみる。届かせたい人はもう居ない。

 もう、居ない。


 何度も何度も揺さぶられていたはずなのに、私の意識は遠くに消えて、最後の言葉だけが残った。



 私は――あなたしか、見えない。

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