第2話 星って遠くから眺めてるから綺麗だって知ってる?

 ハッと眼が覚めた。どうも、私はベッドに寝かされていたらしい。

 ……まったく、毎度毎度意識を失わせなくてはいけないのか。しかも強引に。

 とはいえ、それでいて、どこにも怪我したあとも無ければ、痛む箇所も無い。これがプロの技巧なのだとすれば、ただ素直に感心する。


「ってかさ、あんた騒がないんだねー。普通の人は、騒ぐよ? ここはどこだーっ、って」


「!?」


「あ、さすがにこれには驚くんだ。いやー、突然声をかけてみた甲斐があったね」


 突如後ろからかけられた声に、慌てて振り向く。そこには、おそらくこの部屋から出るためにあるのであろう扉を背に、一人の女性が立っていた。

 歳は二十代前半くらい。自分よりは4つか5つは下だろう。

 茶色のショートヘアで、人懐っこそうな眼。口元に張り付いた笑みは、彼女のコミュニケーション能力が高いであろうことが察せられた。


「あの……貴女は?」


「んー? あたしの名前はラバー。JACKのメンバーで、アルカナの一人だよ。今の任務はあんたのお世話と護衛。これから事が終わるまで部屋から出られないから、そこのところよろしくね」


「は、はあ……」


 ラバーと名乗った女性は、ペラペラとまくし立てると近くにあった椅子に座った。

 そこで改めて部屋を見る。先ほどの不気味な部屋ではなく、普通のワンルームマンションのような部屋だ。ベッドと椅子、そしてテーブル。シャワーもあるようだ。

「アンタには後一日か二日……スターの任務が終わるまではここにいてもらうね。その後は、お待ちかねの復讐タイムさ。今のうちに憎悪を高めておくことをおススメするよ。じゃなきゃ、本番でヘタレちゃう人とかたまにいるから」


「そ、そう、ですか……」


「ありゃ? 一方的に話されるのは苦手なタイプ? 全部話しちゃおうと思ったのに。まあいいや、じゃあ質問に答える形式で行こうか。なんか質問ある?」


 ペラペラと喋るラバー。正直、こういうタイプは苦手だ。そもそも私はあまり社交的なタイプではない。昨日(?)のスターは事務的な対応だったし、そもそも怒りと恨みで正常な状態じゃなかったからなんとかなったが、今日は生来の人見知りが発動してしまう。

 それでも、一応自分に気をつかってくれていることは分かるし、訊きたいこともあるので、素直に質問することにした。


「そ、その、アルカナ、というのはなんですか?」


「んー、最初にそれかぁ。まあ、簡単に説明すると、JACKっていう大きな組織があってさ。それの、ここの支部の名前がアルカナ。で、あたし達みたいな実働部隊というか、まあ、幹部とかそういうのと思ってくれたらいいんだけど……んあー、そう! あたしとかスターみたいにコードネームで呼ばれている人をうちの支部ではアルカナって呼んでるの。まあ、スター的に言うなら、プロはアルカナって呼ばれてるわけよ」


「支部の名前がアルカナで、そこの幹部の名前もアルカナ、と……?」


「うん。まあ、ここの幹部がアルカナって呼ばれてたから、そのままここの支部がアルカナって呼ばれるようになったんだけどね」


 なるほど、それなら納得できる。


「では……JACKという組織は、本来どういうものなんでしょう」


「ん? どういうことかな」


「……私ごときが払える金額なんて、全財産だとしてもたかが知れています。それなのに、昨日のあれだけ調べるなんて、どう考えても私の全財産程度では調べきれるはずがありません。だから、こうやって復讐の手助けをすることは、本来の目的ではないんじゃないかと……」


「あははは! 凄いね! その通りだよ! まあ、こうして復讐のお手伝いするのが本来のこの組織の意味だし、設立当初の目的なんだけどね。うん、全部は話せないけど、いくつか話してあげるよ」


 ケタケタと大笑いするラバー。その眼は、まるで面白いおもちゃを見つけた子供のような、そんなキラキラした目だった。


「まずさ、JACKってのは、そもそもの始まりは十九世紀ロンドン」


「え? それって」


「そー。十九世紀で、ロンドンで、しかもジャックときたら、思い当たるのは一つだよね。そう、切り裂きジャック《ジャック・ザ・リッパー》さ」


 切り裂きジャック。1,888年にイギリスはロンドンで連続発生した、娼婦を狙った猟奇殺人事件の犯人と目されている人物の名前である。

 事件は未解決のままで、いくつもの説が唱えられており……現在でも、真相は明らかになっていない。


「で、まあこの切り裂きジャックなんだけどさ、そもそも、猟奇殺人事件を起こしたのは、まあよくある恋情のもつれってやつなんだ。愛していた娼婦に裏切られたと思った人が、メアリー・アン・ニコルズって人を殺したわけよ。それもかなり残忍に」


 被害者の名前までは知らなかったが、そんな簡単なことが真相なのか。


「で、面倒くさいことにさ。その時、似たようなケースが数件発見されたのね。娼婦の惨殺死体が、ってのが。さて、ここで当時の警察は、一連の犯行を同一人物の犯行だと考えた。ここが一番のポイントなのね」


「同一人物の犯行と考えた……けど、実際は違ったんですか?」


「その通り。だからオリジナルである、最初の殺人犯は焦ったんだ。このままじゃ、自分のしていないことまで自分のことにされてしまう。ってね。だから頼ったんだ、裏の世界に」


 ラバーの笑みが、悪いものに変わる。と言っても悪戯をするような笑みだったが。


「裏の……」


「そう。自分を逃がしてくれってね。そんで、当時はまだちっぽけないち裏組織だったJACKは――もちろん当時はそんな名前じゃなかったけど――全財産を受け取る代わりに、新天地へ逃がすと約束してやったのさ」


「それが……最初の、復讐の手伝い」


 今のシステムとは大分違うようだが、なるほど、復讐をした人間を逃がすことで、利益を得ていたのか。


「そう。まあ言い方は悪いけど、当時の連中は一度目に全財産を手に入れたことで、味を占めたのさ。命がけの人間を助けるっていうのは……儲かる、ってね。だからその後も連続殺人は続いただろ? それら全部、初代JACKたちが逃がしたのさ。最初の方で既に今のシステムに近いことになっていたらしいから、ドンドン自分たちの仲間を増やしながら、復讐を遂げていった」


「最初は、女の人を殺すこと限定だったんですか?」


「いいや? 違うよ。どんな性別でもよかったけど、女の人が多かったみたいね。それに、男も殺してたけど、そっちは別犯人として処理されてたみたいだし」


「じゃあ、わざわざ猟奇的に殺していたのは何故?」


「そっちの方が手っ取り早く依頼人の復讐心を満たせたから。もっとも、その後だんだん客層が変化していってね。復讐心を満たすために必ずしも惨殺したいにする必要がなくなった。だから切り裂きジャックもパタリといなくなったのさ」


 こんなところでロンドンの殺人鬼の真相を聞くというのも変な気分だったが、なんだか納得している自分もいた。


「で、まあそのうち組織も大きくなっていって、じゃあ名前が欲しいよね、ってなったときに、せっかく警察が自分たちに名前を付けてくれてたからっていうわけで、JACKになったってわけ。で、今はその復讐をメインにして、報酬としていい人材手に入れて、さらに組織の拡大を目指しているうちに、いろんな裏の分野に手を出していって……いつの間にか一大勢力になった、って話。どう? まあ矛盾点も多いと思うよ。あんたに話せる話なんて全体の極わずかなんだから」


「いえ、大丈夫です。なんとなく分かりましたから」


「そう? じゃあ、他にはどんな質問がある?」


 他に……と考えるが、よくよく考えたら別にJACKの成り立ちなんてあまり興味があるような話でもなかった。まあ、興味深くなかったかと言われると逆で、とても興味深い話ではあったんだが。

 では、なにか気になることといえば?


「……そうだ、私の依頼を担当してくれているのって、スターさん、なんですよね?」


「そうだね。メインはあいつ。ナンバーズ……あー、JACKの構成員なんだけど、アルカナじゃない人たちのことね? この人たちは何人か使ってるだろうけど、基本的にはスター一人だよ」


「では……その、スターさんの実力は、どの程度なんですか?」

 その質問に、ラバーはニヤリと笑みを深めると、面白そうな声を出した。


「あたしは最初にそれを訊かれると思ったんだけどねー。まさか二番目とは」


「そ、そうなんですか?」


「うん。だって不安にならない? 上手くいくかどうか」


「いえ、その……」


 言われてみると、不安感はある……のだが、同時に何故か確信もしていた。

 スターに任せておけば、大丈夫だろう、と。

 そのことを話すと、ラバーは少しポカンとした後、やっぱりね、とつぶやいた。


「なんていうか、格が分かっちゃうのかなぁ。あいつが担当した人全員がそう言うんだよね」


「え? 格?」


 自分は普通の人間で、そんな格とかを見抜くことなんて出来ないはずだが……。


「んー、あいつはねぇ、他の支部ではどうか知らないけど、アルカナじゃあ最強のメンバーだよ。あいつが負けるところなんて想像がつかないなぁ。あ、ちなみにあたしは二番手ね」


 ニコニコと笑うラバーが、嘘をついているとは思えない。

 スターは、このアルカナで一番手らしい。


「運がいいと思うよ~? あいつ、今までの仕事の成功率99%だから。一回だけ失敗しちゃったけど。それも事故だしね」


「事故、ですか……そんなに凄腕、なんですね。とてもそうは見えなかったのに……」


「へえ、とてもそうは見えなかったんだ!」


 ニヤニヤとラバーがとても楽しげな声をあげた。


「じゃあさ、どんな風に見えた?」


「え? それは……」


 と、スターの特徴をあげようと、スターの顔を思い出そうとしたところではたと気づいた。


(スターって……どんな容姿をしていたっけ?)


 スターのことを思い出そうとして首をひねっている私の反応が予想通りだったのか、ラバーは面白そうに話し出す。


「なんにも思い出せないでしょ? まず、男だったか女だったかすら思い出せる?」


「えっと……学ランを着ていたので、男の子だったと……」


「ホントに? 女の子が学ラン着てたって言われたら、そう思っちゃうんじゃない?」


「えっと……」


 落ち着いて思い出そうとする。しかし、思い出せるのは学ランを着ていたことだけで、他には声も、容姿も、挙句の果てに性別すら分からない。

 スターなんて人物が、本当にいたのかすら怪しくなってきてしまう。


「ま、これがスターの能力みたいなモンでね。端的に言うなら、誰からも覚えられないんだよ、スターは。見えているのに、出会ったとしてもそれがスターだとは気づかない。だって、容姿が分からないんだから、気をつけたくても気をつけられない。たとえ真正面からスターが来たとしても、気づけないんじゃないかな」


 自分がこの感覚を経験していなかったならば、こんな話一笑に付していただろう。見ても覚えられない人間がいるなんて。

 しかし、現実問題として、自分はスターのことが思い出せないのだ。声も、顔も、性別も。


「いやー、怖いよねー。常に石こ○帽子を常に被ってるっていうの? まあそんな感じで、誰も気づかない、気づけない。いつの間にか殺されてる……って、それがスターなんだよね。いやー、ホント。スター、なんていい得て妙だよね。星は無数にあるけど、一度でも眼をそらせばもう同じ星を眺めることは出来ない。いるってことは誰だって知ってるのに。見たくても、覚えたくても見れないんだよ、あいつは」


 少し、ラバーの瞳が悲しげに揺れる。

 確かに、それはなんて悲しい人生なんだろう、と思う。誰からも覚えられない、誰にも覚えてもらえない。

 そんな誰の記憶にも残れない人生なんて。


「一応、性別は男だよ。一回あいつから色々教わった時にね、ちょっと裸を見る機会があってさ。いい体してるよ~、彼」


 そんなこと言われても、なんて返せばいいんだろうか。


「まあ、そんなわけでね。他の裏組織もあいつが『男』ってことまでしか知らないんじゃないかな。あたしだって、目の前にスターが現れて名乗ってくれないと、気づけないんだもん」


 苦笑いするラバー。

 その瞳には、やはり悲しみが垣間見える。


「誰かが言っていたけど――人って二度死ぬんだって。一度目は、命を失った時。二度目は、人から忘れ去られた時。誰にも覚えてもらっていないスターって……ちゃんと生きてると思う?」


 生きていながら誰にもおぼえてもらえない。

 それは、もしかしたら、こういう世界で生きるにはとても重要な能力なのかもしれない。殺したりするには、最適の能力かもしれない。

 だけど――それが、日常生活だったら?

 人から覚えてもらえないというのは、どれほどつらかっただろうか。どれほど苦しかっただろうか。


「まあ、だいたいスターの話を聞いたやつってそういう反応をするんだけどさ。そんなにきつくもなさそうだよ?」


「この世界では、ですか?」


「そうだね~。こういったら不謹慎だけど、あたしはアイツのこと羨ましいよ? だって、こんな世界に入ってるんなら……そんな能力、みんな欲しがるよ」


 その後も、いかにスターが凄いのかを語るラバー。

 そう言って語るラバーの目には、どこかはかなげな雰囲気が漂っていた。

 たぶん――少しでも、スターのことを知っている人を増やしたいんだろう。

 少しでも、長く生きさせるために。

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