泉鏡花編
第1話 なんで依頼を受けたか知ってる?
コツン、コツンと足音が響く。
薄暗い路地裏、普段だったら――いや、正気だったら――こんな所には入らないだろう。賢明な大人は、こんな所には来ない。
それなのにそこを歩く私は、もう普通じゃないのだろうか。
――私には、信じている男がいる。いや、いたと言うべきか。
彼とは将来を誓い合い、学生時代からもう十年以上交際していた。来年は結婚しようかと言う話になり、既に婚約指輪までもらっていた。
いつ式を挙げようか、いつ籍を入れようか――大変なことはあったが、幸せな日々だった。
――あの日、彼が死ぬまでは。
その日のことを思い出し、ギリッと奥歯を鳴らす。
偶然が重なったのかもしれない、もしかしたら違う未来もあったのかもしれない。けれど、結果が全て。
そう――結果として彼の会社は無くなり、彼が全責任を負わされて死に追いやられた。
彼の葬式の日、そうやって彼を殺した張本人は言ったものだ。
『何も死ななくても。こんなに美人な婚約者もいたのにさ。ああ、そうだ。貴女、私の愛人になりません? 手当は弾みますよ』
彼の死なんて、結局その男にとっては対岸の火事なんてものじゃない。テレビドラマの中の火事くらいのものだったのだろう。それほどまでに、どうでもよさげだった。
結局、私の手元に残されたのは、彼の生命保険二千七百万と、ローンを組んでまで買ったマンションのみ。彼がいない世界に、そんなもの何の意味があるのか。
この世界にもう彼はいない。なのにアイツはのうのうと生きている。
その事実に我慢出来なくなり――私はアイツに復讐したかった。
そう思ってツブヤイターで一言呟いた。
『人生を失ってもいいから、この手であいつを殺してやりたい』
無論、本気ではなかった。けど、今目の前にその男がいたら、衝動的に殺してしまいそうなくらいには殺したかった。
その殺意が伝わったのかもしれない。
後日、まったく知らないメールアドレスから、一通のメールが届いたからだ。
『FROM:JACK
件名:あなたの依頼、聞き届けました
本文:谷津鏡花さん、貴女の殺意、我々がしかと受け取りました。よって、依頼をお受けしたいと思います。地図を添付しています。その場所に、明日午後五時までにお越しください。それでは、貴女に人生を捨てる覚悟があらんことを』
そして、その地図を頼りに来たわけだが……。
「ここ、よね。間違いない……けど、誰もいないわね」
ついでに言うなら、行き止まりだ。しかし、地図を間違えたというわけでもない。地図上でも、ここは行き止まりということになっている。
だから、誰かが迎えに来るものだと思っていたのだが――
「こんにちは。谷津鏡花さん、ですね?」
突如――闇の中から、声が降ってきた。
それは、男の声のようで、女の声のようで、少年の声と言われたら納得するような声で、しかし老婆と言われればそうであったと思ってしまうような、そんな、印象に一切残らない、特徴の無い声だった。
その声の持ち主を探して辺りを見回すが、誰もいない。
もしやと思って後ろを振り向くが、やはり誰もいない。それどころか人の気配すらない。
まさか気のせいだった? そう思って、再び前を向いた瞬間――
「はじめまして。ボクの名前は、スター。JACKのメンバーです」
――ニコリ、とほほ笑む学ランを来た……男(?)がそこに立っていた。
私はギョッとして手に持っていた鞄を落としてしまう。
(え、え……?)
歳は、十代後半くらいだろうか。いや、もしかしたら二十代かもしれないし、三十代と言われても案外あっさり納得してしまいそうだ。
髪の長さは肩にかかるくらいで、肌は白い。顔立ちは中性的で、男とも女ともとれそうな顔をしている。
そして何より――目の前にいるはずなのに、どこにいるのか分からない。自分でも何を言っているか分からないけど――目の前のスターと名乗った男(?)はニコニコと笑っている。
そんな不気味な男(?)は、こちらへとても自然な動作で歩いてきた。
自然すぎて――私の首筋に手を当てられたことに気づかないほどに。
「えっ……?」
「では、今からJACKの本部、アルカナへ招待します。ああ、そうそう。本部の位置が分からないように、今から眠ってもらいます。ご安心ください、必ず目覚めますので」
ニコニコとした顔のまま――とんでもないことを言いだしたスター。
「ちょ――」
「では、一名様、ご案内します」
ブツン、そこで、鏡花の意識は途切れた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「はっ、こ、ここは!?」
「JACKの本部です、谷津鏡花さん」
私が目覚めると、そこはなにやら不気味な部屋だった。
明かりは天井にある電球一つで、壁も床も真っ黒に塗られている。幸い、テーブルとイスだけは色合いも普通だ。ここだけ見ていれば気分が悪くなることも防げるかもしれない。
「では、改めまして、依頼をお聞きしましょうか」
「え? あ、はい」
不思議と落ち着いている。人生を捨てる覚悟をしてきたから、自棄になっているのかもしれない。
「依頼は……私が殺して欲しいのは、吉村という男です」
「吉村耕平、三十五歳。株式会社○○○○の代表取締役。ここ数年で急成長を遂げているが、敵は多い。つい先日も会社を吸収していましたが……まあ、そこらへんでしょうね。ああ、動機は今さらいいです。大事なことは、今から言う質問に答えていただけるか否かですから」
ドサリ、と紙の束が三つ目の前のテーブルに置かれた。
一束目には吉村の――通っていた小学校から始まり、中学校、高校、そして親類縁者、さらには一度でも行った事のある店までありとあらゆる個人情報が記載されていた。
同様にして二束目には私の婚約者の個人情報が。そして三束目には……私の、個人情報が書かれていた。
「ッ!!!??」
驚きで、声が出ない。
ガタガタと体が震える。人生なんぞ捨ててしまう覚悟をしていたはずなのに、恐怖で震えが止まらない。
生半可な個人情報ではない。自分の、人生全て。それが、その紙束には刻まれていた。
連絡を受け取ったのは昨日だ。そして、ツブヤイターで呟いたのはほんの3日前。
たった、たった3日でここまで調べ上げたのか。
これが――
「そう、これがボクらJACKの力……のほんの一つというか一端です。まあ、この程度殺しには何の役にも立たないですが……ああいや、間接的には関わってくるのかな? とりあえず、力を見せるにはちょうどいいんですよね」
殺しの技術を披露するわけにもいきませんからね、とスターは笑った。その笑みはどこにでもあるような普通の笑みで――だからこそ、背筋が凍った。
「さて――では、今から言う質問に答えてもらいます」
「……はい」
「これにお答えいただいた時点から、依頼が始まります。ご説明もその後ですね。それでも、よろしいですか?」
ゾッ、と。圧力が増したような感覚を味わう。例えるなら――一気に深海へと鎮められたような、そんな気分。
「……かまいま、せん」
それに打ち勝ち、震える声でそう答える。
「分かりました。――では、谷津鏡花さん」
スターと名乗った少年(?)は、うっすらと顔に笑みを浮かべて、人差し指を立てた。
「貴方は、人生を捨てる覚悟がありますか?」
その言葉は、まるで悪魔の囁きだった。
しかし、その悪魔は、自分の全てと引き換えに、復讐を遂げてくれるという。
ならば、問題ない。
「はい、捨てます」
「――そうですか」
躊躇なく頷いた私に、スターはニッコリと笑って右手を差し出した。
「では、ようこそ、JACKへ」
私はその右手を握る。グッと込められた力から――もう、後戻りはできないのだと強く感じられた。
「では――JACKのシステムについてご説明します」
握手を止めたスターはばさり、と四つ目の紙束を出してきた。
「はい」
「まず、ボクたちが要求する報酬は、貴方の全財産。これはつまり、貴方自身も含まれます」
「え?」
こんな三十歳目前の――それも、特に美人でもない女の体を欲しがるなんて、物好きな組織だ。いや、もしかしたら目の前にいるスターとかいう少年(?)の趣味かもしれないが。
私がそんな失礼なことを考えているのを察したのか、スターは苦笑しながら説明を続けた。
「といっても、たいした話じゃありません……貴方にJACKへ入ってもらって、最初の任務をこなしてもらうだけです」
「え? わ、私が?」
「はい、最初の任務である――吉村耕平さんの殺害を行ってもらうだけです」
え――?
思考が空転する。人間、あまりにも予想外のことを言われると何も言えなくなってしまうもののようだ。言われた言葉の意味を見失い、自分の身体の動きが止まる。
私が、吉村耕平を、殺す。
そう言われたという事実を耳が聞き、意味を解釈し、脳が判断したことで――再び、体に動きが戻ってくる。
「!? は、話が」
「違いません。最初からご説明しますので、一度落ち着いてください」
私は、気づくと席を立ち上がってしまっていた。それを指摘され、少し恥ずかしくなってしまい慌てて座りなおす。
「まず、今回のご依頼は、吉村耕平さんの殺害、これに間違いありませんね?」
「……はい」
「そして、それに対するぼくたちへの報酬は、あなた自身も含めた、全財産。これも間違いありませんね?」
「……はい、納得しています」
「では、ここからです。貴方は、この手であいつを殺してやりたい……そう呟いたのではありませんでしたか?」
それは、その通りだった。
あの日は、自分でもどうかしていたと思うが――いや、今もどうかしているか――この手で、確かに殺めてやりたかった。
彼が死んだ世界で、吉村耕平が生きていることが許せなかった。
そこまで考えたところで、ハッとなる。
「もしかして――」
「はい。ぼくたちJACKが依頼を受ける条件は、依頼人が手を汚す覚悟を持っているかどうか、です。自分たちの手は汚さないで、復讐をとげたい……ぼくからしたら、何を温いことを言っているんだ、って話ですよ」
スターの口が、三日月形に歪む。その眼に宿っているのは――狂気。
「自分の人生をなげうってでも、その手で殺す。それが、復讐です。そんな覚悟も無い人間は、たとえ復讐が成功したとしても、その後の人生はどうせ碌なものになりません」
「……ゴクッ」
「もっとも、復讐を志した時点で、普通の人生なんて送れませんけどね」
フッと、眼に宿っていた狂気を消して、スターはおどけたように肩をすくめる。
「とまあ、そういうわけです。もちろん、殺してもらうと言っても……当然、全てをお任せするわけじゃありません」
「そ、そうなんですか」
その台詞に私は多少安心し――そんな私の様子を見て、スターは苦笑する。
「ははは、いくらなんでも、今の今まで表で生きてきた人が、簡単に殺せるほど裏の世界は甘くないですよ。吉村耕平は多少、裏にも顔が利くようなので」
裏の世界に顔が利く、それはつまり、ヤクザのようなモノとのつながりがあるということだろうか?
スターはまた私の表情から心を読んだのか、肩をすくめた。
「ああ、ヤクザなんて、甘いモンじゃありませんよ、裏ってのは。無論、ヤクザはヤクザで警戒に値するんですけどね。日本円を潤沢に持っていますし。ヤクザは限りなく裏に近い表、でしょうか」
「そ、それは……」
「まあ、今回は何にも心配いりませんよ。どうせその程度の裏しか来ませんから。アルカナのメンバーなら一人で十二分です」
ヤクザよりも怖い組織である、裏。その組織を一人で倒せる? なんの冗談を言っているんだ。
しかし、スターの表情は、まるで「一足す一は二だろ?」とでも言っているかのような、ただ事実を告げるだけ、という表情をしていて、その言葉を飲み込むしかなかった。
「というわけで、最後の質問です。ボクらは、これから動いて……吉村耕平をここに連れてきます。そして貴方には、そのとどめを行ってもらいます。ここで怖気づく人は多いんですけどね。自分の全財産を捨てる覚悟は出来ても、人を殺す覚悟はそうやすやすと決まるものじゃありませんから」
「とど、め……」
「はい。心臓に弾丸を撃ちこむだけです。バン! とね。そうすることで貴方の依頼は完遂します。復讐はね」
「復讐……」
復讐、その言葉を聞いた時、頭の中が沸騰するような感じがした。
これは、怒りだ。あの男、吉村耕平へ対する。
なるほど、今自覚した。私は、あの男を殺したい。目の前にいるなら確実に殺している。
ドンドン想いが溢れ出して来る。彼と過ごした日々、幸せの絶頂から突き落とされた気持ち、そしてその彼のことをなんとも思わず、ただ殺した、吉村耕平への殺意。
それらがとめどなく溢れてくる。気づけば、瞳から涙が伝っていた。
これは、悲しみの涙なんて生易しいものではない。復讐する、その覚悟を決めた、怒りの涙だ。
「わかり、ました。やります」
「そうですか。では、今度こそ完全に依頼を受領いたしました。準備が整うまでお待ちください。おそらく3日か4日ほどで終わると思いますので……」
そう言うと、スターは立ち上がって、私の後ろへ回った。
「そうそう、一つ、考えておいてください。貴方自身も、今回のぼくらへの報酬になっているので、今後の身の振り方です」
「今後の……?」
「はい。殺し屋としてJACKに所属するか、死ぬかの二択です」
「!?」
「正直な話、JACKの実情を知った人間をそう簡単に生かすわけにはいかないんですよ。かといって、ただ殺すだけではぼくたちの利益に繋がらない」
だから、と耳元でスターが囁く。
「ぼくたちの仲間になるか、それとも死ぬか、です。無論、死ぬ場合はぼくたちプロが責任を持って後始末まで完遂いたしますし、JACKに所属するといっても、最初から難しい仕事をするわけじゃありません。その場合も、ぼくたちプロが責任を持ってお教えいたします」
プロ、という言葉をなにやら強調している気がする。それが誇りなんだろうか。
「では、考えていてくださいね」
そう呟かれた瞬間、またもや、私の意識は途切れた。
「さて……では今回も仕事いたしましょうかね」
男とも女ともとれる声で、男とも女ともとれる顔をした人間が、暗闇の中一人呟く。
「まあ、ご安心ください、谷津鏡花さん」
謳うように、祈るように、呟く。
「ぼくらJACKはプロですから。徹底的な破滅をお送りいたしますよ」
さぁ――他人の人生を、台無しにしましょうか。
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