後性

@suito

第1話

「後性(ごしょう)」


「選びなさい。今日から貴方も大人になるのだから」

 母は、普段と変わらぬ毅然とした態度で私に向かい合い、微かに先細りする声で選択を、重大とも通過点とも言える選択を迫って来た。

「私は前から言っているでしょ、男性器にするってさ」

「……そう、やはりそうなのね。貴方がそうしたいなら良いわ」

「うん。私は良い」

 薄茶色い木目調のテーブルに差し出された一枚の誓約書が、私に署名を求める。私はボールペンを手に取る。シグノの0.28ミリ、黒のボールペン。内容等読まなくても分かっている。「あーあれねー、読まないで取り敢えず名前書いたよ~」「特に問題無いよね、皆やってる事だしさ。替えの心配をしなくちゃならない家庭なんて滅多にないでしょ」「どうせ飾りだし」「実用ってったって、ねぇ?」主に女友達の声が脳内で木霊する。少なくとも、社会的に「女」とされる人達の声だ。無論、高い声である。「女」とされる人達の中では低いかもしれない。彼女等の声に従えば、私はペンを持った手を即座に紙の上で動かして署名するべきだった。しかし、臆病な私は世の常識とされる事が書かれているそれらを見ずには居られなかった。「女」とされる友人達のほとんどは男性器を選んだ。男性器とは陰茎と精巣の事だ。それらは体外に取り付けられる。生殖器は取り外しも出来るし、選ぶ事も出来る。人間の個体差により適正の振れ幅は有っても、基本的にどちらの生殖器を有する事が出来た。両方を持つ事も、両方を持たない事も出来た。陰茎に至っては尿道だけの使用に搾る事も可能だった。

 私は物心付いた頃から男性器を付ける事しか考えていなかった。「女」の乳房や陰唇等は欲しいと思わなかった。「男」とされる体型の人間に男性器を突き入れたかった。「男」の女性器でも肛門でも良かった。「男」とされる体型に恵まれた人間が組敷かれる光景に、私は興奮を覚えた。

 それだけでは無かった。

 逆に、「女」とされている私の身体に付いた女性器を犯される可能性を考えると頭がおかしくなりそうだった。絶対に嫌だった。挿れたいのに挿れられたくは無い、というのも身勝手だったが、実際にそう感じるのだから仕方が無い。今行っている研究では、それ――「男」の男性器を「女」の女性器に挿入する事――が当然だった時代について調べている。ポルノが増える事自体は良いが、その性交を通常と見なす文化が醸成されて来たかは論が分かれている。確かに、その方が繁殖には合理的だが、在る程度文化水準が上がった後も征服するかの様な性行為への幻想が膨らみ続けた事に疑義が挟まれる。私も疑っている者のひとりだった。

 私は誓約書に署名をし、印鑑を押した。この国はいつまで印鑑を押させ続けるのか。いつまで紙の無駄遣いをするのか。印鑑がロストテクノロジーとなる日はまだ遠いか。

「本当に、良いの?」

「うん。一瞬だけ迷ったけど、良いんだ。約束も有るし」

「そう」母は私から眼を逸らして薄曇りの空を窓越しに眺めた。一雨来そうだった。洗濯物は部屋干しだ。私はペンをテーブルに置いた。

「彼なの」

「うん」

「あの子は、……ううん、なんでもない」母は静かに首を振った。横に振った。寂しげに振った。私はそれを眺めた。まだ遅れている。まだあの時代のままだ。まだ、まだ……。


「俺、もうだめだよ……」

「まだ指挿れただけじゃんか。ここ?」

「あぁっ、ぁっ、待ってっ」

「もっと啼いてよ」

「ひぅ、ぁぁ」低い喘ぎ声が切なく木霊する。男の女性器がきゅうきゅうと私の指を締め付ける。そこは滔々と泉の如く蜜が溢れて来た。男は物欲しげに私を見上げて来る。涙で瞳を濡らして、見詰めて来る。

「俺の中に、早く、挿れてよぉ……」一八〇センチは有る筋肉質な男が、私の男性器を求めて腰をくねらせている。私はその光景に舌なめずりをせずには居られなかった。

 それを幼馴染に話したら、アンタってほんと変わってないねぇ、と感心と呆れの入り混じった笑顔で肩を竦められた。珈琲が冷めて酸っぱくなった感じだった。幼馴染は「女」で女性器持ちだったが、「女」にしか興味が無かった。現代において性別は特に意味を成さない様にも感じるが、適正が性差とも言えなくも無かった。その証拠が彼女であり、「男」とされる身体には微塵も欲情しなかった。絶対に挿れられたくない、というのは私と同じだった。尤も、彼女の場合は手を繋ぐのも「男」とは厭らしいが。私はどっちでもいい。

「ところで、どうすんの。その男性器、ずっとつけとくの? それとも出力下げるの」

「あーそれね。そっちに体力割き続けるのも面倒だしね。それはちょっと思った」

「だよね」

「うん」

 取り外し可能になった生殖器は、機能を絞る事で、その部分に割く栄養を他に回す事が出来た。特に、本物の生殖機能を稼働させるには労力が必要だった。維持するのは上流階級の家庭で、激しい労働が必要無い者である事が一般的だ。生理は身体に多大な負担が掛かり、勃起と射精は体力が必要だった。専用の薬剤等を使わずに勃起を持続させたり複数回の射精を繰り返せるのは、いわゆる逸材だけで、普通は無理だった。昔の人体はもしかしたらすごかったのかもしれない。無論、私も無理だった。かなり疲れた。自慰なんかやれる体力も無い。しかし彼はしょっちゅう自慰をしているらしい。彼の家に行ったら、自慰の為のハリガタやローターが有った。彼は私に玩具で遊ばれたがった。面白かった。

 正直、外性器は邪魔だった。思っていた以上に邪魔だった。まず下着が「男」用である必要が有る。次に、ぴったりしたズボンを履くと不格好だった(「男」が好んで目立たせる場合はまま有る)。ヘンな方向を向いても邪魔。大きくなったりしても邪魔。というか困った。取り外し可能生殖器とは言え、寝る前にポンと外したり、性行為の前にスポッと付けたり出来るわけでは無いのだ。それならペニバンやらなにやら付けとけば良いわけだ。

「ねえ、俺にペニスが有ったらどうする」

「別れる」

「即答か」

「そりゃそうだ」

「えー」

「なんで」

「その方がオナニーしやすいかなって」

「あーなるほど」

 彼はどうやら「逸材」らしかった。今朝、私が起きた時も溜息と水音が部屋に響いていた。だからそのまま犯してやったがもっともっと欲しいとい顔をしていた。私は疲れてしまってもう一度寝た。

「それに、思ったんだけどさ、アナルが有れば挿れられる事も出来るし大丈夫かなって」

「何が大丈夫なんだ」

「うーん、何だろ。挿れられたい欲?」

「お、おう」砂糖を入れ過ぎて甘ったるい珈琲が喉を通って行く。この「男」は、あの誓約書を何度か書き直すのだろうか。私とは違って躊躇いなく名前を書いて印を押すのだろうか。カップを置くと、美味しい、と彼が首を傾げて尋ねて来た。私は、ふふっと笑った。彼も、ふふっと笑った。


〈了〉

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