嵐の前兆

嵐の前兆・1


 真っ赤な砂漠の中に、突然緑の帯が広がる。

 ウーレンの首都・ジェスカヤは、岩と砂と荒れ地ばかりのウーレンにあって、天国のような街だった。

 整然と区画整備された街は、まるで規律正しいウーレンの民を表しているかのようである。しかし、その反面、無礼切りや決闘が日常茶飯事であり、あちらこちらで血が流されていた。

 この大地は、まるで血で染められたかのようだ。


 王アルヴィラント・ウーレンは、血の気の多いウーレンにあって英雄である。

 だが、同時に属国であるリューマやムテ、同盟国のエーデムでは『赤い悪魔』と影で揶揄されていた。

 それだけ血にまみれてきた男だった。

 そして、容姿もまるで血に染まったようだった。

 長く伸ばした赤い髪は、ウーレン風に編み込まれていた。瞳も血の色である。鋭い眼光は、それだけで人を射殺せそうだった。尖った耳の先には、飾り毛と呼ばれるウーレン族独自の赤い毛があった。そして、父親を倣って碧石のピアスをしていた。

 常に『月光の剣』と呼ばれる名刀を離さず、ウーレン王族の証である短剣を持っていた。そして、動きを阻害する豪華な衣装など身につけることがなく、白いマントのみが違うだけで常に軍人たちと同じ格好をしていた。


 ここしばらく、王の血をたぎらせるような戦争は起きていない。

 彼が苦手とする頭と頭の駆け引きごっこ――外交が繰り返され、イライラすることが多かった。

 その度に、彼は愛馬サラマンドと遠乗りに出かけ、気分転換を図った。

 が、今日は、その遠乗りの帰りにかかわらず、機嫌が悪かった。

 ばたばたと王宮に戻り、部屋に入って、王妃の顔を見るなり、いきなり彼女を平手ではり倒した。

「この嘘つき女め! 恥を知れ!」

 はり倒された王妃も、ドレスなどは着ていない。やはり、軍人と同じ格好をしていた。

 彼女は、キッと顔を上げ、王の目を見た。その顔には醜い刀傷があり、美しかっただろう美貌を損ねていた。

 その顔に、紙切れがぶつけられた。どうやら手紙のようである。王妃はそれに目を通し、少しだけ顔色を変えた。

「本当のことを言え!」

 王の言葉が頭から落ちてくる。

 だが、再び頭をさげ、王妃は王に敬意を示した。

「嘘はありません。恥もありません」

 その言葉に怒った王は、王妃の胸ぐらをつかみあげた。

 だが、にらみ合ったのは一瞬で、今度は懇願するような視線に変わった。

「リラ。お願いだ……。俺に嘘だけはつくな。本当のことを言ってくれ」

 その一言で、普通の女は根負けするかも知れない。だが、ウーレン王妃リラは、強情な女だった。

「アルヴィ……ラント様、私に嘘はございません」

 とたんに、王妃は床に押し倒された。

 首に手をかけられて、彼女は目を裏返し、ピクッと唇を振るわせた。

 絞め殺しそうな勢いである。だが、王の手は震えていて、しかも燃える赤い瞳には、涙さえにじんでいた。

「おまえは……バカだ!」

 その捨て台詞で、王は出て行った。


 王は馬に人以上の信頼をおいていた。

 人は嘘をつくが、馬は嘘をつかない。

 結局、遠乗りから帰ってきたばかりだというのに、再び愛馬にまたがって出かけて行った。

 行き先は、ある女のところ。

 五年前、王妃の出産に立ち会った者で、宰相ソリトデューン・モアラの妻・シーラだった。

 シーラも嘘つきかも知れないが、リラよりは女らしいところがある。情もある。

 だから、真実を話してくれるだろう。



 残された王妃は、床に転げたまま、小さく咳をした。

 押しつけられた指のあとは、しばらく消えそうにない。だが、それが、久しぶりに夫が彼女の体に残したものであれば、それはそれでよかった。

 ここ数年来、二人が体を重ねたことはない。子供を亡くしてから、夫婦関係がおかしくなってしまったのだ。

 だが、その子供のことで、困ったことが起きてしまった。


 王妃は立ち上がると、すぐに一人の男を呼び出した。

 黒髪の男は、すぐに現れ、王妃に敬意を示した。

 ウーレンの宰相にして軍師ソリトデューン・モアラだ。ウーレンでは、親しい者は彼をデューンと呼んでいる。

「リラ様、お待たせいたしました」

「待ってなんかいない。デューン。だが、時間も待ってくれない」

 不機嫌そうに、王妃は言った。彼女は、堅苦しい挨拶が嫌いなのだ。

「あんたの妻の口が軽かったら、口を利けないようにしてやるところだけど、あたしにだって情がある。シーラを愛しているなら、彼女に秘密をばらさせないで! もしも、シーラがベラベラと王に言ってしまったら……あんたが責任もってどうにかしな!」

 デューンは顔をしかめた。

 どうやら、妻のシーラと企んで子供を助けてしまったことが、すべてばれているらしい。

「すまない、リラ」

「謝る必要はない。あたしが、あれを殺せなかったのが悪い……いや、あんなのを生んだのがすべての始まりさ。それより、早く行きな!」

 デューンはかしこまると、身を翻して立ち去った。


 また一人になると、リラは王が持ってきた手紙を広げて、もう一度目を通した。

『ウーレン王アルヴィラントの息子は生きている。異形ゆえに打ち捨てられた。ムテの地にて、ジュエルと名付けられて、育てられている』

「……ったく。いったい誰の陰謀やら……」

 リラは、その手紙を宙に放り上げると、さっと剣を抜いた。

 だが、手紙の下を剣先は素通りして、風圧で手紙を押し上げただけだった。さっと剣を収めると、リラはひらひらと落ちてきた手紙を手に取った。

 技量不足で手紙を切り刻めなかったのではない。途中で気が変わったのだ。

 この手紙は、犯人の残した唯一の証拠である。敵を討つには必要なものだ。

「殺してやる!」

 そう叫んで、リラは手紙を懐に収めた。

 切り刻むのは、手紙ではなく、差出人のほうに決めた。

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