嵐の前兆・2

 

 サリサは、はっとして目が覚めた。

 朝はいつも気持ちのいい目覚めではないが、ウーレン王妃の殺気を直に感じて、ぞっとした。


 先日の夢見は、リューマ商人が捕まり、切り刻まれた夢だった。

 サリサはこの男に暗示をかけ、密告の手紙を書かせた。

 そして、手紙をウーレンまで運ばせ、こっそりとウーレン王の馬具に挟ませた。 

 夢の中で、彼は捕まった時、気の毒にも手紙のことを何一つおぼえていなかった。だが、筆跡と厩に忍び込んだところを目撃したという証人が現れ、哀れ、ウーレン王妃の剣の露となった。

 あまりの罪悪感に、吐き気がした。


 その次の夢見は、もっとひどい。

 エリザが、ジュエルを我が子ではないと知り、育児放棄してしまう夢だ。

 温かなスープと蜂蜜とパン。美味しそうな食卓で、口を動かしているのは、エリザだけだ。

 その間、エリザはジュエルを見ることも、話しかけることもない。

 その表情は、まるで仕え人のように、何も浮かんでいない。

 ジュエルは、エリザが食事しているのをじっと見ながら、何も言えないでいる。

 お腹がすいた……の一言さえ、母親が恐くて言えないのだ。


 そして、今朝見た夢は……。

 馬車の中から、ジュエルが叫んでいる夢だ。エリザは、その声が聞こえているはずなのに、背を向けている。

 声は、だんだん小さくなり……やがて、聞こえなくなった。



 密告の手紙を送って以来、サリサは心病並みに能力が研ぎすまされている。

 疲労はタダならない。浪費も激しい。

 夢見は、必ず将来訪れる未来ではない。それを見ることにより、避けることができるから……。だから、悪い夢こそ、たくさん見たほうがいいのだ。

 この能力はありがたいくらいだ。だが、今のサリサは精神的にやられかけている。

 一刻も早く、動きがあってほしい。いや、その嵐が怖い。

 平穏であってほしい……が、今のままでも死にそうだ。


 ――アルヴィラント・ウーレンは、情の深い男だ。


 ジュエルはウーレンの刺客に狙われている。

 だが、ウーレン王がジュエルの存在を知ったならば?


 もちろん、あの手紙の命令が、王のものではないとは言いきれない。だが、サリサは、王はいまだ何も知らさせていないのだ、と確信していた。

 古き友人を信じたのだ。

 そして、血の繋がりによる愛情も信じた。

 そもそも、なぜ、ウーレン宰相がムテにジュエルを連れてきたのか?


「王に判断を仰げば、この子は助かってしまう。そうなれば、王の『人間の子狩り』は正当性・公平性に欠け、道理に合わなくなってしまう。我々は困るのだ」


 ――あの男は、親バカになる。

 だから、だ。


 サリサは、かつて一緒に旅をしたアルヴィを思い浮かべた。

 あの頃の彼は、屈託のない明るい少年だった。

 長い時と多くの戦いが彼を変えていなければ……必ず子供を守るだろう。

 偽の親であるサリサが、もうジュエルを守れないのであれば、すがるべきはその人しかいない。


 実の親が実の子を守る。

 それこそ、本来のあるべき姿であり、当然のことだ。


 数日後、ウーレン王から直々の命令がくるだろう。

 ムテの地にて、ウーレンの保護の下で、秘密裏にジュエルを守り育てることが可能になるだろう。

 ウーレン王の意向に反して、ウーレン人は誰もジュエルを殺せない。

 ジュエルをウーレンの手から守るのは、これしか方法がなかった。

 サリサはそう確信して、行動を起こした。

 だが、この方法は、危険が伴う。

 その情報が、ジュエルを探っているらしいリューマ族の地下組織・火竜党にも漏れる可能性があるからだ。

 おそらく、おかしな噂を広げているのも、その辺りのリューマ族だろう。


 そして……。

 エリザにも真実がわかってしまうだろう。

 ジュエルの正体を知った後の、夢見の中のエリザのことが気になった。

 ずっと、打ち明けようとして、結局打ち明けられずにここまできてしまった。


 ――エリザは、ジュエルの真実を受け止められないかも知れない。


 繭玉に包み込むようにして、守ってきた秘密。

 二人の絆である銀色のジュエルの死、そして、とりかえっ子の漆黒のジュエル。

 籠の中に閉じ込めるようにして、守り育ててきた子供。ムテの中の平和な小さな世界。

 全ては、エリザが心を病まぬよう自ら作り上げてきた結界だ。

 その守りの壁が決壊した後は……おそらく、エリザは心身ともに嵐の中に身をおくことになる。


 サリサはそっと手を伸ばし、ベッド脇の引き出しから、宝箱を取り出した。

 開けると、中には砂糖の粉だけが残っている。


「これは元気になる薬ですよ。私たちは、半分ずつ分けあった。だから……何か辛いことがあったら、お互い半分ずつ分け合いましょう」


 そう約束したのは、一体いつのことだっただろう?

 はるか彼方、昔のように思える。

 あの時はまだまだお互いに子供で、ただ純粋にエリザを守れる大人になりたい、と願ったのに。

 大人になったと思える今は、分け合う飴すら残っていない。


 ただ、星のように太陽のように、敬愛される最高神官として……祈るしか、力になれない。



=嵐の前兆/終わり=

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