ムテの外の荒れた世界・4


 手紙が届いてから、サリサは夜も眠れなくなった。

 署名もないのだから、誰かの悪ふざけかと思いたかったが、封蝋は偽造ではない。噂が噂を呼んで、やがてジュエルにたどり着くことを恐れて、先手を打ったのであろう。

 モアラはウーレン王族の血を引く家系の出だが、今はウーレン王の片腕と言われる男、その男が皇子の抹殺命令を署名付きで出せるはずがない。そもそも、ムテに皇子を託した理由も、自分で手を下せないからだ。

 ムテで都合よく病死にでもなってくれれば、ありがたいとでも思っているのだろう。

 サリサが手を下さないとわかったので、ウーレンは刺客を放った。

 彼の地には、優秀な暗殺者がごまんといる。毒殺でもなんでもお手の物である。

 しかも、ムテの保護区を守っているのは、ウーレンである。サリサの結界だけでは、刺客の侵入を防ぐことはできない。

 サリサの神経は、ずっと高ぶったままだった。

 気を張りつめていると、異質な者が侵入したら、手に取るようにわかるのだ。


「では……。私が見た男は、ウーレンの刺客だったのですか?」

「そうです。あの男は、エリザとあなたに、吹き矢で毒の針を打ち込んだのです」


 殺気に気がついたサリサは、慌てて山を下りた。

 だが、もしも書類の仕え人がいなかったら、間に合わなかっただろう。

 ウーレンの刺客は、エリザを眠らせておいて、ジュエルを連れ去り、ムテ以外の地で殺そうと考えたのだ。

 平和なムテで不審な死を迎えれば、また妙な噂になる。他の地で死ねば、あまりに当たり前のことで、誰も気にしない。

 刺客の計画は途中までうまくいった。

 しかし、ウーレンの刺客は、気配を断つことに秀でた仕え人を察知することはできなかった。

 あそこで、ばったり顔をあわせる人がいるとは、全く思わずにいた。が、仕え人は、平和な世界でしか生きてこなかったので、あっけなく、刺客の放った吹き矢の餌食となったのだ。

 子供を連れ去ろうとしたところ、今度はサリサに見つかった。毒針がもうなかった刺客は、サリサが放った鞭を見事にかいくぐって、逃げて行ったのだ。

 毒は、死に至らしめるものではなく、一定時間、意識を失わせるものだった。

 おそらく、刺客の計画がうまくいっていたとしたら、エリザは自分がうっかり眠ってしまったすきに、ジュエルが家出したと思い込んだだろう。

 半狂乱になって騒いでも、誰もウーレンの仕業とは思わない。

 これぞ、ウーレンの暗殺の技、見事なまでの筋書きである。


「サリサ様! 感心している場合ではありません! きっとこれからもこのようなことが起きますわ!」

 リールベールが叫んだ。

「感心しているのではありません。ぞっとしているのです。向こうは暗殺の専門家、こちらは祈るだけしか能がないのですから」

 書類の仕え人も叫んだ。

「サリサ様! どうしてもっと早くに打ち明けてくださらないのです? 私はそのほうが情けない……」

「あまり不安を広げたくはなかったのです。ムテの地に、ウーレンへの恐怖が広がれば、今の平和は失われます。我々は、リューマ族のようにウーレンに反旗を翻す力はありません」

 二人の仕え人は押し黙った。

「……では、どうしたら?」

 サリサは、火鉢の中に手紙を捨てた。

 赤い炎が、パッと上がりサリサの顔を照らした。その顔は、明らかに怒りに燃えていた。

「サ、サリサ様!」

「最近は……手紙が届かないこともあるものですよ」

 しんみりと、サリサは言った。

「それに、この手紙には何も署名がない。燃えてしまえば、何も残らない」

 メラメラと燃えてゆく手紙を、三人は無言で見つめていた。

 手紙がすっかり灰になると、サリサは蒼白な顔のまま、呟いた。

「……とはいえ、また刺客が送られてくるだけですね」


 サリサもどうしていいかわからなかった。

 手紙を無視すれば、刺客が来るのはわかっていた。

 平穏なムテで血を流すのは、ウーレンにとっても得策ではない。ウーレンは、秘密裏に処理するよう、サリサに手紙を書いたのだ。

 だが、今更……。

 ジュエルを殺せるわけがない。


 ムテのどこにジュエルを隠す?


 書類の仕え人が言った。

「学び舎に入れてしまえば……」

 彼は長く学び舎にいた。そこの閉鎖性はよく知っている。

 が、サリサは、首を横に振った。

「その学び舎で、ギルトラント・ウーレンはウーレンの軍師に死ぬほど鍛えられた過去があるのですよ? つまり、ウーレン族にとって、簡単に忍び込める場所です」

 リールベールが口を開いた。

「やはり、霊山しかないのでは?」

 それもサリサは首を横に振った。

「ムテで一番守りは堅いと思いますが……。霊山の気に逆らって、ウーレン宰相が霊山を訪れたことを考えれば、到底、霊山でジュエルを守れるとは思えません」

 しかも……霊山の気は乱れる。

 霊山は、ムテの人々全員の心のよりどころだ。

 ウーレンの殺戮者たちを霊山で迎え撃つのは、ムテ全体のことを考えると、最高神官として、絶対に避けなければならない。

「確かに以前の私は、エリザとジュエルを霊山にて保護し、そこで十五歳まで育てるよう画策したこともあったのですが……今となっては……」

 その話は、一度は受け入れてもらえたものの、エリザは山を下ってしまった。同じ話をエリザが受けるとも思えない。

 書類の仕え人が、少しムッとした口調で言った。

「ならば、サリサ様は、ウーレンのとんでもない命令に従って、ジュエル様の命を差し出されるのですか?」

 サリサは、天をあおいだ。


 ――ウーレンの命令に、ムテは逆らうことができない。


「サリサ様!」

 サリサは、ふっと小さなため息をついた。

「とても危険なことですけれど……。方法を思いつきました」

 二人の仕え人は、じっとサリサの顔を見つめていた。

 サリサは、遠くを見つめたまま、ゆっくりと自分に言い聞かせるように言った。

「こういう時こそ、信じることです。友人を信じること……」

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