ムテの中の小さな世界・3
――夏。
エリザは、ある男と出会った。
リューマの市で、ガサの弟子だという長身の男だ。
名を、トビと言った。
リューマ族にしては明るい髪の色をしていて、人の良さそうな笑顔だった。元々はいい家の育ちらしく、品もあった。
エリザはトビが気に入って、よく世間話をするようになった。
その彼の口癖が「子供が欲しい」である。
「俺のカミさん、黒髪で青い目なんだ。どうも子ができない体質みたいで、かわいそうで……。いい薬はないかなぁ?」
エリザは、トビに同情した。
子供ができなくて辛い思いをしたのは、エリザも一緒である。それに……親の容姿に似ない子供は、とても不幸だ。
いっそ、ジュエルが最高神官の子供ではなく、トビの子供として生まれたなら、どんなに幸せだっただろう? と思う。
やや蒸し暑い日。まぶしい日差し。
家の中は薄暗いだろう。
エリザは、今日も、窓を閉め切った家にジュエルを閉じ込めている。
トビの話は、だんだん切羽詰まって来るようだった。
「エリザさん、子宝に恵まれる薬っていうものは、調合できないものでしょうかね?」
トビがいきなり真面目に聞いたので、エリザは笑った。
「リューマのトビさんがそれをムテに聞くの? そのような薬があるのならば、ムテの巫女制度は廃止されましょうよ」
かつて、ムテの古代の純血種は、千年は生きることができたという。しかし、子を産める回数は少なかった。寿命が縮まっても、その回数は少ない。
ゆえに、ムテの血筋は滅びの道を歩んでいるともいえる。
「……そうでしたね。でもね、エリザさん。俺のかみさんは、どうも子供が出来ない体質のようなんだ。ばりばり頑張ってはいるんだけれど」
「それは、お気の毒……。でも、お力にはなれないようですわ」
ムテで調合できそうなのは精力剤くらいだった。それは、まだまだ若いトビには不要なものらしい。
「いいんだ。あきらめはついているさ。だがね、かみさんがかわいそうでね。かみさんに似た子供がいたら、養子に迎えようと思っている」
「奥様は……それでいいの?」
「あぁ、自分には無理だと感じているからね。でも難しいのさ」
トビは大きく伸びをして、ため息をついて見せた。
「俺のかみさん、黒髪で青い目なんだ。似た子を探すのは大儀だよ」
その言葉を聞いて、エリザは我が子を思い浮かべた。
銀色の目を持ち、銀色の髪をもつ両親から、漆黒の髪と群青の瞳をもつ子供が生まれてしまった。
おかげで、ジュエルはいつも一人なのだ。
親に似ないということは、とても不幸なことだと、エリザは思っている。
リューマにも、黒髪・青い目は珍しいのだろうか?
「そう……大変ね。でも、やっぱり子供は親に似ているほうがいいと思うわ。辛い思いをするのは、子供のほうですもの」
気がめいると、エリザはサリサのことを思い出す。
優しい言葉が欲しくなり、ふと、霊山を見上げては、すぐに自分の影に目を落とす。
夏の日差しが作り出した影は、黒々としていて、どこか邪だった。
影に追われるようにして、家に帰る。
扉を上げると、圧されたような空気がエリザを包んだ。息苦しさを感じた。
何か温かいものが抱きついた。
「母様、お帰りなさい」
ジュエルだった。
抱きしめると、髪がしっとりと汗で濡れている。窓を開けてはいけないという言いつけを守り、じっと我慢していたのだろう。
たまらなくなってしまう。
慌てて窓を開けると、爽やかな風が家の中を渡った。
「ジュエル。お風呂にしましょうか?」
「うん!」
子供は、何ひとつ文句も言わず、うれしそうに群青の瞳を輝かせた。
エリザはぬるめのお湯をため、ラタの石けんでジュエルを洗った。
「きゃ! 母様、くすぐったいよ」
うれしそうにジュエルははしゃいだ。
エリザもラタの泡を飛ばしながら、微笑んだ。
が……。
髪を洗っているうちに、この色がきれいに流れ落ちて、銀色にならないものか……と考えてしまった。
そうすれば、仕事にでもどこにでも、ジュエルを連れ出したかも知れない。
かわいい子でしょう? と、自慢して歩いたかも知れない。
だが、洗っても洗っても、黒髪は黒いままだった。
ジュエルを寝かしつけ、机に向かうと……。
一通の手紙があった。
来た手紙は、きちんと机に置いておくこと。ジュエルは、言いつけをよく守っている。
エリザは、何気なく封を開けようとして……目を見開いた。
懐かしい封蝋。最高神官のものだった。
慌てて開ける。
久しぶりの最高神官の字だった。あまり長い内容ではなかったが、エリザは涙が出るほどうれしく思った。
久しぶりとは思わせない、いつもと変わらない調子で『ジュエルは、私の子でもあります。悩みがあったら相談してください』とある。
ひどい無礼を働いた。なのに、何と心の広い人なのだろうと思う。
どうしても自分からは言い出せなかった言葉――だが、望んでいた言葉だった。
エリザは、さっそく返事を書こうとして……手を止めた。
今更、頼れない。
あんな別れ方をして。
それに、公にはされていないが、マヤが能力の高そうな男の子を出産したことを、エリザは知っていた。当然銀髪で、生まれ落ちた瞬間から、能力が高いとわかるような子だという。
そのような中、とても、ジュエルのような黒髪の子のことを書けない。
エリザは、手紙をうやうやしく胸に抱き、その後、引き出しの中にしまい込んだ。
そして、眠っているジュエルの寝顔を見た。
――至らない子供でも、私には愛しい子。
この子と二人だけの、小さな世界があれば……もう何もいらない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます