決別・14


 エリザは、サリサを絶望させる天才だった。

 すっかり諦めさせてくれるのかと思えば、わがままを言ってふりまわし。その気にさせてくれたかと思えば、再びたたき落とす。

 本当に、ひどくてずるい人だと思う。

 だが、サリサは、思ったほど落ち込まなかった。むしろ、想像がついていた。

 期待するほうが間違っている。打ちのめされることに、サリサ自身も慣れてしまったに違いない。


 エリザは、病気なのだ。

 祈り所で死にかけた時、エリザの心の病は始まった。

 そして、まだまだ癒えることがない。

 だから、エリザがラウルへの執着を見せた時、サリサが感じたのは嫉妬ではなかった。

 むしろ、ラウルへの同情とエリザへの哀れみだった。

 二人の間に、もうラウルという第三者が入る余地はない。それほどに、二人は心を分け合ったのだ。


 ――その事を、エリザはどうしても気がつきたくはない。


 この恋は、いつもぐるぐる堂々巡りを繰り返す。

 離れることもできず、忘れることもできず、成就させることもできない。

 この鎖を解き放つためにも、お互い遠くに離れるべきだ。


 エリザを自由にしてあげたい。

 そして……もう……自由にして欲しい。


 サリサは、くちゃくちゃになった承諾書をひろい、封筒に入れた。

 そして、エリザに差し出した。だが、彼女は受け取ろうとしない。

「大丈夫よ、私の気持ちをわかってくれたら、ラウルはきっとエーデムになんか、行かない」

 また、振り出しに戻っている。

 エリザには、ラウルの苦しみが理解できないのだ。

 別の男と心を通じ合わせている妻なんて、ムテ人の誰が望むだろう? 銀のムテ人は、けしてふたつ心を許さない。

 エリザは、サリサかラウルのどちらかを選ばなくてはならない。

 そして、本当に小さな幸せを望むなら、ラウルを選ばなければならない。


 ――霊山には、禁じられた苦しい想いしか、ないのだから……。


 ここ数年、神のようなふりをして、じっと耐え続けていた。

 それも、もうおしまいにしたかった。

 サリサは、無理矢理、エリザの懐に封筒を押し込めた。

「これは、あなたの幸せのためですよ。本当にラウルを愛しているなら、これを使いなさい」

「……いらない」

「いいえ、必要になります。誤解を解く唯一の方法ですから」

 誤解などではない。真実だ。

 エリザは、サリサを愛している。

 だが、エリザがこの手紙を使えたとしたら、『誤解だった』ことが、いつか真実になる。

 いつか……心も新たに旅立ってゆくだろう。

 エリザは、最高神官に敬意を示した。だが、その表情は、ムテの仕え人たちと同様、紙のように薄くて表情がなかった。

 サリサも顔色を失っていた。


 サリサが部屋を出ると、医師の者が控えていた。

 どうやら、取り込み中を待っていてくれたらしい。

「部屋を占領して申し訳ありません。お待たせしましたね」

 サリサが言うと、医師の者はため息をついた。

「本当に長い間待ちましたが……これで、やっと終止符が打てるのでしょうか?」

 思えば、サリサの恋は霊山を振り回し続けた。誰もが翻弄されてきた。時に、恋が優先され、霊山の秩序は乱れた。

 恋はとても不公平。個々を捨てた霊山には似合わない。

 ましてや、最高神官には。

「今度こそ、決別します」

 サリサは、きっぱりと言った。

 そして、もう二度とエリザのことを考えない……と、心に誓った。


 


 風の強い日だった。

 村はずれのリューマの市がたつ場所に、シビルの馬車が待っている。

 既に三日前から、少しずつラウルの荷物は積まれていた。だが、婚約者であるエリザの荷物も子供の荷物もなかった。

 シビルは、風の音を聞きながら、この馬車に乗り込むのは、一人なのか、それとも三人なのか、思いを巡らせた。

 思わず結界を張ってしまったほどの、激しい敵意。

 あの女性が、とてもついてくるとは思えなかった。だが、ムテがたった一人で見知らぬ土地で暮らすのは、精神的に負担だ。

 支えになってくれる存在が、必ず必要になる。

 ラウルは、最後の説得を試みている。朝発つ予定が、もう夕になる。

「できれば一緒に来てくれるといいんですけれどねぇ……」

 シビルは、ふっとため息をついた。



「来るのか? 来ないのか?」


 ラウルの言葉に、エリザは最高神官の承諾書を広げてみせた。

 一瞬、ラウルの顔に安堵の色が見えたが、あっという間に緊張の色に変わった。

 エリザは、承諾書をラウルの目の前で破いた。

 細かく細かく千切った。そして最後は窓から捨て、風に舞い散って、消えてなくなってしまった。

 雪か花びらのように舞い上がった紙切れを、エリザは見送り、窓を閉めた。

 かちり……と音がした。

「私たち、ずっと幸せだったじゃない。それを捨てて、見知らぬ土地に行くなんて、間違っている」

「エリザ。僕は、霊山から離れたい。それに、あなたも霊山の呪縛から離れるべきだ。そうしないと、本当の幸せなんて得られない」

「ラウル、あなたは誤解しているわ。私は、もう、霊山の束縛なんか受けていない。ただ、最高神官を敬愛し、恩恵を享受しているだけだわ」

「僕は、誤解なんかしていない」


 時間ばかりが過ぎていって、何も進展がなかった。

 その様子を間で見ているのは、小さなジュエルだけだった。

 彼は不安そうに、エリザとラウルの顔を交互に見つめるだけだった。

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