決別・12
「あそこまで礼を尽くしましたのに……まだ、身元調査だなんて、あなたも大変失礼な方ですね」
シビルはニコニコ微笑みながら、かなりきつい言葉をはいた。
ムテの霊山『応接の間』での出来事である。
散々、仕え人からもそう言われていた。
だが、サリサも微笑み返した。
「身元調査だなんて。ただ、私はあなたにお会いしたかっただけですよ」
会って確認したところで、全く間違いはない。
サリサは、異国の大商人に敬意を示した。
「エーデムのシビル・レーヴェル様。ムテは、あなたを歓迎いたします」
もちろん、エリザの不安を払拭するため、シビルに会いたかったというのもある。
だが、同時に、ムテの最高神官として、ムテに足を運ぶ異種族の確認は怠りなくしておきたかった。
商売を一手に引き受けているレーヴェル家の者は、エーデムが鎖国状態にある今、自らが動く事は少なく、たいていは雇ったリューマ族を動かしている事が多い。
シビルがわざわざ足を運んだのは、実際にラウルに会って、人となりを確認しておきたかったのだろう。
どんなに才能のある人物であっても、ムテは弱い。エーデムに連れ帰ったとたん、心病になってしまわないとも限らない。
「長い戦争の時代が終わっても、エーデムは鎖国を続けます。内需拡大は、重要な政策となります」
「エーデムは、華やかなる時代を迎えそうですね」
シビルはニコニコと微笑んだ。
「あなたをエーデムにお連れしたいですよ。今も充分華やかです。セリス様の御代は、おそらく歴史で長く語り継がれることでしょう」
サリサも、ニコニコと苦笑した。
エーデムはご免被りたい。幼い頃、そのエーデム王セリスに、地下牢に閉じ込められた経験があるので、きっと、彼とは気があわない。
「ところで、サリサ様……。あなたもずいぶんと変わった趣向がございますね」
いきなり、ニコニコしたまま、シビルが言った。
「私は平凡な神官ですが?」
「でも、お子は人間? わざわざ、そんなあからさまなことを、民人に信じ込ませようなんて」
さすがにサリサは笑えなかった。
「そんなことをしたつもりはありませんが?」
「そうやっておとぼけになる。私が一番苦労した点ですよ。セリス様は、あのジュエルって子供には、かなり神経質だったようで……」
ぎくり……とした。
もしかして、エーデム王は、ジュエルの正体を知っているのかも知れない。
「人間の子をかくまうなんて、ウーレンに知れたら、同盟国としてやっかいですからね。でも、あの方の真意は別にありそうで」
サリサは、態度を硬化させた。
「エーデムであの子を守れないならば、誰もエーデムには送れません」
エーデム王は、なかなかしたたかな男である。
何せ、地下牢に閉じ込めた甥に対し、死んでもいいと言った王だ。
――滅多なことはないと思うが……。
シビルは、くすくすと笑った。
「よほど、ご執心なのですね。安心してください。私が責任を持ちますから。それに、ラウルさんから、昨日、お返事をいただいています。エーデムで働かせてくださいと」
「え?」
思わず声が出てしまった。
「おや? 癒しの巫女からの申請はまだでしたか? あらら、ラウルさんはお一人で来るつもりでしょうかね?」
「……いえ、それはないと思いますが……」
サリサは、驚きを隠せなかった。
先日の今日である。
まさか、あの状態のエリザをラウルが説得させられたとは、思いがたい。
まさにその頃、ラウルとエリザも対峙していた。
エリザは、ラウルの言葉を信じられず、三度も聞き返していた。
「もう一度、言う。今度で最後だ。僕は、エーデムに向けて、三日後に発つ。もしも、僕についてくる気があるなら、その時までにジュエルとあなたがムテを出る承諾を、最高神官からもらって欲しい」
最後と言われた言葉を、エリザはまだ理解できなかった。
「どういう事?」
「今、言った通りだ」
ラウルはそう言うと、エリザに背を向けた。そして、部屋の片隅の作業場を片付け始めた。
エリザが、体に障ると心配し続けた細工の仕事。
だが、今から思えば、この細工の仕事があったから、押しつぶされそうな虚無感から逃れられていた。
ラウルは、大事な道具をひとつひとつ、布で包んでいった。
その手を、エリザが掴んだ。
「ラウル、待って! もしも、細工の仕事がしたいなら、ここでしてもいいわ。もう嫌な顔も心配もしない。だから、エーデムに行こうなんて言わないで」
ラウルは、無言でエリザの手を払った。
いまだにエリザは、ラウルの気持ちを全く理解できないのだ。
「ラウル! 私、恐いの! エーデムなんて知らない土地になんか、行けない! だから、ラウルも行かないで!」
エリザはすっかり困惑して、怒鳴り散らした。
だが、ラウルの手を止めることはできなかった。
「ねえ、ラウル。お願いよ……。私たち、幸せだったじゃない。私、この幸せを失いたくないの」
泣きながら、エリザは訴えた。だが、泣き落としもダメだった。
残念ながら、それはエリザの幸せであってラウルのではなかった。
エリザはついにラウルにすがって懇願した。
「ラウル! 私を愛しているのでしょう? 私もあなたを愛している。だから……」
ついに、ラウルの手が止まった。だが、その手は怒りに震えていた。
「もうたくさんだ、エリザ」
エリザはラウルにすがったまま、目を見開いた。
今の言葉を、信じることができなかった。
ラウルは、吐き出すように言った。
「僕は、あなたを愛していた。でも、あなたは僕を愛してくれたことはない」
「何を言っているの?」
ラウルは、そっと自分にかかったエリザの手を外した。
「あなたはサリサ・メル様を愛しているんだ」
エリザの中で、かっと血が逆流した。
そして、大きな声で怒鳴っていた。
「それは、ラウルの誤解よ!」
本当に、誤解だったら……と、何度思ったことか。
「ああ! ラウル。あなた、あのへんな商人に騙されているんだわ! それで、頭がどうにかしちゃったのよ!」
ラウルにとってみれば、どうにかしているのはエリザのほうだった。
「あの商人の化けの皮を剥いで見せてあげるわ! 今頃、サリサ様がお調べになっている。だから、待っていて!」
また、頼るのは最高神官。
困った時は、いつも霊山。そして、最高神官なのだ。
それは、ラウルと出会った頃から、何一つ変わらない。変わったとしたら、彼を思い出して泣かなくなり、代わりに彼を思い出して微笑むようになっただけ。
それこそ、エリザの幸せの正体だ。
「エリザ!」
ラウルの声が、エリザを後追いした。
「霊山に行くなら、最高神官から承諾書をもらってくるんだ!」
エリザがばたばたと出て行く。
ラウルは、絶望していた。
――彼女は、承諾書など持ち帰らない。
霊山の中腹の門の近くまで来た時だった。
走ってきたので、かなり息が苦しかった。ふうふう、息を整えていると、門が開き、変わった衣装の男が何人かのリューマ族を従えて出てきた。
ムテの霊山に、異種族が出入りする奇妙さ。霊山の気が乱れるので、滅多にありえないことだった。
エリザは、すぐに、エーデムの商人気取りの悪人だと思った。
サリサが呼び寄せて、謁見したに違いない。
――あの人が、ラウルを狂わせたんだわ!
エリザがずっと夢見ていた幸せ。それを奪った男である。
思わずカッとした。
後先考えず、エリザはシビルに向かって走り出した。
ただ、一言。
「ラウルを返して!」
そう叫んで、エリザはシビルを突き飛ばそうとした。
護衛だったはずのリューマ族も、エリザを止めることはできなかった。
それほどに、エリザは殺気に満ちていて、あたりを圧倒していたのだ。
だが、エリザはシビルに届く事はなかった。
あと、少しでシビルに仕返しできると思った瞬間、エリザははねとばされていたのだ。
全身にびりり……と衝撃が走った。特に右腕がしびれて、動かなくなった。
あっという間に、エリザは地面に倒れていた。
意識がなくなる寸前に、シビルの心配そうな顔が見えた。
「……あら、ごめんなさい。そんなつもりじゃなくて……」
なぜか謝る声が聞こえ、エリザはそのまま気を失った。
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