決別・10
シビルに会うたび、ラウルは心が揺れ動く。
今回も、鉄壁の決意を下げて会いにいったはずなのに、帰りには数日返答を待ってくれるようお願いしてしまった。
帰り道、ぴょんぴょん跳ねながら、ラウルの回りを歩いている子――ジュエルの話は、一番衝撃的だった。
すべてを信じるわけにはいかないが、まんざら嘘ではないと思えてくる。
ララァがジュエルを閉じ込めた事件や、アウラがエリザとジュエルを避けていたことを思えば、合点がいってしまう。
でも、エリザがジュエルの正体を知っているとは思えない。彼女のジュエルに対する思いは、時に少し行き過ぎと思うくらい、深いものだ。
となると、秘密を知っているのは、最高神官ということになる。
「ラウル。あの服。ひらひら」
話を全く理解していないジュエルは、きれいなものを見てうれしかったのか、興奮が収まらない。
かわいい子だと思う。だが、同時に恐ろしい。正体を知れば、ますます恐い。
この子が人間だとしたら、エリザがかわいそうだ。
最高神官は「エリザを愛している」と言った口を持ちながら、なぜ、同時に不幸の種を、エリザに押しつけたのだろう?
思えば思うほど、許せない。
そして、エリザがそんな男に想いを寄せているのも、腹立たしく思う。
その夜、ラウルはむすっとしたまま、食卓に着いた。
野菜シチューをよそうエリザの手が、少しずつゆっくりになり、ついに止まった。
「ラウル? どうしたの? どこか調子が悪いの? 痛む?」
まただ。
エリザは、少しでもラウルが機嫌悪そうにしていると、すぐに体調が悪いとか、足が痛むのだとか、そればかりだ。
ラウルは、怪我人でも病人でもない。ただ、足が一本なくなっただけで、普通の状態の、普通の男だ。
まるでエリザの幸せは、怪我人看護の喜びで成り立っているようなものだ。
「僕は、どこも痛くないし、どこも悪くない。ただ、考え事をしているだけだ」
エリザは、ますます不安気な顔をする。
「……考え事って……。義足のことなら……」
おどおどと話すエリザの言葉を、ラウルは思わず遮った。
「足のことじゃない! これからのことだ!」
杖もないまま、ラウルはテーブルに手を掛けて立ち上がっていた。
エリザは、目を丸くして、ラウルの剣幕に驚いていた。
何が彼を怒らせているのか、さっぱりわからない。
「これからのこと? 大丈夫。ラウルが心配しなきゃならないことなんて、何もないから」
だから、安心してね……と、エリザは、そっとラウルの腕に手を掛けた。体を支えて、座らせてあげるつもりだった。
だが、ラウルは座らなかった。片足で立ったまま、テーブルを押えていた。
「エリザ、僕は何も変わっていないんだ。足が一本なくなったけれど、ちゃんと自分の生き方だって考えるし、他の人と変わらないことで悩んだりもする。年から年中、足のことばかり考えているわけじゃない」
「? ラウル? 何を怒っているの? 私、もちろん、そう思っている」
エリザは、戸惑った。
とても当たり前のことを、なぜ、今更ラウルは言うのだろう?
本当は、やはりどこか痛いのではないだろうか?
「ねえ、ラウル。無理しているんじゃない? だから、色々考えすぎてしまうのよ。少し、休む?」
「エリザ、違うんだ。僕には夢がある。埋もれている宝玉を掘り出し、その力を引き出すことだ。もう、僕は採石の仕事はできない。それは、認める。でも、細工で石の美しさを引き出す事ならできる。僕には、できるんだ」
立ったまま、ラウルは熱っぽく語った。
確かに、昔のラウルはそういう事もできた。でも、今はやっとの思いで立っているだけだ。
「ラウル。まずは座って。疲れてしまうわ」
「エリザ! まずは僕ができることを認めてくれ!」
手を払われて、エリザは唖然とした。
ラウルは、少し興奮していた。
今までたまりにたまってきたものが、はじけて押えきれなくなっていた。
エリザが傷つくと思って、我慢してきたこと。
自信を失って、言えなくなってしまったこと。
エリザを失うと思って、主張できなかったこと。
でも、これから大事な話をするにあたり、気持ちを落ち着けた。
本音で話をしようと思った。
「エリザ。僕は、細工師として、これから身を立てたいと思っている。エーデムの商人から、専属として働かないか? と話が来ている」
エリザは、ぽかん……と口を開けたままだった。
無理もない。よほど、意外な話だったのだろう。
ラウルは、大きく深呼吸した。
「僕は、エーデムに行って、この仕事に掛けてみたい。正直、ムテを離れるのは恐いけれど、これしか僕の生きる道はないと思う。だから……」
テーブルに置いている手が震えた。疲れではなく、緊張からだった。
「だから、エリザについてきてほしい。そして、僕を支えてほしい」
ラウルにとって、二回目の求婚といえるだろう。
だが、初めてのやや傲慢な求婚よりも、もっと素直な気持ちだった。
自分の弱い所もすべてさらけ出して、エリザに受け入れてもらいたかった。
だが……。
エリザは、ぽかんとしたままだった。
そして、やっと出てきたことばが、これだった。
「え? だって……霊山に薬草を採りにくるのが、大変になるわ」
別に、ラウルを軽んじたわけではない。
だが、あまりにも意外な話で、エリザの頭がついてこなかったのだ。
だいたい、エリザはエーデムという国がどれだけ離れているのかも、想像がつかなかった。
何よりも、ムテである自分たちが、ムテの結界の外で生活をするなんて、全く考えつかなかったのである。
それでも、ラウルはゆっくりと、もう一度、説明した。
「もう、エリザは霊山で薬草を採る必要はない。僕たちは、エーデムの首都イズーで暮らすんだから」
ラウルの片手は、テーブルを離れてエリザの腕を掴んでいた。
「……え?」
再びエリザは奇妙な声をあげた。どうしても意味が分からなかった。
どうも、ラウルはムテを離れて暮らそうと言っているらしい。
だが、ムテがこの地を離れて暮らすなんて、無理だ。
「ラウル……。どうしたの? 何があったの?」
「何かあったって? すごい幸運に巡りあっただけだよ」
ラウルは、これまでのいきさつを語った。
外の話に疎いエリザでも、エーデム商人のレーヴェル家の話やエーデム王セリスの名前ぐらい、聞いたことがあるだろう。
だが、エリザは顔をしかめた。
「ラウル。そんなうまい話なんか、あるわけがないわ。あなたは騙されているのよ」
確かに、ラウルも最初にシビルに会った時は、そう思った。
だから、エリザの言葉もそれほど腹が立たなかった。
「僕も疑ったが……あれだけの馬車や衣装、宝玉を持っていれば、疑う余地はない」
「いいえ! ラウル。騙されちゃダメよ! 悪い人たちは、そういった目先の華やかさで人を騙すものなのよ!」
世間知らずのエリザが、いきなりそんなことを言い出して、さすがにラウルも苦笑した。
「エリザ。馬車や衣装で騙せても、石の価値を見抜けない僕じゃない。これは、いい話なんだ」
「違うわ! ラウル。目を覚まして! ムテは、ムテ以外で生活できない! エーデムで路頭に迷うだけだわ!」
「何を言っているんだ? シビルは信頼が置ける。僕も、そして、ジュエルも、エーデムで生活したほうがいい。あなただって、もう霊山の闇を恐れなくてすむ!」
「何を言っているの? ジュエルは、この一の村でしか暮らせないのに!」
エリザは、だんだん興奮してきた。
その語調に触発されて、ラウルの声も上がってきた。
「違う! ジュエルはムテじゃない! ムテにいるから白い目で見られるだけだ! エーデムのほうが、彼にとってはいいはずだ!」
次の瞬間、ラウルははっとした。
エリザの顔が、まるで何かに憑かれたように、別人の表情になっていたのだ。
天に突き刺さるような悲鳴も、今までラウルが聞いた事のない声だった。
「ジュエルは、ムテよ! サリサ様のお子よ! そんな無礼なことを言わないで!」
まさに、地雷を踏んでしまった。
ジュエルの出生については、禁句だった。
ラウルは、初めてエリザに会った時から、何となくそれを感じていた。
だから、ただの一度もジュエルの正体について、今まで触れたことがなかった。
それを、ついうっかりと。
噂されているジュエル本人は、やはり話の意味がよく分からず、おどおどしながら成り行きを見ているだけだった。
その横を、エリザがものすごい早さで走って行き、どたん! と音をたてて、家を飛び出して行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます