決別・4


 義足がだめになって以来、エリザは薬草採取の回数を増やし、霊山に立ち寄るようになっていた。

 サリサの特別許可がまだ有効だったこともあり、ラウルには内緒で、医師の者と義足の打ち合わせを繰り返していたのだ。

 今度、ラウルを霊山に連れてくる時には、失敗は許されない。二度と、ラウルをがっかりさせたくなかった。

「やはり、足と義足の繋ぎ部分がうまくいかないんですよ。どうしても歩いているうちに擦れて傷になる。体重をかけるから、ますます痛みが増す。うーん、お手上げです」

 医師の者は頭を抱えた。

「やはり、本を見ての知識だけでは、こういうのは無理なんでしょうかね? エリザ様の力になりたいと思うのですが……」

 エリザはうつむいた。

 どうも、やはり足を取り戻すなんて、無理なのだ。

 となれば、エリザがラウルの足になるべく、がんばるしかない。


 打ち合わせが終わると、書類の仕え人がエリザを案内した。

 既に許された場所で薬草を採取する時間がないエリザは、こっそりと霊山で薬草の採取をさせてもらっていたのである。

 そして、何度かに一回は、サリサに会った。

 この状況を知った巫女姫マヤは、仕え人に思わず「まるで密会ですわ」と、声をふるわせたという。

 だが、当の二人は、悪びれることもなく『密会』を重ねていた。

 ラウルのため……といういいわけが、二人を気楽にさせていたのだ。


 その日も、苔の洞窟にサリサは現れた。エリザが、一作業終えた頃である。

 書類の仕え人は、最高神官が現れると敬意を示してその場を去った。

 その姿を見送って、サリサはエリザに歩み寄った。だが、以前のように抱擁したり、手をとったりはない。

 既に去って行った人であり、他の人の婚約者であることを、サリサは肝に銘じて慎んでいた。エリザも、自分の立場を忘れてはいなかった。サリサにかしこまって挨拶をした。

 だが、サリサの口調は穏やかで、昔と変わらなかった。

「義足の件は、難航しているようですね。あまり、落ち込まないよう……。きっと努力は報われますから」

「はい……。ありがとうございます。……あの……」

 エリザは、少し口ごもった。

 実は、サリサにこうして会えるようになって、ずっと言いたかったことがあった。

 前々回、薬草採りの場に最高神官は現れず、諦めて無駄にした。

 前回、彼は現れたが、結局言い出す事ができなくて、諦めて無駄にした。

 今回は……もしも会う事ができたなら、絶対に言おうと心に決めていた。

 サリサは、少し心配そうにエリザの顔を覗き込んだ。

「何か? 気になることでも? ……悩んでいることがあるのなら、遠慮なく言ってください」

 そう言われて、最近収まっていた悪い癖が出てしまうとは。

 エリザは、真っ赤になりながら、口をパクパク動かした。

「……ラウルのことが、心配ですか?」

 すっとサリサの口からラウルの名前が漏れた時、エリザは思わず首を振っていた。

「! いいえ! 私……サリサ様のことが心配なんです!」

 ついに言ってしまった。


 サリサにとって、ラウルの名を口にするのは、傷口を広げるような行為だった。

 よほど、ラウルのことで気を病んでいるのだ……と思うと、苛々してたまらない。せっかくの二人の時間だというのに、やや自虐的な気持ちでエリザの言葉を促したのだった。

 それが、いきなり自分の名前が飛び出すとは、あまりに意外だった。

「私が……心配ですか?」

 エリザのほうは、それには答えず、かわりに薬草を詰め込んだ袋の一番下から、篭の箱を取り出した。そして、蓋を開けると……中から、美味しそうなサンドイッチや焼き菓子や干し杏が出てきた。

「……これは?」

「あ、あ、あの……お昼です」

 エリザは、うつむいたまま、箱だけ掲げるようにして、サリサの前に突き出した。

「お昼?」

「……あ、あの……サリサ様は、お食事なさっていないんじゃないかと……。ご、ごめんなさい! 失礼な心配でした」

 エリザは、真っ赤になったままだった。

 許可証を得るのに霊山を訪れ、サリサに再会して以来、気になって気になって仕方がなかった。


 ――もしかして、サリサ様はお食事されていないのでは? と。


 霊山の食事はあまり美味しくなく、しかも、以前リュシュから「サリサ様って、食が細い」と聞かされていた。

 霊山が抱えている問題は山積。最高神官の心労もただならないことだろう。

 最高神官のような超人的な人物に限って、そのような心配は無用。逆に失礼だろうと、エリザは思った。

 だが、会えば会うほど、サリサは痩せ細っていて、しかもそのまま透き通って霊山の気に吸い込まれて消えてしまいそうで……。

 会えるかもしれないと思う日は、ついつい、サリサの分のお弁当まで作ってしまい、その度に無駄にしていたのだ。

 野菜入りのオムレツや蜂蜜、サリサとの手紙のやり取りでも、何度か食事の話題が出た。何が好きだったかしら? と思って読み返したくても、その手紙は燃してしまった。ラウルとの婚約を決めた日に、暖炉にくべたのだった。


「どうして泣いているのです?」

 サリサの声で、エリザは自分が泣いているのに気がついた。

「え? わ、わかりません」

 自分の頬を自分で拭い、エリザは涙に驚いた。

 視界がはっきりすると、サリサがじっと自分を見ていることに気がつき、エリザは慌ててうつむいた。

「……申し訳ありません。おかしなことを考えてしまい……」

 最高神官が、心労で食事もできないなんて考えるのは、本当に愚かしいことだ。自分で自分の考えに気が動転してしまった。

「謝らないでください。とてもうれしいのですから」

 そういうと、サリサはうれしそうに干し杏をかすかに差し込む光にかざした。

 透けて、灯色に輝いた。

「エリザ……。マリと一緒に遊んだ日のことを思い出しました。あの頃は、楽しかったですね」

 やはりそのまま透けてしまいそうな、サリサの顔を見ていると、エリザはますます泣けてきた。

「申し訳ありません」

「謝らないでください」

 なのになぜか、謝る言葉しか口から出てこない。

 本当に何年ぶりなのだろう、サリサの手がエリザの腕に触れた。

「とても美味しそうですよ。お昼にしましょう」

「ごめんなさい……」

「心配してくれて、ありがとう。私は……大丈夫ですから」

 その瞳は、本当にうれしそうに輝いていた。

 エリザは、思わず引き込まれそうになり、しばらく言葉なく見つめあった。

 以前のふたりならば、引かれあうように抱き合い、口づけをかわしただろう。

 だが……。

 サリサはそのまま干し杏を口にし、エリザはサンドイッチを食べたのだった。




 その日、サリサは上機嫌だった。

 無理もない。

 エリザに心ない者と決めつけられ、神様みたいに拝み立てられて、長い時間が経った。自分も、そういう存在であり続けようと努力した。

 それなのに、エリザがあんなに心配してくれていたなんて。

 サリサには、うれしくてたまらないことだった。

 夜になり、眠る頃になると、思わず思い出し笑いをしてしまう。

 いい思い出のまま、今夜は休めると思った。ところが……。


 ――小さなノックの音。


 嫌な予感がした。

 思わず無視したかったが、そうしたら、この音は朝まで続くだろう。

 やむなく、出ることにする。

 案の定、お忍びの巫女姫マヤだった。

「マヤ……お願いですから、いい加減にしてください」

 エリザにそっくりの顔で、じっと見つめられるのは苦手だった。

「サリサ様。お話があります。今日のことで……」

「……」

「私は、この事を吹聴するほど、愚かではありませんが……」

 これは話を聞いてくれないと、エリザとこっそり会っていることを吹聴するぞ、という脅しである。

 サリサは、仕方がなく、マヤを部屋に入れた。


 誰がこの世で最も苦手かと言われれば、サリサはマヤと言うだろう。

 自分の弱い所を突かれて、ぐうの音も出せないほど、落ち込ませてくれる。

 そして、今夜もそうだろう。

「いったい何をいいたいのです?」

 すっかり警戒しながら、サリサは訪ねた。

 至って神妙な顔をして、マヤは唇を振るわせた。

「私、サリサ様の気持ちをよく知っていますし、尊重したいと思っていますわ」

「尊重してもらえて、ありがたいと思います」

 苦笑しながら、答えた。

 サリサはマヤの毒に翻弄されてきた。

 長年のつきあいでわかっているのだが、彼女の言葉はある意味真実なので、否定しきれないのだ。

「でも、このままですと、サリサ様は、エリザ様の幸せをつぶしてしまいますわ」

「私は……そこまでわがままではありませんよ」

 やはり、痛い所を突いてきた。

 しかも、エリザとそっくりな顔をして。

「サリサ様とエリザ様……。お二人が惹かれあっているのは、よくわかります。でも、それは許されないこと。ずるずるお会いになっていたら、ますます離れられなくなります」

 サリサは眉をしかめた。

「ラウルのために必要だから、エリザを霊山に呼んだだけです」

「このままですと、ラウルとエリザ様は、きっとだめになります」

 涙を浮かべながら、マヤは訴えた。

「まさか?」

 祈りの力が強く、予知能力も高いマヤの言葉である。無下にはできない。

「私には、わかりますわ。サリサ様は、お二人の間に楔を打ち込んでいらっしゃるのです」

 そんなつもりはなかった。サリサは、苛々とそっぽを向いた。

 まるで、エリザに泣きながら懇願されているようである。とても見てなんかいられない。 

「二人の別れは、とても痛みを伴いますわ。生きていくのが辛くなるほど。そうしたら、サリサ様はエリザ様を霊山に呼び寄せ、お慰めになるのかしら? そして、二度と放さないよう、あの方を支配なさる……」

「何を馬鹿なことを!」

 思わず怒鳴った。

 マヤは、大きな瞳からぽろぽろと涙を流したまま、一言。

「それが……サリサ様の真のお望みなのです」


 その願望は、常にサリサの心の奥底に眠っていた。

 だが、何よりもエリザの幸せを望もうと、何度も言い含めて封印した。


 思わずカッとして、マヤを掴み、部屋から押し出したい衝動に駆られた。

 だが、サリサはそうしなかった。マヤは、サリサがそうするのではと察したのか、やや体を引いていた。

「私……。サリサ様が好きです。だから、サリサ様が望むなら、ずっと身代わりでもかまわない。でも……せめて今だけは、マヤとして、いたわって欲しい」

 ふと、大きな目を伏せられると、サリサは何も言えなくなってしまう。

 マヤに対する態度は、サリサにとって人生の汚点。恥ずかしくてたまらない傷でもあった。

「心労を重ねて、また失うのは嫌なのです。せっかく授かったものを……」

 そう言われると、サリサは罪悪感でいっぱいになる。

 押し出すかわりに、マヤを優しく抱きしめて、そっと耳元で言うしかない。

「申し訳ありません。自重します。あなたも……もうこのように忍んでこないでください。体を大事にして、今度こそ丈夫な子供を産んでください」


 

 そうとは知らないエリザは、次もまた、お昼をたくさん作って霊山にやってきた。

 そして、薬草採取が終わった頃、ちょこんと座って、サリサを待った。

 だが、いくら待ってもサリサは現れなかった。

 最高神官は、忙しい。それを知らないエリザではない。

 ふう……とため息をつく。

 サンドイッチを一口、二口かじり、再びしまい込んだ。

「今度は……会えるといいけれど」

 そして、名残惜しそうに何度も何度も振り返り、その場を後にした。

 サリサは、遠目でそれを見ていた。

 声をかけないと思っても、やはり、一目だけでもエリザを見たくて。

「サリサ様、本当にいいのですか? このままで……」

 書類の仕え人が何度か促したが、サリサは返事もしなかった。


 マヤのお腹の子は、無事に産まれると、サリサの六番目の子供となる。

 サラとの確執で流産経験のあるマヤのことを思えば、サリサはどうしても彼女に冷たくできない。

 マヤの心労を増やしたくはない。

 それに……エリザとラウルのことも、邪魔するつもりなんてなかった。 

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