決別・3


 ラウルは、時々リューマの市にジュエルを連れて行く。

 最初は不安がって反対していたエリザだったが、ジュエルを家に一人置き去りにするよりはマシと思ったのか、今はラウルに任せている。

 もとより、エリザはラウルが市で細工物を売るのも、あまり賛成していなかった。

 転んで怪我をするのでは? とか、リューマ族に嫌がらせを受けるのでは? とか、いらぬ心配ばかりをしていた。

 だが、仕事が順調になってきたとはいえ、エリザが子供一人と大人二人の生活を支え切るのは困難だった。それに、ラウルの細工は、思いのほか高額で取引され、エリザを驚かしていた。


「でも……細かな作業で……体に障るんじゃないかと心配……」

 そう言うエリザに、ラウルは笑って答えた。

「おいおい、僕は手を失ったわけじゃないよ」

「ええ、そうだけど……」

 エリザの心配性は、かつてラウルを奮い立たせた。

 心配させたくなかったから、回復に努めたし、片足で何でもできるよう、努力した。


 だが、最近。

 心配されるのが煩わしい。

 完全な体を取り戻したいラウルは、以前以上に体を鍛えていた。松葉杖をつきながらも、まるでどこも悪くないかのような早さで歩くことができた。

 人と違うという視線を浴びるのは同じだが、やっとここにきて、片足のラウルは村人たちに受け入れられてきたように思う。 

 ただ……エリザだけが受け入れない。

 彼女の前では、ラウルは足を失ったばかりの不幸なラウルのままだった。


 ジュエルを市に連れて行くのには不安もあった。

 だが、ジュエルは実に物わかりのいい子で、禁じたことはしない子だった。

 心が通じないおかげで、何かあるたび暗示で縛られていたのが嫌だったのだろうか? 言葉で言い含めると、必死になってそれを守った。

 最近、ラウルはむしろ、ジュエルという子供を気の毒に思い始めていた。

 普通の子がわかることをわからないということで、エリザの顔色を常に気にしていた。そして、ラウルにもまるで奴隷のようにかしずいてくる。

 ラウルが腰を下ろそうとすると、さっと椅子を用意してくれるような子だった。

 時々、もっとのびのびとした環境で育ててあげないと、病んでしまうのではないだろうか? とすら、思う。

 閉鎖的な空間にいるのも、霊山に縛られるのも、母親の顔色を見るのも、この子のためにはならないのでは? と、心配になる。

 エリザは、ジュエルがムテの人々に与える恐怖心を恐れて、あまり外に連れ出したがらない。それもよくないと思う。

 だから、ラウルはエリザからジュエルを預かると、積極的に外に連れ出していた。

 特に、リューマの市は、ムテ人のようにジュエルを恐れる人もなく、ジュエルにとっても居心地のいい場所のようだった。


 市の場所を確保して、ラウルは背から荷物を下ろした。

 春の日差しを浴びて、キラキラと輝く宝石が顔を出す。広げる前から興味深く覗くリューマの商人たちもいるが、ラウルは安売りはしなかった。

 お昼過ぎになると現われる商人が、常にいい値を付けてくれる。彼が現れるまでは、たとえどのようにいい値をつけてくれる人がいたとしても、待ってもらうようにしていた。

 ラウルの足下で、ジュエルは絵を書いている。一人遊びの上手な子だ。

 リューマ族は、混血だけあって色々な顔つきや髪の色をしている。時に、ジュエルのような黒髪がいたりして、はっとすることがある。

 ジュエルは、もしかしたらララァの言うように、エリザの子ではなく捨て子だったのでは? と、ラウルも思い始めていた。

 リューマ族の気のほうが、ムテよりずっとジュエルに近い。リューマ族の子供として育てられたら、何もここまで恐れられることはなかっただろう。

 ラウルは、あまりリューマ族や外部の世界を苦手としなかった。

 ジュエルをおかしいと思いつつ、受け入れられたのもそのせいだろう。それに、異国の珈琲は、採石の旅には欠かさず持ち歩いた。読書は、ウーレンの冒険談を好んだ。

 今までは霊山の石のことばかり考えていたラウルだが、リューマの市に商品を出すようになってからは、実に外の世界に興味を持つようになっていた。

 ムテ以外の人々は、どのような生活をしているのか? そして、彼らにとって装身具の意味は何か? そのような知識が、ラウルに必要であった。

 リューマ族の商人の中には、この間まで外の国であったという戦争で足を失った者もいる。

 だが、彼らは義足を使っていて、松葉杖のラウルよりはずっと自由だった。

 一度、義足を売ってもらおうと思ったこともあったが、一人一人に合わせた調整が必要ということで、無駄だった。

 エリザの持ってきた義足の話の乗り気でなかったのは、霊山との関わりに気が重たかったからだ。それでも二ヶ月間がんばったのは、やはり足が欲しかったからにほかならない。

 使い物にならなくてガッカリしたが、同時に諦めもついてサバサバした。

 だが……。


 ――足を取り戻したい。

 それは、疑いないラウルの願いだった。


 商売のために、ずっと椅子に座りっぱなしなのは、かつて山を歩き回っていたラウルにとって苦痛だった。

 採石師として再び山に入ることは無理としても、足さえ手に入れば、再びエリザと対等になれるのでは? と思う。

 今……エリザの前に、ラウルは不自由だった。

 たとえ、人並みの早さで歩けても、ほぼ、何でも自分でこなせるぐらいに回復しても、だ。

 ジュエルに対する教育方針ひとつ、彼はエリザに提案できないでいる。

 人からは明るくなったと言われるが、ラウル自身は、そうは思えない。逆に、ずいぶんと陰湿になったと思う。

 自分に自信を持てないということは、これほどまでに心をねじれさせるのか? とすら、思う。

 義足を履いたリューマの商人が、ラウルの目の前を走って行った。



 いつもより遅い時間になって、お得意様の商人が現れた。

 リューマ族にしては少し身なりのいい、品のある男だった。だが、彼は馬車をラウルの露店のすぐ近くに横付けして、少し待てと手で合図した。

 馬車の扉があくと、中から巻き毛の銀髪の男が姿を現した。

 ラウルは、思わず目を見張った。

 回りのリューマ族もムテ人も、同じように彼に注目した。

 エーデム族である。

 男は、ふたつの小さな角を持っていた。これは、王族に近い血を持っている証であった。まるで女と間違えそうな優しげな顔と、森林のような緑の瞳は、リューマ族の商人の中で、別世界を作り上げていた。

 鎖国状態にあるエーデムの貴族が、この地に足を運ぶなんて、不思議なこともあるものだ。手を貸そうとしたリューマ族に、あら、いいのよ……とでもいう仕草で遠慮してみせた。

 エーデム族も純血種である。何かを感じたのだろう……彼は、一瞬、ジュエルの顔を見ておかしな顔をしたが、すぐに温和な微笑みに戻った。

「私は、シビル・レーヴェルと申します。今までこの男を通してあなたの装飾品を買っていた者です」

 エーデム族の男は、丁寧な挨拶をした。

 その名を、ラウルは聞いたことがある。

 鎖国とはいえ、エーデムは一部の商人に特権を与え、商売を一手に引き受けさせている。その豪商がレーヴェル家であり、いくらムテの田舎者とはいえ、その名を皆知っていた。

 そんな大物が、自分の装飾品を買い求めていたとは、さすがにラウルも驚いた。

「ラウルさん、あなたの作品は見事で、エーデムの首都イズーでも高い評価を受けています。ウーレンのジェスカヤでは、もっといい値がついています。ただ、最近は石が貧弱になってきたように思います」

 ラウルはうつむいた。

 採石師として、それは言われたくなかった。

 だが、加工に使う石が底をつき、もう山に行けなくなったラウルには、どうともできなかったのである。結局、エリザに内緒で安物の石を買い、加工を続けていた。

 エーデム族も心話のできる種族だ。シビルはラウルの悩みを悟ったのだろう。小さな袋を手渡した。

 中をのぞいて、ラウルは目を丸くした。

 かなり高価な石がぎっしりと入っている。石の知識が豊富なラウルには、その価値がすぐにわかった。

「それでお好きなように細工してください。一ヶ月後、加工料を支払いにまいりますので」

 唖然としたままのラウルを置いて、シビルは最後までニコニコ笑顔を振りまきながら、馬車に乗って去って行った。

 実質上、ラウルはエーデム貴族から細工依頼を受けたのだ。

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