決別・2
エリザの祈りの気配がする。
ラウルは、ベッドの中で眠ったふりをしながら、自分なりの祈りをする。
それが、毎朝の日課になった。
正式に結婚し、一緒のベッドで寄り添いあうようになったなら、ともに膝を並べて祈れるようになるだろうか?
ラウルは不安になる。
エリザは、ものすごく明るくなった。
それは、まさにラウルが望んでいた幸せなエリザにほかならない。だが、何か違っているような気がする。
エリザは、献身的に何でもしてくれる。だが、何かが違っている。
まるでラウルの不自由さを愛しているかのようなのだ。
ラウルは、足を失ってその見返りにエリザを得たような気がしてならない。
健全なままでも、エリザは自分を選んだろうか? と思うと、どうもそうは思えない。
とても、エリザの本心を知るのが恐い。
だから、祈りを共にできないし、一緒に暮らしていながら、寄り添って眠ることも、口づけすることもできない。
二人の子供にしよう……と言ったジュエルも、エリザは神官の子として育てている。
――学び舎に上がるまでは、神官の子供として育てなさい。
それが、最高神官サリサ・メルの言葉なのだと言う。
最高神官の存在は大きい。
昔のエリザは、ビクビクしながらその名を出していたのに、幸せなせいか、笑顔で語って屈託がない。
成長して動き回るジュエルを見つめながら、ああ、ここはサリサ様によく似ているとか、好みが同じだわとか、よく呟いているのだ。
巫女姫と最高神官の繋がりは、夜だけのものと聞いていたが……間違いなのだろうか? 霊山での二人は、もっと親しい仲だったとしか思えない。
ジュエルがかわいい声で、エリザを『母様』と呼び、ラウルのことを『ラウル』と呼ぶ。その度に、ラウルは傷つく。
いずれ、二人の子として引き取るならば、初めから父と呼ぶようにジュエルに教えて欲しかった。
以前のラウルなら、自分の気持ちをはっきりエリザに言えただろう。
だが、何かとエリザの負担になっているラウルには、エリザを悩ませるようなことを口にする勇気がない。
失ったのは足であり、口ではなかったはずなのに、言葉すら不自由になってしまった。
そして、毎朝、眠っているふり。
彼女が祈っているだろうことを、真っ正面から受け止められない。
きっと、足を手に入れない限り、この不安からは逃れられまい。
エリザと対等にならなければ、心も不自由なままだ。
「ダメだ。やっぱり、歩けない」
医師とエリザが、そろってがっかりため息をついた。
ラウルは、医師がウーレンの本を見よう見まねで作った義足を、十歩も歩かないうちに外した。
わずかに残った大腿部に痛そうな擦り傷ができていて、思わずエリザは目をつぶった。だが、医師やエリザの落ち込みよりも、きっとラウルのほうがガッカリしているに違いなかった。
最高神官が、義足の再挑戦の許可を与えてから、必死に試行錯誤して二ヶ月。
エリザとラウルは、何度も山道を上り、医師と相談し、足形をとったり、義足の訓練をしてみたり、忙しかった。
そして、導き出された答えが、これだった。
「も、もう少し研究しますから、時間をください」
医師はすまなそうに、エリザとラウルに頭を下げた。
エリザとラウルは、とぼとぼと霊山を後にした。
「ごめんね、ラウル……」
何度目かの詫びの言葉が、エリザの口から漏れていた。
元々、今回の義足の話は、乗り気ではないラウルをエリザが引っ張って霊山に連れてきたようなものだ。
そして、すべてがうまくいって、喜ぶラウルの姿しか、エリザの頭になかった。
だが、ラウルは、思いのほか明るかった。まぶしいくらいの笑顔を、エリザに見せてくれる。
「気にするな、最初に戻っただけだろ?」
「……でも……」
「それなりに楽しかったし、夢も見られた」
「……でも……」
落ち込むエリザの頭を、こつんと、ラウルは叩いた。
その瞬間は、支えているはずの手が離れる。松葉杖のバランスが不安定になるのだが、ラウルは慣れたものだった。
「だいだい、エリザは僕を見くびっているよ。たとえ足が一本でも、エリザより僕は足が速いと思う……」
と、言ったとたん。本当にラウルは走り出していた。
「え? ええええ? ラウル?」
エリザは慌てて悲鳴をあげた。
道からそれた丘の上を、松葉杖を器用に使い、駆け上がってゆく。確かにそのスピードは、エリザの度肝を抜いた。
その横道は、つづらになっている山道をまっすぐ貫く近道である。
だが……。
「きゃー! ラウル! その先は、とても急な坂よ! 危ないわ!」
なだらかな上りの後は、崖とも言える坂だ。いくら何でも、松葉杖のラウルが下りるのは危険だ。
エリザは慌ててラウルの後を追った。
だが、体力的に劣るエリザは、まったくラウルには追いつかなかった。本当に、足が一本でも、充分にラウルのほうが速かったのだ。
ラウルは、坂道の頂上で、ぴたりと止まった。
逆に、ひいひい言いながら上ってきたエリザのほうが、芝生に足を取られて滑って転び、坂道を転げ落ちてしまった。
「エリザ! 大丈夫か?」
慌てて差し出された松葉杖にすがり、エリザは崖をよじ上った。
エリザに怪我がないと知って、ラウルは大声で笑い出した。エリザの顔は、見事に泥だらけだったのだ。
きょとんとしたまま、エリザは明るく笑うラウルの顔を見つめていた。
薬草の精製を手伝ってもらいながら、その話をすると、ララァも大声を上げて笑い転げた。
「そ、そんなにおかしいですか? わ、私、ラウルが坂から転げ落ちるかと思って、びっくりしちゃって……」
「で、転げ落ちたのはエリザのほうってわけでしょ? おっかしいわぁ!」
ララァは全く遠慮なく笑う。
エリザは、真っ赤になってしまった。
「そ、そりゃあ……ラウルよりも私のほうが鈍臭いってことは、充分にわかっているけれど」
「その鈍臭さに、ヤツも救われていると思うわ。まだまだ、エリザを守ってあげる力があるってね」
「え?」
エリザは、目を丸くした。
ラウルが足を失って以来、エリザはラウルのためになるようにと、彼を守ってあげようと、必死にやってきたつもりだった。
が、ラウルには、まだ遠慮でもあるのだろうか?
「いいの、いいの。エリザがそれくらいで、本当にバランスが取れていると思う。ほら、ラウルって、頼るよりも頼られたいほうでしょ? エリザが落ち込んだり、逆にがんばっている姿を見て、自分を奮い立たせているのよ」
そう言えば……。
足を失う前のラウルは、少し照れ屋さんのところがあり、自分から積極的に人に話しかけるようなことはなかった。だが、内に籠っていたのは、足を失ってすぐの時だけで、その後は以前より社交的になったと思う。
まるで、自分が片足であることなど、回りに意識させないような積極性で、一の村に貢献している。冬の雪かき作業だって、かつてのようにできなかったものの、温かい薬湯を振舞って、作業従事者を激励したのだ。
今や一の村では、ラウルを気の毒そうに見る人はいない。その見事な杖さばきに、思わず見とれる人がほとんどだ。
「でもね、たまにラウルが一人で物思いに沈んでいるのを見たりすると……」
エリザは、ふうっとため息をついた。
だが、ララァのほうは、笑い飛ばしてくれた。
「あのね、誰だって足がないとしたら、たまに落ち込むわよ。仕方がないことだもの、それくらい許してあげて。でも、それを感じてエリザが落ち込むと思うから、ヤツはまたがんばれるの。だから、あなたたちって、とてもうまくいっていると思う」
ララァは、ニコニコしながら、エリザの肩をパンパンと叩いた。
「本当に、二人はお似合いだと思う。エリザがいなかったら、ラウルは立ち直れなかったし、今のように元気でもいられない。本当に、エリザと一緒になってもらえて、私もうれしいわ」
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