巫女姫マヤ・3


 今日のような日――


 春、薬草採りの許可で霊山はにぎわう。

 今となっては、サリサとエリザが顔を合わせるのは、この時くらいとなった。

「サリサ様、お久しゅうございます」

『応接の間』で、エリザは礼儀正しく最高神官に挨拶をした。

「元気そうで何よりです」

 サリサも微笑みを返す。

 そして、許可証に印を押し、エリザに手渡した。

 うれしそうに、エリザはちょこんと頭を下げる。

「ありがとうございます」

 その姿は、サリサが望んでいた、だが、見たくない幸せな姿だ。

 生き生きとしていて、かつての不安気な影はない。生活も安定してきているのだろう。


 エリザは、今、一の村でラウルと暮らしている。

 かれこれ……二年目になる。


 まだ、結婚はしていない。

 癒しの巫女の結婚が許されるのは、神官の子供が五歳になって学び舎に上がってからだ。神官の子供を優先という意味もあるが、子供を産んでから五年以上過ぎないと、子を為せないという理由もある。

 癒しの巫女は、安定した生活を保障される。だから、心を偽り、言いよる者もいる。そのような結婚は、ひとつ心を大事にするムテにとって、死を選ぶような不幸を巻き起こす場合もある。よく相手を厳選するように……との意味合いもある。

 もしも、心分け合う相手と巡り会った場合は、婚約という形をとる。

 だが、サリサの巫女であった者で、婚約者を持った者はエリザしかいない。

 唯一、ペルールが結婚しているだけで、ミキアもシェールもマララもスマも……。皆、一人身である。


 婚約の段階で、生活をともにするのは、ムテでは珍しいことだ。

 だが、エリザとラウルには、特別な理由があった。足を失ったラウルには、癒しの巫女が必要だったのだ。

 彼は、失った足が痛んで苦しんだ。

 夜、苦痛で眠れない。朝も病む。よく発熱し、食欲も落ちた。ムテには珍しいほどのたくましい体はみるみる衰えた。さすがに前向きのラウルも、死を考えた。

 だから、あれほどエリザを避けていた妹のアウラが、泣きながらエリザにすがったのだ。

「どうか兄を助けて!」と。

 エリザは、ラウルといっしょに暮らすことにし、朝、昼、晩と、献身的な介護をした。

 おかげで、一時は全く動けなかったラウルも、しばらくすると以前のように元気になった。本当にこれが、足を失った人なのか? と、誰もが思うくらいである。

 どうにか一人でも生活に支障がなくなったラウルであるが、今度はジュエルのお守りのため、エリザの家に残っている。

 ジュエルを誰にも見てもらえないために、エリザは薬草採取も精製も苦労していた。だから、ラウルがいて助かったのだ。

 もちつ、もたれつ……。

 こうして、エリザとラウルの共同生活は続いている。

 

 帰ろうとするエリザを、よせばいいのに呼び止めてしまった。

「ラウルは、どうですか?」

 エリザの顔が、一瞬曇った。

「おかげさまで、元気です」

 愚かしいことだが、サリサはエリザの状況を事細かに調べさせていた。だから、ラウルがどのような状態なのか、よくわかる。

「もしも、また義足を試そうと考えているならば……。医師の者に相談しなさい。特別に面会を許します」

 まるで花が咲くように、エリザの顔が明るくなった。

 ウーレンやリューマでは、足のない者は義足を使っている。だが、足のない者がほとんどいないムテでは、その技術がない。

 以前、医師が資料をもとに試作したものは、まったく役に立たなかった。だが、ラウルが足を取り戻したいと考えていることは、報告書を見ればすぐにわかることだった。

「あ、ありがとうございます! サリサ様! さっそく……」

 そうして。

 エリザは医師と会い、色々ラウルのことを相談するため、長い時間、霊山にいた。

 その間、サリサはまるで聖人のように振舞っていたのだ。

「サリサ様、恐れ入ります。新しい義足を作るために、これからも、私とラウルの来山をお許しくださいませんでしょうか?」

 内気なエリザが、ラウルのために、必死になってお願いしてくる。

 それも、ニコニコ微笑んで許すしかない。

「もちろんです」

「ああ、ありがとうございます! 尊きお方!」


 他の男のために。

 頬を染めながら、胸に手を当て、敬意を示すエリザなんて……。

 見たくなかった……。


 これから先。

 どれほど長い時間を。

 長い歳月を。


 ――永久の別れと思ったあの日を、いったい何度、繰り返すのだろう。



 何度もお礼を言いながら、帰って行くエリザを、サリサは最高神官の笑顔を持って見送るのだ。

 霊山にいる限り、サリサは一の村で暮らすエリザを見続ける。

 そして、心が引き裂かれるような思いに、じっと耐えるしかない。

 それを充分覚悟の上で、彼女を一の村に呼んだのだ。

 だが、このような夜は、どうしても心が狂ってしまう。

 気が乱れ、風が荒れ狂う。

 山が雨を呼ぶ――。

 採石師たちは、大変だろう。薬草採りの者は、困るだろう……。


 ――この乱れる気持ちをどうしたらいいのか?


「サリサ様、恐いんです……」

 マヤが打ち震えながら、戸口に立っていた。

 夜半に現れたエリザそっくりの女性を、どうして冷たく追い返せるだろう。

 サリサには、できない。

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