巫女姫ぺルール・6


 ――ペルールと過ごした一年。


 サリサにとって、エリザを失って以来、最も癒された期間である。

 だが、それも終わる。

 祈り所に籠っていたマヤが戻ってくる。

 今後の一年は、最も苦しい期間になりそうだ。

 彼女は、エリザに似すぎている。サリサは癒され、同時にもっと傷つくだろう。

 マヤが帰ってくるとなれば、医師は「ペルール様の月病の年は終わりました」と、言ってくる。元々、彼女は月病の年ではない。だから、いつでもいいのだ。

 今夜が最後の夜になるに違いない。

 サリサはお湯につかりながら、できないながらも必死にがんばってきたペルールのことを考えていた。

 今頃、薬効たっぷりのお湯に浸り、難しい顔をしているに違いなかった。


 ――あと、もう少し……側においておきたかったが、仕方がない。


 八角の部屋の重たい扉が開く。

 サリサは、蝋燭を掲げ、巫女姫の元へと歩み寄る。

 ずっと続けられている巫女姫と最高神官の関係――だが、この一年は、様相が違っていた。

 蝋燭の燭台は、床に置かれず机に置かれた。

 巫女姫は横たわることなく、椅子に座っている。

 そして、ぎっしりと付箋の挟まった本を開いて、読んでいた。

「ペルール、今日は最後の勉強になりそうですから、少し大事な話をしましょう」

 サリサは、微笑み、ペルールの本を閉じた。

 残念ながら、彼女の能力では、この本一冊分を教え切ることが出来なかった。

「最後って……私、祈り所行きでしょうか?」

 不安気な顔をして、ペルールは言った。

 かすかにミントの香り。薬湯の香りだ。頭をすっきりさせる薬効がある。

 サリサは、いたずらぽい顔をしてみせた。

「いいえ、あなたは能力不足ですから、巫女姫を解任します」

 普通の巫女であれば、ショックなことであるが、彼女はぱっと花が咲いたような表情を見せた。

「では、ピエルの元に帰れるのですね!」

「ええ、この一年の勉強の成果を考慮して『癒しの巫女』としてね。故郷に錦を飾れますよ」

 祈りの能力なし。癒しの能力微弱。

 だが、ペルールは薬草学をがんばって学んだ。薬師としてなら、どうにかやっていける。

 でも、彼女が求めたのは『癒しの巫女』の権利ではない。

「サリサ様。本当に私、ピエルの目を癒すことができるかしら?」

「ええ、おそらく」

 心配そうに訪ねるペルールに、サリサは微笑んだ。


 一度も体を重ねなかった巫女姫――ペルール。


 夜ごと、勉強を見てあげることが、サリサにとって、どれほどの癒しになったことだろう?

 サリサがペルールに与えたのは、血ではなく、知だ。

 霊山の奥義を含んだ薬草学――


「ペルール。ピエルのことですが……。私は彼が何者か知っています」

 ペルールは、きょとんとした。

 無理もない。どこの誰かわからない流れ者。しかも盲目。

 ゆえに、金が幸せと思っている両親は、ペルールを不幸にすると思い、この男の面倒を見ながらも恋路に反対してきた。

 だが、彼はいくら聞いても自分の正体を明かさなかった。

「もう何年前になりますか……。学び舎で禁忌の薬を用い、自分たちの能力を高めようとした者たちがいました。近年、神官の権利を得られる者が激減し、焦りがあったのです」

 学び舎には、マサ・メルの血を引いた者も多数いる。良血を持ちながら、その力を開花させられない苦しみは、やはり巫女制度の闇の部分だ。

「五人が即死し、三人が頭を病んで死に至り、一人が盲目となり生き残りました。禁忌を冒した罪で学び舎を追放となり、その後、消息が不明となっています」

 ムテは死んだら骨になってしまう種族。行き倒れたら、もう見つけることも出来ない。てっきり死んだのだ……と思っていた。

 彼は犠牲者だ。かわいそうなことをしたと思っていたので、どこか、頭に名前が残っていた。


 ――ピエル。


 調べてみて、確信した。

「彼の名前は、ピエル・ロラン。我々は偽名を使うことを恥とする。だから、おそらく間違いないでしょう」

「ピ、ピエルは! 学び舎で学んだ学生だったのですか?」

「ええ、それもかなり優秀な。どうしても神官になりたかったのでしょう。彼ほどの成績ならば、神官になれずとも、教師として故郷に戻ることも、薬師として生計を立てることもできたはずなのに」


 ――神官の子として生まれたなら、神官になるべき。

 その思いが、彼を間違った道に進ませた。


 彼が使った薬には、失明するような成分はない。

 仲間が次々死んで行くのを目にし、自分で自分に暗示を掛け、世の憂いから目をつぶったのだ。おそらく、心病となり、彷徨った末、ペルールに拾われたのだろう。

 ムテとしての能力に欠けるが、ペルールは明るく前向きで楽しい女性だ。

 彼女が必死に目の治療を施せば、ピエルの暗示はきっと解けるだろう。


「このことは、彼には秘密にしておきなさい。でも、ご両親には私が彼の身元を保証する手紙を書きます」

 ペルールは、まだ信じられないという顔をしている。

 ピエル・ロランは、サリサと同じマサ・メルの孫にあたる。神官となった父親と巫女姫の間に生まれ、五歳で学び舎に入った後、多くの学問を身につけた。

 彼にとって、空を読むなどは、朝飯前だろう。ペルールに足りないことは、すべて持っている。

 ペルールはきっと彼と結婚し、幸せになれる。

 サリサは、机の上の本を手にとり、ペルールに手渡した。ずっしりと重たい本である。

「もう少し、あなたに教えたいことがあったけれど……この本をあげます。あなたには難しいと思いますが、ピエルの目が治ったら、きっと彼が教えてくれるでしょう」

 巫女制度によって引き裂かれた恋人が、巫女制度の裏を取って幸せになる。

 そう思えば、サリサは幸せな気分になれた。

「サリサ様、ありがとうございます!」

 ペルールは、ミントの香りを漂わせたまま、サリサに抱きついた。



=巫女姫ぺルール/終わり=

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