123

「やあ、先生!久し振りですね、最後に直に会ったのは…三ヶ月くらい前かな?」

「もうそんなになるか?仕事してると時間も早く流れてくなあ」


 ヒュプノス癒術院。外来の受付もとうに終わった頃、珍しく救急の患者が訪れる数も少ないと耳にしたあたりの頃合い。休憩に使われる一室から話し声が聞こえてくる。

 そこに居合わせる一人分の影……ラムは論文の資料を纏めつつ、使用する通信用水晶から壁に投影された画面の中に柔らかい視線を向けていた。

 換気の為に空いている窓から、夜風を浴びる。夜のカナリア王国の空模様とは反対に、その背景に陽の光が差し込む窓が映り込んだ向こう側の部屋には、快活そうな男の姿が在った。

 彼の透明感のあるアイスグリーンに浸された髪は、天使の輪と成った光を反射させている。濁った氷のような色彩の瞳は、ずっと昔、その髪色と同じであったことを知る者は少ないだろう。入れた通信に対し折り返しで直ぐ反応が帰ってきたことに、ラムは様々な意味で安堵した。通信を繋いだ相手の現在地が時差有る場であることも心配ではあったが、そもそもの相手方の仕事内容が危険を伴う物ばかりである故だ。


「先生にお呼ばれしたと言うことは、また私がお役に立てる時が来たんですねえ」

「国の役に立ちまくってる奴に言われちゃこそばゆいな……」


 明かりを灯したような微笑みを受ければ、その光景のまま作品にしてみたいと、芸術を知らない者へも思わせるだろう独特の美を感じさせる。しかし、そこに付随する幾つもの歪みこそが、その美を壊しているまた別の美しさなのであった。

 そのかんばせを隠す少し長い前髪は、左へと流されて片目を覆う程。綺麗な毛先の延長線上に頬に伸びるのは、大きな傷痕で。一見火傷痕に見えるも、まるで皮膚を内側から裂いたような傷の付き方だ。ヒビ割れた陶器の人形の在り方に、よく似ている。

 かつて、彼を患者として見たことがあるラムには手に取るように分かっていた。傷の周りを囲むように、禍々しい黒色が焼き印の如く染み付いた左眼は。彼が絶対に消したがらない呪いの痕なのだと。


「まあ大方予想通りよ。お前さんの申し出をな、また遠慮無く受けさせて貰おうかと思った次第だ。……魔力器官の症例に関して、お前さんと話をさせてみたい奴がいるんだ。明日には退院するから、日付の調整をさせて欲しい。論文になる予定だから大っぴらには今話せんが」

「オーケー。カナリアに戻り次第すぐに、…としたいところですが、この後そちらへ帰りましたら定期メンテナンスの方が控えておりまして。今日から一週間後以降であればどこの日付でも大丈夫です、時間指定をして頂ければ空けさせてみせますので」

「助かる、ただ、無理だけはするなよ」


 ラムの言葉に、画面越しの彼の目が丸くなる。その形はすぐに緩やかな弧を描いて、優しい印象を与えに来た。


「先生も博士も同じことを言いますねえ。ふふ、国を守護する機構の身に、そのような気遣いをされますと照れてしまいます」


 ──不変の強さだ。

 いつなんどきも、その姿勢が崩されることなど無い。自らを兵器と自覚し、機構と自認し、徹底的に物として扱うことを良しとする。人間として扱ってくれるな、と言う固い意志を持つ者。これでラムよりたった五つ下であると言うのに。その容貌も言動も、ただ平穏に過ごせる日々を確約された民として生きるだけでは決して手に入らないものだ。民を、国を守護する為、盾と言う名を冠した矛になる。日々の王国民の安心は、彼等の表には見えない努力のお陰で成り立っていると表現しても過言では無い。

 白い軍服、そして肩には歯車を模した階級章。その貌と位だけで、腰を抜かす人間は数知れず。しかし、五体満足と言うには程遠く、彼には腕のシルエットがどこにも無かった。両肩から下には重力に従い床へとぶら下がっている、ただの袖がある。腕を覆う為の袖に、肝心の腕自体の質量がどこにも存在していないのだ。

 それは、癒術師とはまた違う場所で、生死の境で戦うことを示す痕跡。両の腕と左目を失ってなお、"欠けた"とすら思わせないオーラを纏っている姿は、カナリア王国防衛機構であるカナリア国防軍へその身を沈めている紛れも無い証明でもあった。


「先生こそ、また一対一で人と向き合ってばかりいるのでしょう?顔に無茶が出ていますよ、自分を労ることもいい加減覚えて下さいね」

「はは、そうは言われても、ここまで染み付くとなかなかなあ。働いて無い方が気持ち悪くなっちまった」

「何だ、そこは私と揃いですね」


 ラムにとって、彼もずっと向かい合っている患者の一人。彼だけに留まらず、一度関わった患者のことは記憶に刻んでおくようにしている。記憶容量を必死に広げ、脳に住まわせる…もう一度信頼して貰えた時に、自身の力が必要になった時に、いつでもすぐに手を取って助けられるように。

 一族の能力があるとは言え、ラムは己のことを天才や秀才の類では無いと思っている。ただ、凡人の癖にしては努力家だ、程度の自認であるが。患者と向かい合うこと、患者を絶対に救いたい気持ちの大きさは誰にだって劣らない自負はある。自分の腕は人を救える、と、声も腕も震えずに真っ直ぐ言えるようになってからはまだ少し。ただ、救えない、と言う言葉は一度も吐かなかった。

 …まさか、あの時は国王指名で教師になるとは思いもしなかったが。暫く癒術師として現場で働くことはあるまいと思っていたラムを、また一時的にここへ戻した青年も。彼と同じ程には、特に忘れられなくなりそうだ。


「先生は私のように機械ではないのですから。限界がありますよ、全てを脳に納めようとしたりなんて。……私なんて、殺めた物の名前も種族も全て忘れてきました。不必要な情報だけで無い、抱えていて辛いこと…自分の腕を鈍らせる情報は、切り捨てた方が良いのですから」

「心配ご無用、俺の不器用は一番の武器でもあるって自信ついてるからな。今でも全然、悩みとかあったら聞くから遠慮するなよ」

「──変わりませんね、本当に」


 たった数分。それだけでも、互いの不変を知り安堵するには充分すぎた。

 本来の約束を取り付ける目的とは他に、ほんの少しだけ雑多な話をする。出せばすぐに返ってくる言葉に喜びを隠せない、つくづく技術発展が目まぐるしい世で良かった。一人の患者と癒術師であり、それでいて誰かの生の為に戦い続ける者同士。

 あの日、あの時、死ぬ方が楽であっただろう彼の「生きたい」と言う願望に応えることが出来て非常に感慨深い。例え、彼の今の姿を不気味だと指差す者がいたとしても。その在り方を、ラムは永く見守っていたいのだ。


「それでは、また我が王国で」

「ああ。急にすまなかったな、ありがとう」


 談話を終わらせた切っ掛けは、あちらの時間が無くなったことを知らせる部下の声。ぷつり、と映像が途切れた直後数十秒は名残りを惜しんでいた。

 特殊な業務に日夜励んでいる筈だろうに、全く疲労感が見えなかったのは、同じように無理をしているからだろうか。隈も、睡魔も、彼には訪れない身体だと言うに。どうしてもラムには、彼を機械のように見ることは出来なかった。会う度に彼は兵器と言う自覚を益々高めている、そうだとしても彼を一人の人間として見る自分がここにいて、本当に安心した。

 人から離れたから腕が無くても平気?魔力器官が傷付いても平気?そんな無責任なこと、言えるわけが無い。人は自分の何かが欠けることをひどく嫌い悲しむ生き物だ。そして、他人の悲しみを自分の悲しみのように感じて共感し分かち合える生き物でもある。人であることを自ら切り離そうとする危うい生き方こそが、彼の覚悟で。彼と肩を並べる者や部下達も同じだ、国防軍所属の者達はとかく人の身でありながら人であることを平気で捨てようとする。その階級章に刻まれた通り、王国と言う機構の歯車になろうと忠実に生きるのだ。

 異常な程の忠誠心を育て上げるのは、国王二人に対する尊敬と憧憬の念だけでは無い。誰も彼も皆、どこの国よりも平穏で楽園であると評価されているこの国自体を愛しているからだ。彼等はその献身の為に生きている、なんと尊き命であろうか。


「……ノア、起きてっかな、」


 消灯の時間にはまだ早い。自身がこの手で、魔力器官の施術を完璧に行った患者。教師になってから、始めての患者。今話していた彼と言い、つくづく驚きの出会いは自分に良く巡って来るようだ。

 ノアが眠りに就く前に、一言だけでも教えていこう。……どうしても会わせたいあの男のことを、少し似ているあの男のことを。

 席を立つラムの背中は、珍しく浮き立っているように見えた。


 × × ×


「オルコス提督、いつでも出港出来ます!」


 巨大戦艦上、まるで海を裂くように道を開け敬礼をする水兵達を一瞥し「よろしい」と目に映すのは、この艦だけで無く今水上に立つ艦隊を纏める者。

 その両腕は、かつて壮絶な戦いの折に失ったと聞く。その左目は、友の死に報いた際に無くしたと言う。だが、彼に対して凄惨な容貌だと同情する目を持つ者はこの場のどこにもいない。

 それでもなお立ち続け。如何なる時も生き残ることだけを貫く、生存の鬼。正しく、どこにも落ちぬ不沈艦を人のかたちにしたかのよう。


「皆、此度の任も大儀であった!帰国の航路も気を張り詰めることだ、既に知らせた通り今回の特殊海域巡海の任は陛下のお考えあってのこと!油断せずに務めよ!」


 アイ、サー!

 統率された返事が響く、同時に持ち場へと散る水兵達の姿を追った提督は。その視線を海へ、そして暫しの間焼き付けることになった……海賊公国の異名を持つ国を振り返り、直ぐにカナリア王国への路を見つめる。


「………今年は、海が騒がしくなりそうだ………」


 先生にも言っておけば良かったかな。

 セルフィ・オルコス提督の、そんな小さな呟きは、誰の耳に入ることも無く潮風に消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る