121

 今までの何よりも繊細で、緻密で、正確な発動が出来ている。針の穴に糸を通すが如く、非常に細かい身体の内側で起こる魔力器官の動きや細胞の働き、ミクロの世界の一つ一つを俯瞰しているような大それた感覚だ。鈍った体を叱咤する意味でも、ここ数日休むことなく続く魔力放出のリハビリを重ねる度に今の自分の力の大きさを自覚して恐ろしくなる。

 まるでこれは自分の身体じゃないみたい、だなんて。

 十七年と言うまだまだ短い人生の中であれ程までの苦労をしはしたがそれでもこの見返りは大きすぎて動揺も強い。…これが、自分の、本来なら最初から持つ筈の力だったと言われてしまうとあまりに恐れ多すぎる。むしろ、情緒の未発達だった頃に悪戯に開放されなかったことに安心を覚える程だ。

 魔力器官を通し放出される数値を測定しながら、翳した掌の真上の空間。宙に浮かぶ、可視化された僕の色を表す馴染み深い魔力を凝縮させた塊がある。突如目覚めた移動魔法と言う才能では無く、地力として出せる僕の元からの属性であるそれは……水の中で浮く泡のように、地上の中で漂う球体の形を保ち続けたもの。時折ぱちゃり、と揺れた音を立てる極少の水の塊を、指示通りに少しずつ少しずつ体積を増やし大きくさせていく。詠唱と共に渦を巻くそれを眼前にし、自分の魔法だと言うのに見惚れてしまった。

 …まるで、綺麗な宝石だ。

 歪な在り方で無茶苦茶をしていた頃と全く違う、この濃紺の髪色に恥じない能力の扱い方とは正しくこういうことを言うのだろう。

 宙に留まらせた水魔法を長時間維持しても疲労をまだ感じ始めないと言うのだから、こうなる前後の自分自身に大きなギャップを抱いている。ようやく本来の能力を取り戻せたこと自体が嘘に思える。前世との決別を与えて下さった陛下の御尊顔を思い浮かべては、あの時の悍しい化け物の形も記憶の中で蠢くのだが。はっきりと区別も別離も済んだ今は、怯える理由も見当たらない。

 順調に回復していますね、と。最近日課になった訓練士の魔力調節、発動の安定を診るメニューは本日も及第点を貰えたと察する声色で終わった。計器で測定された数値にも異常がないことを一緒に確認するよう促され、安堵の息をつけば緊張感がようやく散らばっていく。良かった、と言葉を零せば、このリハビリにいつも付き添ってくれるラムも続いて評価を下していた。


「発動中の魔力循環にも問題は無いな。リハビリ始めてもう一週間になるが、コントロールの仕方が抜群だ。キメラ細胞の拒否反応も起こっていない、ひとまず日常生活で使える範囲の魔法行使なら退院後許可は出せそうだ」

「ありがとうございます。…何だか、未だに慣れませんね」

「お前さんの全身は過労してたんだよ過労。施術前に話した通りに無茶だけしかやってこなかったんだ、それが余裕を持てるようになったってことだからよ。慌てず落ち着けば変な暴発もすることは無い」


 人の内部を見渡せると言うラムの魔眼が、瞬きと共にその光を静かにおさめる。予定していた入院期間は早くも半分を過ぎ、折り返し地点となった現在。リハビリの時間は僕の状態に合わせて少しずつ増え、レパートリーも幅を広げていた。

 何せ、大分壊れかけの状態で起動させていた器官が完璧に治癒されたものだから。今まで当たり前だと思って行使していた魔法のプロセスが、実は相当困窮していて切羽詰まった状況での火事場の馬鹿力だと分かれば発動時の印象も変わるものだ。毎日毎日火事場を経験し、時には嘔吐してまで生活の為に身を粉にしていた。その辛さがむしろ心地良くなる程までに働き続けてきたことが、こんな場面でも役に立てている。


(……こんなに、辛さを取り除けるものだったんだ……)


 先生方の話を聞きながら、膝の上で拳を握り込む。あの夢から醒めて以降、怖いくらいに体の調子が良すぎるのだ。正確に言うなら、全身が軽い。軽めの規模の魔法を使う際も、前に込めていた力の四分の一程度で安易に行使が出来てしまうことに驚愕し。嬉しさと恐ろしさの間を行ったり来たりしている最中である。分かりやすく例えるなら、ずっと低レベルのままだったセーブデータが覚えの無いうちに勝手に高レベル表示にされているかのような。

 こんなにも今までの自分は欠けていて、阻害されている部分が多かったと自覚させられたと同時に。今の自分に胡座をかかぬよう、己を叱咤する。…寝て起きたらすごく強くなってましたラッキー、だなんてほざける余裕などあるものか。こいつは意外と重たい事案だ、幼少のみぎりは濃い色を持っているのに魔法がからっきしと言うのがコンプレックスではあったが、底を抜き蓋を開けさせられた後はこれが「才能」と言う名の枷になってもおかしくは無い。いや、独学だった分それにしかならないだろう。

 何もかもが違うのだ、一番実感しているのは出力の送り出しだろうか。狭い出入口だけで無理矢理通していた魔力の道は、回してみると嫌と言うほど分かりやすく。今までの力の出し方のまま魔法行使に走ろうとすれば、予想以上の放出が行われる。狭すぎる魔力の通り道が一気に大きく拓けたのだ、今まで通り初めから強めの出力で魔法を使ってしまえばどうなるか分からない……癒術院内の敷地は、あくまで日常生活が送れることを基準にしたリハビリの為の施設が多い。最大火力や最大移動距離に挑戦出来る訓練所などでは無い以上、あの悪夢を生還させて頂いた自分の身は「限界を知らない」と言う難点も抱えている。退院が許可された暁には、カシタ山で自分自身での調整を行う時間が必要になるだろうとも。

 明日からも無理せず頑張っていきましょう、訓練士の言葉にしっかり力が入るようになった腹からはいと良い返事をした。車椅子に乗り換えたところで、ラムがそのまま引き継ぐことを伝え、リハビリ用に作られた専用の棟から共に離れていく。


「先生も、毎日お時間取って頂きすみません、」

「気にするな。患者も生徒も最後まで受け持ちたい。それに、陛下からのご期待も頂いているからな」


 陛下からのご期待、と言う質量が凄い言葉を、自分の受け持ちだからやりたいと言う言葉の後に出すあたり、ラム・ダストアと言う人の在り方を思わせている。眼窩が熱くなりそうな感情が湧き上がった。ゆったりと白衣を着たその身体を歩かせながら、横でハンドリムを握り車椅子を動かす僕を見る目はいつだって優しい。体幹がしっかりしている歩き方だなあ、等と考えつつ、リハビリから一転、今度向かうのは面談にも使われる部屋だ。退院するまでの二週間、約束した通り僕も先生も一日たりとも論文の為の会話を途切れさせることは無かった。作成する為に必要な情報を共有し、学の少ない僕の為に閲覧許可が出た他患者のデータも拝見させて頂いたりして。身体を動かすのと同時に頭も大分使わなければ理解が出来ないことも多く、ここまで集中して物事を習っていると兄さんと二人きりで必死で勉強を頑張った日々を思い出す。

 僕より症状が軽い重いに関わらず、魔力器官に異常をきたした種族は大概がその後の生活に苦労しているようで。結構以前の話になると、癒術の発展していない国でそうなっては治療もろくに出来ず亡くなったりした事例や、現在に近い時系列のデータ上でも命は危うくなかったものの二度と魔法が使えなくなった重大なストレスから自殺を行う者も存在したらしい。そう言った患者のデータを脳に蓄積していく度に、ただ客観的に書かれた文字列である筈なのに大きな感情移入をしてしまった。

 死にたくなかった。死ななくてよかった。今僕がそんな風に安心して言葉を出せるのは、話せる為の身体と心の余裕があるからだ。それを作ったのは、僕を助けて、そして待ってくれていた方達だ。エリーゼ様、兄さん、ニアくん、ラム先生、アマンダ先生、そして陛下。奇跡的な要因が絡んだものの、生かして頂いた以上もう二度とこの命を無駄遣いすることなど許されない。だって、僕には、エリーゼ様と幸せに、一緒に生きたいと言う夢がある。その夢を、命続く限りまで現実にし続けたいのだから。


「今日はひとつ良い知らせがある。あの論文の中、俺が昔受け持った患者がいるとは話したな?そいつ、似た症例の奴がいたらいつでも会話相手になってやるって昔から言ってくれているんだが。良ければどうだ?不規則な仕事に就いてるから休暇がなかなか確定しないんだが、お前さんが良ければ取り持つぞ」

「えっ!そ、そんな、いいんですか。……あの中で、先生が受け持った方、って、確か…」

「そ。両腕吹っ飛んだ上に魔力器官にまで深い傷が達した症例の奴。……正義感と責任感が強い奴でな、あととにかく節介の焼きたがり。もしも自分より後にこんな患者が出来たら自分を呼べってよ。なかなか話せる相手もいないだろうし心細さも無くせるだろうから、って俺伝いに色んな癒術師にも言ってる。なんか知らんが施術担当してからずーっと懐かれててな…」

「是非ともお願いさせて頂きたいです…!」


 そんな機会、願ってもまたと無い。相当症例が少ない魔力器官に関することを、当事者同士で話し合えるなんて。間髪入れずに声を上げれば、彼は「わかった、確定したら連絡する」と微笑む。…担当してから懐かれる、と言うのも、先生の甲斐甲斐しさを思えば強く頷ける話だと思う。教師になってもワーカーホリックなのが心配だ、と他の癒術師から言われているのを耳にした。この先生は、見た目だけでは誤解されることも多いだろうが、すべてに全力で没頭する性質なのだ。本人も無自覚に人の世話を焼くのがとても好きなのだろうなと、会話の節々からでも思いやりを良く感じる。それは、こちらを恐縮させるようなものでは無く。親しげなあたたかさを感じさせるからこそ、こちら側も幸せに受けとることが出来るのだ。


「じゃ、昨日の続きからいくか。あ、飲み物は何がいい?」

「グリーンティーにシロップ五杯で」

「遠慮が無くなって来たな、いいぞいいぞ。元気の証拠だ」


 嫁さんが立ち寄ってくれるまでに終わらしてやるから、と。今日も面談室で出された言葉に頬を染め、慣れた手つきでお茶を用意する彼を前に。一足先に資料を読みふけるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る