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 朝の訪れに対して別段感慨深くも思わない。生憎と詩人のような性質とは全く合わない為か、無感情と言うわけでは無いが日々の平常に落とし込められた自然な現象と定義付けられた物という以外の印象は、無い。ただ、どうしてか、澄み渡った筈の青空であると言うのにいやに白々しいような色をしていた。

 姿見に自分を映す…炎が愉悦を感じながら踊る様をそのまま人のかたちに落とし込んだ、獣を孕んだ女がここにいる。心なしか、ここ最近は自らの個性色がより艶を増したようにも思えた。以前から雑に切り落としたこともある紅の髪が、ひとりでに生命を手にしたかのようだ。

 髪を整え、自らを現す色で染められた衣服を纏い。足先の鎧にも等しい赤いヒールが地と自身を繋ぐように、存在を強調する。もう大分、己の周りを取り巻く環境は変わった。変わって「しまった」等と表すわけもあるまい、それ程までに緩やかで穏やかで柔らかな暮らし……何処か冷水のような日々は掻き消えて、随分な好事家と正式に伴侶と成ってまだほんの少しの時間しか経っていないのだが。この視界に映る景色が全て変わるような場所にまで、己に劣らぬ強欲さを持つ男に攫われて。それが良かったと心底から感じられるまでに自らの緊張も緩和したのが真実。

 ただ、すっかり見慣れた景色の中に。しばらくは見慣れない空間が続くことは違和感がある。


「行って参ります、兄君」

「うん、いってらっしゃい。帰りは癒術院へ寄ってくるかい?」

「ええ。少し、所用もありますので夜……遅くは、ならないかと、」

「わかった、晩御飯用意して待ってるね。気を付けて!」


 なんともおかしい感覚だ。この瞳に映る景色のほぼ全てを変えたのはあの男だと言うのに、肝心の本人がこの場にいない。

 貴女がこの景色にいるだけで幸福だ、貴女の手を取れただけで人生が報われた、貴女こそが愛そのものだ、……常日頃使える言葉とは到底思えないものを、大袈裟でも無く当然のように。心から思った上で、その質量のありすぎる感情を下げながら言ってくる男は。少しの間、隣にいないことを余儀なくされている。それで一番心が乱れているのは本人なのだろうが、物理的な距離がある今のうちに雑音が入り混じった自身の精神も穏やかにしなければなるまい。離れたことで得たものは、たった一人で動く時間だ。この体の中に飼っている化け物が、あの男に牙を剥かぬようおさめる時間。

 あれが早々の復帰に努めている間に、異変を調べもしない間抜けにはなれる筈が無い。

 森の木々に溶けていきそうな新緑の髪を風に撫ぜられながら、いつも通りに送り出そうとしてくれている兄君は。今日も、寂しげに微笑んで見送ってくれている。農園に散らばる、見目も質量もあの男と同程度の土人形達は気を利かせてであるのか、外へ出る自分に遠くから手を大きく振ってすぐに作業に戻っていた。

 今まではずっと。たった二人だけだった、この場所。三人目として許されたこの居場所に、自分に、伴侶に、出来ることは数多くある。所用の一言に隠した、今のエリーゼ・マヒーザとしてすべきこと。焦ることも臆することも無いと言うのに、どうしてか、藪をつつく羽目になりそうな予感だけはしていて。

 雑念を振り払うように、農園の家を後にした。


 ──ノアが重篤な症状を乗り越え意識を取り戻してから、早三日。

 施術者の腕が良かったこともあり、意識も体調も完全に快方へ向かっている現在。伴侶として何よりも喜ぶべきその展望とは別に、自分自身のことを更に深く知る必要が浮かんできた。忘れられようも無い、血を口から滴らせ体内から赤を撒き散らした伴侶の姿を見たあの時の自分の感情が、理解出来ずに仕方がない。あまりにも、今までの自分とは違う。自分に対しての明確な違和感を覚えた…からこそ、足掻きたいのだ。


「エリーゼ様、おはようございます!」

「……早い出だねぇ、ヒイロ。小僧も飽きずによく付き合うものだ」

「俺が付き添ってんのはいつものことだろうが、気にすんなよ」


 ブレスレットを使用しての空間魔法の後、周囲の雑踏の全てを聞き流す中で。やけに輝いた声を持つ物好きが自分の隣にいの一番に寄って来ることにもすっかり慣れた。

 温室を抜け、校舎内の広間の端から歩いているといつの間にやら寄り添ってくる、聖女と渾名されるその女は。今日も眩しさでコーティングされた精神に一切の澱みも見せず、純粋な心根のままで気を遣う。


「だって、ノアさんが起きたってエリーゼ様から言って下さった時、本当に嬉しかったんですから!気にもしますよ。彼なら絶対、貴女を一人にしたくないって思うでしょうから」


 代わりにはなれませんけど、変な虫さんが来ないようには私も出来るかもしれませんし。

 にこにこと知ったような風体で普通に世間話を行えているヒイロは、確かに多少今の自分達の状況を知っている。いずれノアの症例が論文になることが確定した以上、特定を避ける為に詳しい病状までは話せてはいないが……ノアが目覚めた休息日の次の登校日。気が抜けたか、まさか自分の心が開いたのか、ノアが倒れて以降自分事のように心配しすぎて憔悴していたヒイロの姿が休み明けでも浮かない表情をしていたからか。つい、口を動かしてしまった。ノアが、無事に目覚めたと言うことを。それが昨日のこと。

 腑抜けた姿はどこへやら、即座にヒイロの様子は良くなり今のこの顔だ。相変わらず過保護染みた小僧の付き添いも引き連れて。世話など焼こうとせずとも良いのに、何かしていなくては落ち着かないと言う様子で、とんだ物好きがいたものだと逆に呆れてしまいそうだ。


「アイツなら、病人と思えぬ程元気にしている。大事をとって車椅子で移動はしているがな、回復が大分早い。既に人の手を借りずとも動けていた」

「マジか、そいつはすげえな。根性で動いてんだろ確実に」

「あ、あの、……ノアさん、お見舞いの許可とかは……」

「しばらくは面会謝絶だ、アタクシと兄君、それにダストア先生以外は許可が出るまで入れんぞ。……いい、また、教えてやる、」


 露骨にそのような顔をするな、と指摘して。すぐ先、方向が別々になる廊下でその視線を振り切って歩いていく。

 ノアが倒れてからと言うもの、自身を更に腫れ物扱いする人間が見えたのも確かではあるが。物好き共が勝手に世話を焼きにくる等と言う現象まで増えたせいか少し、調子が狂う。けれど、嫌うまででは、無い。


 一人で通う学園に、ノアの姿はまた消えたと言うに。以前とは違う感情を学ぶ機会が、その幅が。比べようにならないくらいに広がっているのを感じていた。

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