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「僕の症例を、論文に……?」

「そうだ。今回の件、是非とも正式に形に残させて貰いたくてな。その分、治療費の負担を大分軽くさせて貰うことが出来るから」


 復唱した言葉は、人生の中でも全く縁が無いに等しかった内容だったろう。行間がぎちぎちなくらいに文字が詰め込まれた分厚い書類の文に目を通す僕達へ、ラム先生が説明しながらの会話を続けていた。


 時刻は、午後四時を回った後。


 学園の下校時間を過ぎ、昼間と夕方の境目を迎えていた僕の病室には今。エリーゼと兄さんと先生と、…そしてこのヒュプノス癒術院院長さんと言う、とんでもなく大きな肩書を持つ人物が一箇所に存在していた。エリーゼと先生が来てくれることは知っていたけれど、ノックの後に続いて兄さんと院長先生まで来てくれるとは思っても見なかったから。

 ここまで人が揃っておいて病室でただ僕の様子を見に来る、だけで終わるわけは無い。厳かな雰囲気だとすぐに理解した僕はどこかぼんやりとして待ち続けていた身体の血流を総動員させる勢いで瞳孔を開いた。緊張を隠せないながらも、改めて執刀を担当したラム先生にエリーゼと兄さんと共に深々とお礼を述べさせて頂き。体調を聞かれた後、この場で院長先生をご紹介されたのだ。

 大事なことを話そう、と言って下さった先生がそうして口火を切って、今はまず簡単に説明されたことを僕達が反芻している最中になっていた。


「魔力器官に関する症例は世界的に見ても少なく珍しい、って話はしたな?」

「は、はい。先生に論文を一部見せて頂いたこともありますし…」

「それだけ癒術的に見ても貴重なんだよ。ここに関する症例で身体に対する負担が軽いものなんてほとんど無い、なんせ第二の心臓だからな。何か症状が見えたらそれだけ大事だ」


 魔力器官が使い物にならずとも魔術師として死ぬだけだが人間としての命は残る。が、今回のように他臓器まで巻き込んでしまったとなると、対応出来ない癒術師相手だと普通に死んでいただろうと重い現実を先生から話されて息を飲む。

 馴染みの無い病室でせめて病人らしく大人しく努めようと一生懸命身体を休ませることを意識した先、空が橙に染まっている現在。意識不明状態を四日間も経験した割には基本的にぴんぴんしていて、自分でも大分回復の幅に驚いているところである。僕を救ってくれた癒術院の方達と僕を待ってくれていたエリーゼと兄さんがいたからこそ、術後の経過も特別に変化が無く穏やかに過ごせているに違いない。車椅子必須とされてはいる状態でも立ち座りは平然と出来ているくらいではあるが、意識回復から自力でここまで出来ること自体が奇跡であると思い知らされた。

 倒れた僕のことをすぐに異常を知らせてくれたエリーゼとニアくん、それに応急処置を施してくれたアマンダ先生。そのまま僕が運び込まれたのがヒュプノス癒術院で、ついて来てくれたラム先生が自ら執刀を願って下さらなければ、ここまで快適な目覚めは無かっただろうと思う。


「勿論、その際の執筆もお前さんへのカウンセリングも俺が担当する。個人情報はしっかりとぼやかされるし、特定がされないような配慮は絶対に行う。ですよね、院長」

「うん、これはラムくんたっての希望でもあるからね。…せっかく学園にスカウトされたって言うのに、本当に働き者なんだからさあ。これじゃ私達が過労させてるように見えちゃうから、困りものだよね」


 苦笑しながら笑う、白衣の初老男性。院内の壁に貼られていた写真と同じ顔のその人が、ラム先生と僕達を見やる。退院以後の生活や入院費についてさわさわと小声で相談している僕達を、孫を見るかのような優しい目に入れてくれていた。

 論文。

 カウンセリング室でラム先生に見せて貰ったあの分厚い資料群達。魔力器官に関する症例に罹った患者のレポートや、事細かな論文。……癒術師界の間でも相当貴重な財産であろうことはその際の会話からも、十全とした内容からも既に察していた。その論文に、僕の症例を落とし込む…と言うことは。似た症状で苦しむ人の為の助けにもなれると言うことなのは分かる。人の命はたった少しの過ちでも取り返しのつかないものになってしまう、それを防ぐ為にも一つの症状に対しても膨大な情報量を必要とし、その知識を生き字引のように持ち歩き処置を可能とする段階まで持っていくことが出来るのがプロの癒術師だ。

 珍しい病に罹患した患者一人だけの情報では、多数を救う為の情報量を補うにまだまだ足りない。十集めた中からようやく確定された発見が一、という例もあるが、様々な要因を探り当てるうちに式は目紛しい程の枝分かれをしていくものだ。新たな病があれば即座に学会も開かれ、治療法の確立が急がれる。極少数しか罹患した記録が無い事例も同じように優先して情報の収束に力を入れているのがこの院も加盟しバックアップを惜しまずにいる癒術師ギルドの方針でもあった。

 僕の症例一つで少しでも癒術師さん達の役に立つなら、是非是非とすぐに返事をかえしたのに。数秒間、驚く最中で冷や汗をかいたのも正直な感想。


(……女王様の魔力が関わってる、ってこと、流石に僕の口からは……!)


 論文でもレポートでも、この症例が未来の誰かの助けになるなら快く頷く。しかし、意識不明の間も、そうなる前も、僕の内部で起こっていたことをどこまでどうやって文字にして書き起こして貰えばいいのやら分からない。現実だ、ノンフィクションだ、けれど到底難しいことがあったからか、貴重な症例だと言うのに陛下と言う特殊な存在が関わったことでどこまでが正しい症例の範疇であるのか、専門家でも無い僕には判断など出来ない。

 どうしよう、と言い淀んでいると。次にラム先生が出した言葉が、勢いよく耳に入ってきた。


「今回の件はカナリア王国としても癒術の発展に繋げられると見て、ベニアーロ陛下からもご協力と更なる寄付が得られることになっている。論文の許可をお前さんから貰えれば、論文対象になった対価として負担減が出来るし、加えて寄付金の一部をお前さんの治療費にあててくれとまで言伝もあってな?なかなか無い経験だからこそ不安が多いかもしれないが、バックアップは強力だ。それでも嫌なら無理にとは言わないが……」

「い、いえ!ぜ、是非、是非ご協力させて下さい!先生には命を救って頂きましたし、今の僕に出来るなら何でもしますよ!」


 ――陛下!

 思わず内側の自分が叫び出しそうになった。彼の名が突然文脈に現れ、寄付や協力といった単語が出た時点で「既に手を回されている」と直感が煌めいた。悟りとも言う。確かに、難病患者の為のプロジェクトなどを前世の人が住む世界でも国の機関やトップが率先して動かす姿を見せることは上に立つものとしては珍しく無い行動だ。何より新たな教師陣は全て陛下の人脈を使って集められた時点で、陛下とラム先生にも繋がりはある。そこから僕は繋がる、と言う流れは不自然では無い。

 エリーゼから女王様を通しての陛下から僕、と言う実に回りくどく複雑な関係性をゼロから説明する責任も今は持たずとも良いということ。元より陛下の行動力と思考力に追いつける者など数少ないだろう、ただ今の僕が察することが出来たのは、僕の中で起こったことは除いてそれ以外の症状全てを語り尽くすことを指名にせよということだ。

 申し訳ありません、早くも知恵熱が出そうです。


「本当に…こんなに弟の為に手厚くして頂いて、感謝の言葉しかありません、重ね重ねありがとうございます…!」

「伴侶に尽力して頂いたこと、大変感謝しております、」


 深々と礼をする二人と共に、僕もベッド上から座ったままで御辞儀をする。ああ、本当に、命があるだけでもありがたいと言うのに、ここまでアフターケアもして頂けるなんて。僕の家庭状況を鑑みて与えてくれただろう状況、ここまで一生徒と、一患者と向き合ってくれる存在に。今まで全く知らなかった先生と言う職を、これから神聖視してしまいそうなくらい大きい温情を与えて貰えた。

 死に掛けたと同時に得たものは遥かに多いのだと、エリーゼを抱きしめた時には、自覚していたから。


「いえ、こちらこそありがとうございます。癒術の発展にご協力頂けることは何よりありがたいことです。魔力器官に関しては、世界的に見ても専門家が少なく権威者にまで至れる者も数少ない。それ程の技術が必要なんです。王都一と呼ばれるこのヒュプノスでさえ、魔力器官の再生をたった一人で行える者などおりません。ですが、ノアくんの症例を後年にまで残させて頂ければ今より更にこの国の癒術師の質も上がります。…俺は、こんなんでも一応はここで一番出来がいい、って言われてたもんでして。必ず役に立たせてみせますとも。なあ、ノア」

「………はい、出来る限り、協力させてください」


 こうして。

 ひとまず退院するまでの間は、ラム先生との話し合いに加えてリハビリと、閲覧許可が出ている資料を見せて貰えることとなった。魔力放出もリハビリ内で少しずつ行っていくとのことで、順調に行けば本当に入院前と変わらない状態で退院出来るそうで、一安心と言ったところ。


「ああ、ちなみに、アークさん。こちらをどうぞ」


 そんな時。少し言いづらそうにしながら、兄さんに書類を渡したのは院長先生。


「え?これは………」

「職柄、治療費の申告に必要な書類もあると思いまして…予定通り退院出来た場合の計算になりますが、施術費、食費、薬代、病室含む施設利用費の合計が一枚目。難病罹患特殊保険を含め、論文対象限定減額、その他一切を寄付金で補って丁度0ネアリになるまでの羅列が二枚目になりますが…」


 兄さんの目が飛び出すのでは無いかと言う程に見開かれ、一枚目から二枚目に視線が移る間に肌色が死人から幽霊になり、また生者へ戻っていくと言う一連の変化を僕は目にした。

 書類を手にして固まる兄さんの横へひょっこり顔を出して覗き込んだエリーゼは、流石元伯爵令嬢というだけあって大きく書き込まれた金額に驚くことも無かったらしいが。「…ああ……」とだけ、声が出ていた。待って下さい、怖いです。


「……に、兄さん。あの、…お代金は幾らに…?」

「兄君。些か心臓に悪いと思うので、…教えるのであればゼロの数だけ、」

「ははは、そうだね、うん。ええと、ゼロが後ろから、一二三四五六し」

「ありがとうございます先生方!!本当に!本当にありがとうございます!!!」


 六の次に控えがいる!控えが!あまりの大金が動いたことに、口からはまず感謝が銃弾のように飛び出てくるしかない。

 今はそれくらいかかる程、完璧に施術出来る人がいなくてね…と院長先生までぺこりと頭を下げて。よし絶対貢献する、したい、万が一僕と同じことになった患者さんが術後様々悩まないことが当たり前になれるように、一欠片でも役に立てるなら。


 魔力器官論文対象者、となることが決定したこの日から完全復帰して退院するまでの間。

 平穏な時間が流れればと言う希望とは反対に、無ければいいなと思っていた僕達三人を待ち伏せする予測不可能なイレギュラーが殴り込みをかけてくるのは、すぐになる。

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