113
「ノア!!」
息を切らして病室にやって来た存在は、既に瞳を潤ませている。隣に安堵した表情の癒術師を携えながらも我先にと足を進めてくれたのが分かる前のめりな具合に、ああ自分はこんなにも心配をかけてしまったと察し。続け様に、こんなにも自分のことで喜んでくれるだなんて思っても見なかった。
だって、今、求められているのは自分だ。
ノアと言う、確かにこの世界で産まれた人間で。この世界が初めての人間。それだけで嬉しい、他の誰でもない自分をエリーゼも兄さんも待ってくれていたことだけで。張り付いていた不要物として剥がされたものの影響は、僕の自信を余程削り込んでいたらしい。瞼の裏で消えていった、あの大きな怪物の最期を思い浮かべ、……あれが消滅しただけで、こんなにも全てが眩しく感じられるのかと思い知らされた。陛下との奇妙な記憶の旅路を抜けた先に待っていたのは、自己を肯定出来る心。もう二度と、人格について悩む必要は無いという吹っ切れた感情。
気付けば、遅れてやってきた歓喜が全身に乗り移る。まるで今日が僕のもう一つの誕生日みたいだ、本当に生まれ変わった心地である。
ベッドの上、エリーゼを片腕に抱いたまま勢いで起きた。そのもう片方の腕で駆け寄って来た兄さんを掴んで引き寄せる。なんて我儘で欲張りで、幸福なんだろうか!
「ありがとう、二人とも、心配かけてごめんね、」
心では、吹っ切れていた筈だった、そう思い込んでいた。エリーゼを無事に家に連れ帰れたのなら、前世で悩むことはもうやめようと、切り離して考えようと。それでも実際はあんな風に悍ましいものが僕の中に絡みついていて、考えるのをやめたところで切っても切り離せない状態だったことを僕の中で教えられた。
生きるにはあまりに不便な要因を、物理的にも排除出来た後。大好きで、守りたい家族に対して余計に愛しさが込み上げてくる。今ならもう一度、自信を持って間違いなく言える。
ノアは、エリーゼを愛する為に。ノアは、アークと過ごす為に。前世等関係無しに、この家に産まれて来たのだと。
「こら、嬉しいのは分かるけどそこまで。絶対安静なんですからね」
癒術師の穏やかな声は、宥めると言うよりは現状を微笑ましく見てくれている証のようで。
久しぶりの目覚めにはしゃぐ僕と、微笑むエリーゼ。そして、僕達二人を見つめて嬉し涙を流すアーク兄さん。
× × ×
確かに現実だった夢、平時なら起きると同時に忘れるものの景色も話も一言一句流さずに覚えていることが不思議でならない。ベッドから少しだけ立ち上がってみた時の感覚は完全に現実だ、けれど同時に、あの時もあの場所で歩いていたのだと、僕に経験として記憶させていた。精神体であったにも関わらず、こうも僕の身体に蓄積する現象だったのだと改めて思わせてくれる。
水先案内人と最初名乗ったあのお方のお力添えもあり、ようやっと前世の枷から本当の意味で解放された現世の僕。魔力器官のことを除けば基本的に健康優良児であった身体は、現在、絶対安静にと言う注意を受けた上で別の場所へ運ばれていた。
「あまり無理はしないで下さいね、しばらくは移動も大事を取って車椅子でお願いします」
「はい。……入院期間ってあとどれくらいになりそうですか…?」
「少なめに見積もっても最低二週間は予定に入れています。この四日間、薬液を点滴していたとは言え絶食状態、大分体力も削られています。それに魔力器官における症例は世界的に見てまだ少ないですから、経過観察は大事です」
意識が浮上して。所変わり早速の診察室、倒れて以降何と四日も経過していたらしき僕の足取りは当然おぼつかず。エリーゼと兄さんも同席のもと、僕の担当の先生と空間を共にしていた。先生が、混乱しないよう少しずつ説明してくれているお陰で大方の状況は掴め始めていて。
現在、僕は車椅子に乗せられた状態で検査を終え、改まって僕の症状とこれからを説明されている。
執刀担当をしたラム先生には、僕の計器の数値が正常に戻った時点で既に連絡がいっており、明日学園に行く前少し僕に姿を見せて下さるそうだ。
諸々聞くだけで、大分人様に色々な迷惑をかけたようで大変申し訳なく思う。あの
「あ、もう転入自体は白紙に戻してあるぞ。流石にこの状態で実技とか参加させられないし、元々短期の約束だから終わりが早まったって思ってくれていい」
「!?あ、あれ、?実技のことって、兄さんに話した、っけ」
「大分無茶したことはエリーゼちゃんから聞きましたぁ〜!全く!喧嘩なんかノアには十年は早いぞ!」
おっとこれは辛い。いやそりゃ無茶したことが原因の一つなら、その内容が詳しく身内には知れ渡るのも当然だと思うのだけれど。まさか在校生相手に大立ち回りした件が耳に入られてしまうとは。
俺もエリーゼちゃんもノアには休んでほしいんだから、と続けられれば言い訳も出来ない。守りたかったのに、これじゃあ立場がまるきり逆だ。
「とりあえず、現在胸部には全くの異常無しですね。臓器投影写真も健康そのもの、キメラ細胞も一切の拒否無く完全に君の血肉として同化しています。破裂した箇所は肺も含めて完全に元通りになっていますね、術後は明らかに魔力の巡りも良くなっておりますので魔術師としての復帰も全く問題は無いかと」
僕の施術時の写真が、癒術師の先生のデスクに先程撮った写真と並べて貼り付けられている。スプラッタ映画のワンシーンかと疑いたくなる程の出血が、写真の大半を赤く染めていた。
回復も順調であるので今後も日常生活に不便は無いだろうこと、加えて以前よりは魔術的技量に関しても扱いやすくなるだろうことも明るいこととして言われ。心から安心すると共に、陛下の微笑みが脳裏に浮かぶ。……あの出来事、何が怖いって僕の中で本当に起こったことなんだよな…。元凶を文字通り潰して食ったものの存在を思い出し、強さとは怖さであることを肝に命じた。
詳しく聞けば、施術自体の出血量はラム先生の手腕もあって最小限に収めてくれたらしいのだが、魔力器官が破裂したことによる肺への影響も大きく、開胸した時点で既に中身はとんでもない血塗れ状態だったようで。最終的に換算された出血量を聞いて頭がくらくらしそうだ、よくぞ生きてくれたと自分の身体を褒めてあげたい。
「二週間、……あの、施術もあわせて治療費っておいくらほどに…」
「こら、患者はお前なんだからまだそんなこと気にしなくていいの!休む為なんだからむしろふんぞりかえってなさい」
「…ふふ、仲がよろしいようで本当に何より。」
いや個室の時点でそれは気にしてしまう。ただでさえ心配もかけた上にお金もかけてしまう、自分の職は身体が資本であるからこそ無理せず療養する時間が必要なことは分かっているが、魔力器官に関する治療に大金がかからない筈が無い。
働き盛りの頃合いに倒れるのが一番駄目だ、それをやらかしてしまった以上前以上に頑張らねばと思ってしまうのが職業病だ。
「…不安に思わずとも、ラム先生はそのことについても話そうって言ってくれたんだ。今自分から心配事増やさないでおきなさい、休むことに集中してほしいと俺達は思ってるんだから」
「そうだぞ、子犬は子犬らしく栄養を摂取し寝ることだけを勤めにするが良い」
「…面目無い…二人ともありがとう……」
四日間、加えて最低でも二週間は経過観察の為に癒術院にいなければならないと言うのも分かる。しかし二人が言ってくれるように、目が覚めて早速焦り始めて自分を追い込むのも悪手だ。もうこんなことにはなりたくないのなら、しっかりと静養するのが一番。ここで無茶をまた重ねて学習せずに再び倒れるよりも、体調を安定させてからの方が絶対に良い。…実際、検査への移動の為にベッドから車椅子へ移る際も両足にふらつきがあった。全くもって本調子でない事は自分自身が一番分かっている…痛いところでは、ある。
体格も大きめの上に転倒リスク大と来ては、不用意にうろつけば迷惑しかかけることが出来ない。情けない、と後ろめたく思う気持ちからは一旦視線を外して、優しく僕を見守ってくれる皆の言葉に、甘えることにする。
僕は、僕として。ノアとして。この世界にしかいないノアとして、この世界にしかいない僕だけのエリーゼとこれからも過ごせるんだ。
その幸せを心に滲ませながら、再び出会えた安寧を大切にしよう。夢じゃない、生きていることが現実だと教えてくれる人達に囲まれながら僕は終始笑顔になれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます