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「そなたが倒れた一番の原因はこれだ。次いで、ブレスレットだな。あのカナリアの贈り物さ」

「はっ?え、えええ…」

「順に説明するさ。流石に魂にここまで容易く介入出来る魔術師など私とカナリア以外に存在はせん。身体はラムという専門家に預けている以上、ここから先は全ての専門家である私の出番と言うわけだ」


 さらりととんでもない理由を混ぜられて話を勧められるが、もう今はどの話題に反応すればいいかも分からない。目に映る物に釘付けになればいいのか、奥方について原因と貴方様が平然とおっしゃっていいのでしょうかと言えばいいのか。

 ただ、確実に陛下は全てを知っている。疑問に対する解答が次々に出てくる中、今この時も彼は悠長に話しているわけでは無いと分かる。教える、と言う彼の言葉通りにこの場を僕の教材として利用するつもりなのではなかろうか。

 ……水の中だと言うのに、僕達以外にはっきりと音を出す物体は。そんな僕達に反応するでもなく、気に入った遊び場から離れ難い子供のようにその場に噛り付いている。


「ここはそなたの中身。端的に言えばそなたの心の中を可視化し精神体を私が飛ばした場所。そして、魔力器官が見せる悪夢そのもの。……見よ、あの今にも破壊されそうな大樹を。あれがそなたの根幹となる魂の表れ。それに巻き付く触手が、そなたの中に潜んでいる邪魔者だ」


 病気の時に見るひどい夢程不快なものは無い。が、ひどいを通り越して、今見えるものは…あまりに冒涜的が過ぎる。

 視界の中心に聳えるものは、大樹だ。今まで歩き回って見た樹々とは比較にならない程巨大な物であった。幹の直径がどれくらいかも想像がつかない、僕が千人集まって周りを囲っても円周が絶対足りなさそう。上へ上へ伸び、相当に枝分かれした枝のひとつひとつも簡単に朽ちそうにはない硬さを持っているのが分かる。下にも複雑な根を張っているのか、うねった形のまま地面をパッチワークするように外の方へ姿を現していて。地面の奥底から根を上へ、そして外へ出ればすぐ隣にまた根を突っ込んだような。根で地面を文字通り縫い付けていた。

 幾ら精神世界だからとは言え、これ程までに自分の魂を表す物が巨大であるかのように見せられると実力に見合わない色を持っているのがコンプレックスだった僕からすると溜息物だ。


 しかし。ここからも更に異常さを誇る。


 遥か上に見える黒い影は、そんなにも巨大な大樹の直径でさえ越すほどの円。よく見てみよ、との陛下のお言葉に、これ以上知ると正気か何かを失いそうな恐怖を抱えながらも、目を凝らしてそれを見つめてみる。

 …ただ丸いだけの代物では無さそうだ。その姿は黒いベール状のものをふわりと纏わせて、中身を隠す為なのか帽子のように被らせているように見える。だが下方向から覗き込んでいる以上中身なぞここからは丸見えなわけで。上から見下ろしたらきっと、さぞかし綺麗だろう。黒い海月のようにも見えたんじゃあないか。だがそんな美しさと真逆に、ここから見える中身は悍ましいと言うに相応しい。

 ベールの傘の中、黒い霧のようなものが自然に発生しその物体の周りを浮かんでいて。そこから気味の悪い長い触手が下の大樹に向かい数えきれない程のおびただしい数を携え絡みついている。肝が冷える、触手の表面はひどく不気味に隆起しており、ところどころ沸騰した後に残る泡のようでひたすらに気味が悪い。触手の表面を覆う液体のようなものが糸を引いて枝葉の間を犯していく光景はもう一度夢にでも出てきそうだ。滴る粘液が水中にも幹にも多く垂れて付近を汚していく様子には吐き気さえ覚えた。


「あれが何をしているか分かるか?見ての通り、寄生しているのだよ、そなたの魂にべったりとな」


 伸びた途中から、触手も分裂するかのように枝分かれしていて。大樹の全ての枝に、葉に、そして幹に。その全てに執着を見せてでもいるのか、メキメキと大樹を締め付ける音まで聞こえてくるくらいに強くしがみついていた。悲鳴が上がっている。ぱきり、大樹の樹皮が剥がれて水に混じる様を、陛下の言葉と重ねてみると目眩がしそうだ。

 ここは、僕の中身だと。僕の心の中、僕の魂がある場所だと。じゃあ、僕の魂の表れであるあの大樹が、あんな目に遭っている、と言うことは。こうも直接的な映像にされるとこのまま嘔吐してしまいそうだ。怪物と言っていいレベルの巨大な黒い海月が、吐き気を催す程気持ち悪い中身を撒き散らしながら大樹に、僕の魂に寄生して侵食している。…神話的生物に会った時って、きっとこんな風に思うんだろうなあなんて現実逃避をしたくなった。


「此処へ介入する際に、既にこれ以上の侵食を不可能にする術式は刻んだ。今は既に蠢くだけの置き物よ。無様に癇癪を起こし体液を垂らすだけ、の廃棄物。…後々、ラムに感謝をすることだ。外側からの治療が迅速であったからこそ、そなたの色では無い物に乗っ取られる脅威を振り払ったと言っても過言では無いのだからな」


 あれの存在を除去しない限り、僕の魔力器官はひどく不完全な状態のままであると。何せ魂に引っ付いている故、これを放置したまま全てを侵食されれば魔力も色も別人になっていただろうとのこと。…そんなの、僕と言う個を正しく殺すことではないか。ノアと言う自分として生きること全て否定する事象に、返礼の殺意が湧き始めた。


「これが急に力を付け始めたのは、ほぼ今日になってからの話だ。そなたが産まれてから今に至るまで寄生が続いているようだが、今朝に至るまではその影響も微々たる物。そなたの魔力の循環を極端に悪くする点がある程度で命の危機に追い詰める凶暴性は皆無に等しかったのだ。そなたの魂に巣喰い、魔力リソースを時折摘みながら影で生きただけの虫に過ぎぬ。………さあ、何がきっかけだと思う?」


 陛下が一等意地の悪い表情で、嗤う。

 …一番の原因は、この化け物で。二番目は何だと言った。先程聞いたばかりの言葉を出そうとしても、唇が震える。何故なら、王国の頂点に対して、あまりに不敬であるから。


「はは、顔が死人のようだぞ。まあ、民なら口には出せぬ。誰が思う?カナリアの用意したブレスレットが、そなたの魔力器官に寄生する輩を暴走させたなど」


 ――そう。その、人物の名である。

 お義兄様から譲り受けた魔道具は元を辿れば女王様がリース家との絆を特別に思って下さったが故、そしてエリーゼとの縁から来た大恩恵。女神と讃えられる方からの賜り物が、原因になるだなどと誰が言えよう。それこそ、彼女が心を全て許しているだろうこのお方だけしか、そんなことを平然と口に出せる存在はいないのだ。


「落ち着きたまえ。私の伴侶はなかなかに恐ろしいことも行える上に、私に良く命じることもあるものだが今回故意では無いぞ。元来彼女の魔力は悪しき者に対して無条件で攻撃性を発揮する、言うなれば魔力や魔法自体が独立した生き物のように彼女を護ることがある特異な体質でな。その力が宿ったあの魔道具も、カナリアの手を離れようがその仕事を全うしただけに過ぎぬ」


 僕が、魔力器官の異常性に真に気付いてしまったからこそ、自覚したからこそ魂への寄生が根深くなり、表に出そうになった不穏な魔力を感知したあの魔道具が。僕の流した、この怪物の色が混じり始めた魔力に反発するようにして押し返したのだと。その反動に耐えきれなかった魔力器官が、そうして破裂した。


「ああ、そんな不安そうな顔をするな。教えてやると言ったからには、全てを教えてやる。そなたが目を覚ました時、理解して生きられるように、な」


 大きな音を立て、水中にいきなり浮き上がってきた泡が、あった。人二人を簡単に飲み込めそうなほど大きな形がすぐ側に出てきて、後ずさりしそうになる。


「記憶の旅路を辿るぞ。怖がる必要はない、何故なら私もカナリアも、君達・・の存在を、この世界・・・・に来る前からまるっと知っているのだからな」


 ………え、?


 陛下の言葉が終わる頃合いと同時に、泡が二人をまとめてその中に引き入れていく。

 記憶の中へまた引き摺られていく感覚よりも。陛下に全てを覗かれる瞳を向けられたことが、僕を動かさない理由となっていた。

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