10錠
105
追想する。
晴れ渡る空。丘と天の間を邪魔する雲も存在しない、快晴と言ったところ。記憶に強く残る空はいつだって明るい色の方であった。真下の地上、平坦な地よりは相当高く…太陽に少しだけ近い場所。マヒーザ一族と呼ばれた山の民が古くより住処にしていた、高く大きい山がそこには存在する。
外の世界との交流が非常に少なく、広大な敷地の中で山野の恵みを受けて生を得る、閉じた一族の末裔として。今は本当に、一族最後の二人、になってしまった俺達が過ごした記憶。細く絡まる思い出の糸、必死に手繰り寄せて呼び起こしたものを言語化するのにも苦労する程遠い昔の話も混じってはいるが。自我が芽生えて以降の、自らの意思で放った会話や行ったことについては忘れることなどしていない。
アークは、脳の中にある引き出しをひっくり返す勢いで省みる。記憶が保存されている箇所、何でもいい、大事な過去にある手がかりを探る為。
「…思い出せる範囲で言うと、弟は本当に、規模の小さな魔法でさえまともに使えませんでした。独学だからと言うのもあるでしょうが、安定して魔法が使えるようになったのは十五歳の頃程で。そのあたりで、移動魔法も初めて使えるようになりました…」
産まれた時から濃い色を宿していたノア。まずは人の身体としての己を成長させることに重きが置かれる幼少期を越しても、自分のように家庭内で使用が出来る最低限の日常生活に役立つ魔法ですら行使することも出来ず。そもそも魔力コントロール自体が全く出来ていなかった。同じく濃い色を持って生まれた自分と相当違う成長速度に本人が一番コンプレックスを抱えていたことも、落ち込む姿や泣きべそをかく姿を何度も見た自分だから知っている。
両親の前では元気にはしゃぐ様子を見せていたものの、二人だけで遊ぶ時や。二人だけで魔法の練習をしてみた時。ノアが弱音を吐いてくれたのは、自分にだけだった。子供なりに家族を気遣うことも多かった、らしくない子供だったように思う。…その分、兄にだけでもきちんと弱音を出して泣いてくれることにとても安心していた。
そんなノアが、両親の前でも大きく拒絶を示した珍しい出来事は、たったひとつしか無い。彼のコンプレックスが予想よりも大きかったことを知らされ、自分も考えを改めた時のこと。
あの時を、鮮明に思い出してみせる。何の障害も無く幸福に過ごしていた頃の記憶から、弟の病魔の種を掘り起こすだなんてこと、したくは無かったけれど。
ノアが未だ眠る中、隔離された室の中で唯一長く言葉を出すアークの声だけが妙に響いていた。
× × ×
「兄さん、ごめんね」
「何回謝るんだよ、別にいいって。俺も行きたくないって思ってたとこだし。お前も今のうちに表明出来といてラッキーだったろ」
「でも。…空気、悪くしちゃった」
これは。ノアが八歳、俺が十歳になった頃のことだ。誕生日を迎えて、人生二桁目の年をようやく迎えた際より少しだけ経ったあたり。二人が、本当にこの農園で二人ぼっちになってしまうより一年前のこと。
成長したとは言え二人してまだまだ小さい身体だ。出来る作業にも限りがあって、その日の手伝いも終わり山の敷地を下の方まで自由に散歩していた、小さい頃から変わらないいつも通りの気楽な時間。そんな折に、これでもかと浮かない顔をしているノアを慰めていた。
カナリア王国は、教育制度が他国に比べて大分充実していることが特性のひとつでもある。俺が十になった日を境に、教育機関から様々な学園の宣伝紙やパンフレットが数枚送られてくる気遣いすら見せる程。送られてきた資料を繁々と見つめていた父さんが言った、「アークもそろそろ学園のこと考えてみるか?」との台詞。その後に起きたやりとりについて、ノアはいつまでも謝っていた。
「悪い子でもないくせに、空気まで悪く出来るわけねえだろ、お前が。父さん達だって俺もお前も嫌がることはやめとこうってしっかり考えてくれてんだから、甘えろ甘えろ。……もし、やっぱり行こうって言われても、お前は嫌なんだろ?」
「………うん。……外の人と、比べられるのは、嫌…」
「ならここで俺と引きこもってりゃいいのさ!仕事以外の時はぜーんぶ!」
「いいのかな、」
「元々引きこもりの一族の血が流れてんだ、本能に従っても別にいいとは思うぜ」
正直、俺も学園通いは面倒くさいなと思いはした。父さん母さんと一緒に動いて、仕事を学ぶ機会が相当減るという勿体無さがひとつ。家族という関係だけで満足している自分が、外の世界の人間と価値観が合うのか分からないという不安がひとつ。何より、産まれてから十年間過ごしたこの山を長時間離れるのが嫌だという、何とも子供らしい感情も理由にあって。あんまり興味は無いかな、と返答した。色んな知識を学べる場所と言うのは魅力的ではあるが、一族だけに伝わる魔法の書もここにはあったし、商業に必要な知識なら両親が全部教えてくれていて。
両親は、数代前の一族に比べればかなり視野が広い人という印象があった。完全に引きこもり体質だった時代遅れの先代達に比べ、山で育ったにしては都会的な思考をきちんと出来るしっかり者で。頭がいいなあ、よくそんなところに気がつくなあ、と。いつも仕事についていっては様々なことに着手出来る能力に憧れを抱いたものだ。だから、見たことも無い人間よりかは両親を教師役にしたいと言う思いは至極当然のもので。そして何より、長男である以上、山神の権能を将来的に授かるのも俺だと言う自覚が強くあったから、ここが良かったのだ。悪く言えば、このカシタ山に強く執着していたのだろう。
十九になった現在、山神の権能を使うことにも慣れた上で俺と山神はあまりに相性が良すぎる、と、行使していて良く馴染む魔力を思い確信したものだ。山神の権能を使うことを許されるには、まず自分自身を贄と言う依代にすることから始まる。依りつく器となる以上、ここを護る意思が一等強い者とは同期しやすいのだと後々山神からの神託でも直に聞いたことがあった。そして、その深度が歴代で一番だと褒める言葉を頂いた程には、俺の器としての価値は非常に高かったらしい。まあ、外の世界に興味なんてちっとも向けない姿勢の俺がこうなったには、あまりにらしい理由だと思う。学園を行かなかったことに対しても、当時から後悔なんて一切無かった。
そんなとこに行くくらいなら山で仕事してた方が絶対いい、と、俺の中だけの常識に従って話せば父さんは俺らしいと微笑んでいたっけ。ただ、そこからノアに話を振ってから、少しだけ場の雰囲気が変わったのだ。
「心配すんなって。もし将来わかんないことがお前に増えても、俺と父さんと母さんで一杯教えてやるから!学園なんか行かなくたって、今までもうちはそういう人間が多かったらしいし大丈夫だって」
「……うん、ありがとう」
「あ、そうだ、それにさ。夫婦になりたいって前世の子?にも、いつか外のことも色々教えて貰えばいいんだよ。そんでお前もその子にここのことを教える。そういうことしあうのが夫婦って、父さんと母さん見えてると思えてこないか?」
「ばっ!に、兄さん!しーっ!二人に聞こえたらどうするのさ!その子の話は兄さんとだけの秘密なんだからね!」
ノアのコンプレックスは、濃い色を持って産まれながら魔法を行使する才能が全くもって無かったということ。心配性で、消極的で。年を経ても、とても簡単な魔法ですら発動が中途半端であったりして。いつになったらこの色が嘘じゃあなくなるんだろう、なんて落ち込むことも多かった。
父さんに、「お前は十一になったらどうする?通うか?」とその場で聞かれ。僕は嫌だ、と反射で言葉を跳ね返す程の強い拒絶を弟は見せたのだ。泣きそうな顔をして、きちんと出来ない自分が嫌だから、他の子と比べられるのが怖いから、と。才能を示唆する色とは真逆に何も出来ない自分を、外に曝すのが怖いと。心の内を暴露してくれて。
…そこから、罪悪感と切迫感にやられたのか、ノアが声を上げてうええんと泣き出した姿も強く覚えている。そのことを深く悔いてはいるが、外の世界に対する憧れと同時に恐怖も同じくらい弟にはあるのだろうと知れた出来事だ。
前世で好きだった子が、この時代にいるかもしれない。
これは二人だけの秘密の話。ずっとずっと前のことを夢に見たの、と嬉しそうに話すノアは、次第にその夢を実現させようと少しずつ少しずつ強い男の子になっていった。前世の記憶を思い出したのが丁度その頃で、けれどその憧れが外の世界の恐怖に勝つには、この頃あと少しだけ時間が必要だったのだ。本人も当時はさぞ悔しかったことだろう、いつかは外の世界に出てその子を……エリーゼちゃんを見つけたいと言う思いも強くあったのに。それを阻む、外への恐怖を乗り越えることに、一番苦労しただろうに。
「そうそう、その粋だよ。無理して会いに行っても、お前が満足しないんじゃあ駄目だ。俺はその子じゃあなくてお前に幸せになってほしいんだから、しっかり準備が出来た頃に行くのが一番一番!」
前世で好きだった子に、もう一度会いたい。
その願いを叶える為にも、ノアには安全に育ってほしい。俺みたいに乱暴じゃなく、ガサツでもない。お姫様を迎えに行く王子様役としては俺より才能があると思ったから。だから無理してすぐに強くなろうとしなくていいよ、と何べんでも言った。農園の作物だってそうだ、スパルタで育てられるよりものびのびと作物が気持ちいいと思える環境で育てられた方が良いに決まっている。
…二つ年下の弟を連れて歩くことが、どれほど満たされる幸福だったことか。どんなに愛らしいことか。兄は弟を護る為にいる、だから山神の依代になるのも俺でいい。今でこそ逞しく育ってくれたが、小さな頃のノアは俺とは違って全然頑丈そうでも無いし、やわらかくてすぐ壊れてしまいそうな儚げな風貌で。だから、余計に無事に育ってほしいと。俺みたいにならないでほしいなあとも考えるくらいに弟馬鹿の自覚がその時点で芽生えていた程、……人間として、護らなくてはならないことをノアの存在に教えられたとさえ感じていた。
(でも結局大怪我をさせてしまったのは、俺が外を学ぶことを拒絶したからかもしれない、)
その頃ノアがかろうじて使えそうで使えなかった魔法も、目の前にいる先生に細かく話す。色にも、魔力にも、当時強いコンプレックスが根深く刺さっていたことも重ねて話し出す。次に開く記憶の蓋が、更に俺とノアの傷を大きく抉るものだと、覚悟もして。
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