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 そなたは此処をどう思う。

 歩いて、歩いて。少しずつ変化がある海底の、万華鏡のような側面を見せつけられ。現実の自分が今どんな事態に陥っているかをしかと覚えた筈であるのに、その景色に魅せられていた。陛下のお言葉に、見惚れていた様子からはっと気付き。しかし、その質問に答えるには難しく。なかなか働かない頭で懸命に返したのは次の言葉だった。


「すごく、綺麗で……でも、こわい、ですかね、」


 言葉を覚えたての子供が何かか僕は。恥ずかしい、教養の無さが出て呆れられてしまっただろうか。水の中だと言うのに顔が赤くなるわで居た堪れない。いや、そもそも水の中で息も話も出来る時点で幾つも疑問が増えるのだが。すぐ傍にこうして介入なされた陛下が存在することを思考すればその程度など取るに足らないことであるのだ。何せ、彼はカナリア女王よりも更に輪をかけた人外ひとはずれ。ここが夢であろうと夢で無かろうと、何を起こされてもそれは自然なこと。

 そんな、何もかもが違いすぎるお方が僕の返答に微笑んでいる。時空の掛け違いでも起こったのでは。


「ノアよ。美しさの中に恐ろしさを感じることがあるのは、何故だと思う?」

「えっ?え、ええと。……綺麗な花には、棘がある、と言うのと似ていることですかね…?学が無くて申し訳ないですが…」

「なかなか良い考えをしているな。流石、棘だらけの花を誘拐までしたことはある男だ」

「…その節は学園に大迷惑をおかけしまして大変申し訳ございませんでした」


 全面的に僕だけが犯罪者でございます。女王様との初対面の時も、僕が学園で起こした誘拐騒ぎがどれほど王立体制に汚名を着せる手伝いをしてしまったか痛い程に自覚はした。しかし後悔は一切無いのも事実。自分の犯罪を押し通す真似を国家の最頂点の方の眼前で行うのも狂っているな、と思うけれども。


「構わん、結果として腐った体制にとどめを刺す風穴となったのだから、実に見事な手腕であったぞ。それに、そなたの伴侶はカナリアの友人でもある。私とて一欠片程は思考の範疇に入れる価値はあろう?」


 嗚呼、恵まれた豪運だけで僕はここにいるのだ。それがよく分かった。エリーゼにカナリアとの繋がりが無ければ上手く行きはしなかった場面は幾度もあったのだから。

 王国の民と一人一人向き合う程の慈愛を持ちながら、人を感慨を向ける価値の無い物として冷淡に一つ一つと数えることもある、と言う表情をして。美しいものが恐ろしい、それが自身に向かうことも知っていてこの方は薄く笑われるのだろう。


「話を戻そうか。美しい物が何故恐ろしいか、それは歪さを内包しているからに過ぎない。周りを狂わせる毒と言えば更に分かりやすいな?私のカナリアを目に映せば分かること、見せかけの美に綺麗だなんだと言う見る目の無い輩とは違う、その美に狂う資格がある物だけが歪さを感じ取り惹かれていくのだ」


 誰かが美しいと褒める物に対して、そう言われる理由が分からなかった時期もあるだろう?子供に手解きをするように優しく教える陛下は、とても穏やかな顔をされていた。その表情は、きっと今この瞬間もカナリア女王の美に狂っているからなのだろうか。

 愛は、互いに狂わなければそこに産まれることも無い。続けられた言葉に、僕は激しく頷きたくなった。エリーゼに関する記憶を引き出せなかった頃とそれ以降では、美意識もかなり変化があったように思う。僕の前世越しに覗き込んだ、ひどく歪で、けれど凛とした芯を持った美しさをそこで知り。初めてはっきりと前世の記憶を見た時は、それこそ本当に世界が輝いて見えたのだ。

 よく分からない形をしている像が美しい物であるということ。理解出来ない品物が美しい物であること。何だ、変なの。その程度しか思うことも出来なかった芸術に対して、ふんわりとだが美しさが分かるようになったこと。…ロジー作品を漁り、描写全てに理解と感動が出来たこと。それこそも皆、エリーゼと言う美しいものを知ったからこそ、もうひとつ広がりを見せた僕の世界なのだろう。

 極端な話、平時を除けば。平均を除けば。それ以外は全て異常、全て狂った果ての事象。生きる上で全てがうまくいかないのは皆が皆噛み合わないように出来ているからで。それを噛み合わせようと普通を外れる者が多いからこそ、歪でも美しい物は生まれ。美しさに歪さを求めるようになったのだろうか。


「さあ。ここで大きな課題が生じる。一つ一つ教えようではないか……此処は綺麗で怖い、そなたはそう言ったな?」

「は、はい、」

「であるならば、やはり此処には或るのだ。そなたが怖いと思うものが。恐ろしいと思う歪さを、無意識に感じ取っていた」


 徐々に徐々に、周囲の様子に更に異常な物がこの目に見え出したのは更に歩き出した先。今までよく見えてなかっただけなのか、それとも陛下が僕を促したことでようやく見えるようになったのか。ぞわりと背筋を脚の長い虫が撫で上げるみたいに、冷たい気持ち悪さを肌全体で、頭の中で、感じ始めた。

 光の雪が、ぴたりと止んだ場所に足を踏み入れた時だ。幻想的と表するに相応しい夢の具現化の香りが、欠片も無くなってしまったと涙が流れてしまいそうな喪失感が心を包む。まるでここだけ意図的にライトを落とされたような。


「ここでおさらいだ。ノア、思い出すがいい、つい先程の会話だぞ。分からなければ何度でも。赤子の手を取るように、愛らしい童を導くように、この私が教えてやる。だから、恐れずに思い出すのだ」


 ――そもそもここは、そなたの何だと私は教えた?


 最奥部。中枢部、とも言えるに値するそこは。僕達が立ち尽くすここは。陛下の教え通りに、美しさの中に隠された最も歪な場所。

 不安げに上を見れば、雪が散らなくなった境界線が示されている。いっそ分かりやすいくらいに、更に上の方角。真っ黒な影が、何かが、円形に広がりを見せている。それが光の雪をここに降らせることを許していないのだ。

 似たようなものを良く見たことがある。綺麗な紙に落として、汚く滲んで広がったインクの痕だ。


 そもそも、ここは。


 陛下の言葉をしかと思い出し、口に手をあてがう。いや、まさか、そんな。有り得ない。けれど、有り得ないが全て現実になるのが、魔法が存在するこの世界。



『…だが安心せよ、ここには何も無いわけでは無い。そもそもここはそなたの中身そのもの・・・・・・・・・・なのだ』



 ここは。ここが?


「僕の、中身、」

「その通り。そしてこれが、そなたの身体をこれからも蝕むであろう、存在してはならぬ物だ」


 何せ、別の世界からの残滓が、そなたの魂に貼り付いているのだから。


 これらは。この空間は全て僕の中身だと、もう一度咀嚼した現実に。眼前に。それは飛び込んでくる。

 怪物、と扱うには十分の悍ましき物が、此処を慣れた棲み家のように寛ぎ、座していた。

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