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「お待たせしました。執刀担当を致しました、元ヒュプノス所属の癒術師ラム・ダストアと申します。学園ではノアくんとエリーゼさんの担任もさせて頂いています、順序が逆になってしまいましたが施術の内容のご説明とこれからのことをお話させて頂きます。ひとまずは大変お疲れ様でした」


 一時間程前、ノアの施術が、終了した。無事をしっかりと見守りようやく心に平穏が訪れた今、エリーゼとアークの二人は別室へ通されていて。ラムが言うには病室でノアが眠っている間に、経緯と今の状態を順番に伝えて下さるそうだ。少し前のめりになりかけている姿勢で、アークはしっかりと全てを理解しようと。何もかもを聞き逃さないでいる心構えである。


「まず、こちらへ運ばれる前の経緯ですが…それに関しましてはそちらのエリーゼさんと、うちの監督生であるニア・マッドーリから既に話を伺っております。倒れたノアくんをエリーゼさんが支え、人手を頼んだところすぐ側にいたニアが発見し学内の癒術師へ連絡し、早急に応急処置を行いそのままこちらへ搬送されたと言う流れになります、」


 …曰く。ノアが倒れたのは、学園に着いて本当にすぐのことだったらしい。無事にあの魔道具を使い、学内の温室へ到着したところ。一歩を歩くか歩かないかのうちに、勢い良く多量の喀血をしたのだと言う。聞くに耐えない惨状だが、その喀血は魔力器官の下部が破裂したと同時に肺がその影響を多大に受け、衝撃で肺まで大きく損傷をした故らしい。耳にするだけでも恐ろしい状態だと言うに、実際にそれを経験した本人の心境を思うと延々と泣いてしまいそうだ。かわいそうに、自分の身体の中で何が起こっているかも分からないまま痛みだけ与えられて、混乱したことだろう。

 手術台に乗せられた彼が施術室から癒術師と共に出てきた時は、緊張の糸が切れて腰が抜けそうになった。眠る時のように安定した呼吸がされているのを確認し、しかし未だ深い眠りについているのか名前を呼んでも反応は無く。良かった、とだけ上がる声を何度も繰り返しながら病室へ共に案内された。絶対安静とのことで個室部屋へ通され、職員の手により病室着へ変わり。計器が横に並ぶ状態で、激しい体力消耗を抑える為の点滴を繋がれ。その姿を見て、やはり今日は異常なのだと改めて実感した。大きく育って、その身体を全力で使っていた彼がこうもこじんまりとベッドへ落ち着いているのを見ると、込み上げてくる気持ちもある。ちなみに第二発見者であり経緯の説明にも協力してくれたニアは今、学園へ帰る事も無く。アークとエリーゼが話をしている間は見守っている、とノアの側についてくれていた。良く出来た子ばかりにあの子は囲まれて幸せだと思う。

 術中、使い物にならなくなった箇所は切除されキメラ細胞が適合されたようだ。キメラ細胞とは、錬金術と癒術により世に生まれた、何にでも適合出来る万能細胞。元あった臓器とほぼ同じ動きが出来るだろうとも告げられ。経過が良好であれば魔法も今まで通り使えるし、日常生活の動作にも問題は一切無いそうで。ほっとしたのも束の間、ラムの目がそれを許してはくれないらしい。


「…先だって、言っておかねばならないことがあります。ノアくんの魔力器官に異常の兆しが見られたのは、一昨日の実技の授業中でした」


 エリーゼの目が細められた。ノアは彼女と同じクラスに一時的に転入したのだから、受ける授業も当然同じである。話を聞く最中、彼女の表情が険しくなりつつ「あれは、…大した事ある症状だったのですか」と静かに言った。エリーゼの指先が苛つきを隠せないかのように、机をトンと叩く。

 実技、と言う単語を聞けばおおよそ思い浮かぶのは実際に魔法を使う授業なのだろうと見受けられるが。深くまで察せない様子を気にしてくれたのか、対人戦闘を行う教科だったのですと彼女が小さくなった声で呟く。対人だって?と、驚いた声がいつの間にか出ていた。

 簡単に聞けば、元々エリーゼの志望している進路に関わる選択教科だった為ノアも付添い。何という無茶か、そこで出会った彼女の元婚約者に勝負を挑んだだとか。お前勝負とか喧嘩とか俺以外の誰かと競ったことも無いだろうに!あいつらしい方法で勝ってくれました、と。こちらを気遣ってか否か、ノアをフォローする発言にアークは非常に困惑した気分になった。……そうか、いつの間にか、好きな子の為にならそんなことまで出来る男になっていたんだな。気付けなかったのが悔しい反面、一昨日帰って来た二人の様子を必死に思い出す。やはり勝負云々の話は一切聞いたことが無く、授業が終わったので二人で畑を手伝う、と元気有り余った様子で走り出していた眩しい姿しか記憶に無い。人生の基盤をこちら側に置いてくれているからか、学園の話もされなかったのだろう。それに、エリーゼに関しても複雑な経緯があるという事はうっすらとアークも感じ取っている。だからこちらからも無理矢理聞かないように、農園での二人に似合う話を振ったりして。

 もっと、聞いておけば良かったのだろうか。兄弟だからと、全て知った気でいたのだったとしたら自分で自分を恥に思う。


「私の両目は、魔眼でしてね。一族だけに継承される特殊な目だ。癒術師にとっちゃ眉唾物の、透視の魔眼です。人間に対して力を使えば何の機械も無しに臓器も神経の数も全部一目で捉える優れもの。…実技中、ノアくんは無詠唱で相当の高難度である移動魔法を使い、そしてその一回で大分体調に異変が出ている様子でもありました」


 ラムが、その両目を一度閉じ。そして開いた。その瞳の中に小さな紋様が浮かんでいるのを発見し、息を飲む。

 魔眼。それは魔力をまわして使用する魔法とは別に、元々瞳に異能が備わっている眼球のことを総称して呼ばれる。見た対象に対して何らかの影響を与えるものがほとんどであるが、持って産まれる人間など非常に少ない。だからこそ希少価値は増し、その能力を守る為に一族代々で継承し血縁の者だけが使えるように施される。つまり魔眼持ちは基本的にどこかの一族だということを示す証拠でもあった。

 継承する、と言う意味ではマヒーザ家の山神もそうだ。ただ、こちらは山神の依り代となる人間を決め、それを一族の代表として契約を交わしその人間だけが権能を行使する権利を得るという一子相伝の型。なんともまあ、珍しい能力を持つ者が学園にはいるものだ。まさかとは思うがこのレベルの人が大勢いるのか、リドミナは。能力の高さにも、器量の深さにもいたく感心を覚えた。


「……もしかして、その目で診て、下さったんですか?」

「癒術師の前に担任教師でもあるんでね。気になってその場で透視して、すぐに異変に気が付きました。…ノアくんは、魔力器官に元々異常があったと確信するにはそこから一日費やしましたがね」


 元々異常があった、

 その言葉に、急激に昔の記憶が思い出される。断片的だろうが、ノアの魔力器官とその異常性を指し示す為に散らばった点が。ひとつずつ、脳の中で繋がり始める気がした。その予測は大きく当たり、ラムが出す情報と昔からの彼の体質を考えれば納得のいく道筋にいつの間にかなり始めていて。冷や汗が、止まらなくなった。

 資料を机に広げるラムの指が示す情報を、しっかりと蓄積させる。気付いてやらなきゃいけなかったのは、やっぱり、一番長く傍にいた自分だったのではと自己嫌悪が増していく。自分を憎む暇があるくらいならノアの心配をしてやりたいと言うのに。なんたって心はこんなに思い通りにいかないのだ。


「彼は濃い色を持つ割に、魔法を行使した際の反動リバウンドがあまりに不釣合いなんです。潜在魔力は相当のものだと言うのは髪と目を見りゃあ分かります、提出された資料にも目は全部通しましたが魔法で色を変えているということも無い。…地の色なんですよね?あの年齢であれだけ色が濃いと言うのは、器官から生み出される魔力の質がとんでもなく上等の証ですよ。安定して魔法を行使出来れば、それこそ天才と持て囃されるくらいには」


 上質な魔力が体内で循環すればその質に合わせて魔術師も自然と自分自身の魔力に耐えられる身体になる。普通ならばそうであるのに、ノアはその法則に当てはまらないのだとか。

 濃い色の割りに、規模が小さすぎる魔法しか使えないことはノア自身の大きなコンプレックスだったことを覚えている。水の魔法を使うにしろ、農園では湧き水を汲んできてその質量を利用して負担を減らすことも多いくらいだ。魔力が足りなければその分身体が勝手に体力を消費させるようで、その負担も最小限にするべく非常に長い詠唱も苦無くこなす姿も幾度だって見てきた。

 ……自分も、これでようやく兄さんの役に立てるね、と。魔道具に頼らない分お金が浮く、とも喜んでいた。自分が役に立てるようになったと無邪気に喜んでいた。無茶だけはするなよと言っても、詠唱有りでもすぐ嘔吐したり、行使した後に寝込んだことも初期にはよくあって。思い出す、思い出す。仕事をこなす自分の横で、「ちょっと休めばよくなるから、兄さんは手続きを済ませといて」と無理を何度でもしていた姿を。

 何でもいいです、彼の魔力器官の異常に対する心当たりは?……そう聞かれて、思い当たること、全てを。どんなに小さいことでも今思い出さなければいけないと、震え始めた声を唇から出していた。


「…濃い色の割に、昔っから魔法が下手糞で。両親が亡くなった時は精神的なショックもあいまって一切魔法が使えなくなったこともありました。精神状態がよく魔法に感化されることが多いな、と感じることも…ありました、」

「なるほど。では、二年前から使えるようになった移動魔法を行使するようになってから、何か変化はありましたか?現状、彼のちぐはぐな身体の仕組みに一番の負担をかけているのは恐らくその魔法だと思うんです。空間魔法なんて学園内でも使える該当者なんていないレベル、要は学生の身に余る危険な魔法でもあります。それを二年前から急に使えるようになったと言うのは、彼の元々の潜在能力がその頃になってようやく片鱗を見せたと予想は出来るのですが」

「移動、魔法は、……」


 兄さん、兄さん、と。

 記憶の中で微笑みかけてくる弟の顔が、全て青白く見え出す幻にかけられたみたいだった。あの時あの場所のノアは、本当に元気だったのか。本当に調子が悪かったのか。恐怖が自分の記憶を全て塗り替えていきそうな勢いだった。


「……彼の魔力器官は、非常に独特な動きをしていることが彼への問診時に分かっています。器官の働き方が常人のそれと比べてあまりに動きが小さく、異常に魔力の通り道が狭い。魔力器官の大きさ自体は平均より少し小さいくらいですが、魔法行使の際に働くべき面積の八割が働かず。残りの二割に全ての収縮を任せていると言えば分かりやすいでしょうか。…十、出すべき力があったとして、その二割の面積だけで全てを補おうと身体が無茶をするから、残りの八を他で補わざるを得なくなる。だからこそ、その体躯に見合わない体力減退や不調を頻繁に伴うのです」


 彼の魔力器官の異常は、ここ数年で起こり始めたと言うには、あまりにも経年劣化が激しすぎる。恐らくは生まれた時から万全に魔力器官を使えない不安定な状態だった可能性が高い。そう言われた際に、更に怖くなった。

 だって、知らないのだ。

 アーク・マヒーザは、ノア・マヒーザが生まれた時の詳しいことなんて、そんな小さい頃のものは記憶に無い。産まれた時のことを知る両親は、既に亡くなってしまったのだ。

 数代前からも一族揃って癒術院に行く習慣がひどく薄く、治せるものは山神の権能に頼る形だった。外の世界を長らく見ずカシタ山だけを領域として生きていた、そんな一族だったのだ。だから、アークも両親から深く知らされていなかった。山神との相性だけを考えればいい長子にとって、権能さえあれば生活の全てには困ることは無いと散々教えられた身だったから、医学的な心配など上手に行える筈も無かった。

 商売上、家畜や農作物に影響する病等は勉強し、人間の病気も一通り独学で覚えた。されど、魔力器官などと言う専門外の極地の情報には、とんと縁が無かった。

 生まれも育ちも山、と言うのは文字通りだ。自分達兄弟は公共機関である癒術院で生まれたわけでは無い。この山の中でお産を終え、山神の祝福を受け産まれた。両親が外との繋がりをようよう作るまで、一生をあそこで終えても不自然では無かった田舎者……結局、外の世界を知らなさすぎたことが、一部の知識に対して完全な無知という欠点まで備えてしまったわけなのか。


「……何から話しましょうか。いや、もう一度、あいつが小さい頃から話を始めた方が俺も分かりやすいかもしれません、」


 これからも重いものを抱えて生きるノアを助ける為には、今。この先生とどんな小さいことにでも向き合うことが最善だ。外の世界の、この優秀な先生に教えを乞うことが。そして、大きい見落としをしていただろうこの記憶と向き合うことが必要なのだ。


 誰も、悪くは無いんですよ。お兄さんもです。


 …そう声をかけてくれたラムに。アークは、ノアそっくりの表情で微笑んでいた。無理をしているのを隠している時と、そっくりの表情で。

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