92

 癒術室とは。所謂、地球で言う保健室に似た存在である。学園内で体調を崩した生徒だけで無く、精神面での気力回復等生徒の健康状態全般の平静を担う役割を持つのがそこだ。リドミナ学園では、常勤の癒術師達が時間帯ごとに交代で癒術室の番を行う。今僕を強引に連れて歩くラム・ダストアも授業に顔を出しながら時折癒術室にて処置が必要な人間を待つ時間を持っていた。

 加えて、この先生は七年Iクラスのホームルームも担当…つまり僕達の担任でもある。他の教師陣より顔を見ることが多い分、まさかこんな風に二人で話す機会が来るなんて緊張する。分かっていても、前世の記憶の引き出しで多少姿形を知っている故に、有名人に会ったような感覚を結構引きずってしまうのだ。


「まあ入れ、利用は…勿論初めてだよな」


 お疲れさん、入るぞと。ドアを開きその先に入りながら中へ声を飛ばすラムの後に続き、その部屋に入っていく。広い広い学内、癒術室は外から校舎の中へ入ってすぐのところにある。職員室と特に近く、何事があってもすぐ連携や把握、対処が出来るような配置だ。少し香る薬のにおいが室内に染み付いている、棚に陳列されている試験管の中には、ちらりと見るだけでは何かの植物としか言いようが無い物が小分けにされて詰められていた。きっと応急手当や処置の際に使われるものなのだろう。


「おや。ダストア先生、野暮用は終わりましたので?」

「おお。急に言ってすまなかったな、このままちょいと奥の部屋借りるぞ」

「はい、大丈夫ですよ。今は誰もいませんし」


 室には黒魔法学担当教師であるアマンダ・クーフェルの姿が、着せられた白衣と共にあった。彼自身にそんなつもりは毛頭無いことは分かっているが、夢魔である彼の装いは少しでも変わるとそれだけでも淫靡になるらしい。神父服の上からシンプルに白衣を重ねるだけでもまた別の印象を持つものなのだな、等とつい想起してしまった。

 来訪者を待つ姿勢を椅子の上でとっていたまま、二人でずかずかと上がっていく姿に動揺も無く微笑んで会釈されて。あれ?と、何で癒術にも関係無さそうな彼がここに自然にいるのかと一瞬疑問符が浮かんだが、先生の「こいつ癒術師の資格持ちなんだよ」と言う言葉で納得させられた。それならこの場所の主のような顔でいることも不自然では無い。

 これだけの規模の学園であるとやはりこの室内も広い上に設備が潤沢だ。ベッドも数が多くスペースに結構ゆとりがある。臨時病室としても十分に機能するだろうことがはっきりと分かった。その奥行きの広さまで示しているのが、今ダストア先生に案内されている向こうに見えている部屋があるからなのだろう。

 癒術室の最奥部にある小さいドアには簡素に「カウンセリング室」と用途だけ記載された印字がされていて。ベッドスペースをそのまま突っ切り、先生が開いたドアの向こうに誘われるようにして素直に入る。中も用途にあわせたシンプルな作りで、とにかく話すことに集中出来るように机と数脚の椅子。飲み物が作れるティーセットが存在感を薄くしながら机の端にある。


「この学園じゃどこもそうだが、プライバシーに配慮しなきゃならんところは防音機能がついてる。ほら、こういう仕組みだな」


 壁に埋め込められているスイッチ状に加工された小さい水晶に先生が触れると、その真ん中が発光する。色がついたミストのような薄い色の波紋が壁に広がり、消えていった。恐らくは、その仕掛けが発動した証だろう。

 ま、座れ。先生に言われる通り、奥側の椅子に座った。……諸々悪行をしている自覚があるとこういう空間で何故か身体が勝手に縮こまりたくなる。今までの暮らしの自由度が高過ぎたこともあるせいか、こういうところに放り込まれると借りてきた猫のようになってしまう。そんな雰囲気が伝わったからか、そう緊張しないでもいいと笑われる。学校初心者、少し辛い。


「それでさっきの話の続きなんだがな、」

「はい」

「あれ八割型大嘘なんだ、すまんな。かなりリスクの高い話するから、伴侶はいない方がいいと思ってそれっぽく強引に言葉繋げてお前を持ってきただけだ」

「…え?!」


 二度ほど反芻したが、先生の口から発せられた言葉に。僕はやはりうまい反応が出来なかった。

 先生の手が、鞄を机の真ん中に。そして中からファイルと封筒を取り出したその後で、慣れた手つきでお茶の用意をし始める。やはり元ベテラン癒術師、患者と話す経験も豊富なのか気遣いにかける動きが早い。驚いている僕を尻目に、ハーブティーは落ち着くからな、とカップを差し出してくれた。

 リース邸での話し合いの場が、急に記憶から引き起こされる。無意識に身体がそのことを思い出しているのだ、…あの時に似た緊張感が生まれていると、僕に忠告するかのように。


「俺は回りくどいことが嫌いでね。だが、何から聞きたいかだけはお前さんにまず選んで貰いたいと思う。ーー良い報せと悪い報せ、どちらもお前さんにだけ手ェ差し出してるって聞いたら、どうする?」


 書類が、机の上へ綺麗に散らばり始める。レントゲン写真のような物が添付されたそれや、分厚いレポートのような紙の束まで放り出され。

 ……「魔力器官異常症例に関する外部要因と患者経歴」「先天性無魔力症候群患者の錬金術使用治療における擬似器官作成とそのリスク」「魔力器官破壊後における治療実験経緯」…その全ての題名を少し見るだけでも、察することはあまりに多い。

 これは何だ。そう思いはしたが、先に察した脳が僕の顔を青くする。そして、先生の答えに…悪い報せからでも?と、額につたい始めた冷や汗を感じながらティーカップを手にした。ハーブの香りが、どこか、遠くにあるようだ。


「察しが良くて逆に心配でもあるな。とりあえず、お前さん……このまま魔法を使うと、そのでけえ身体にある小さい魔力器官がぶっ壊れて一生涯魔法を使えなくなる上に。最悪の場合、死ぬぞ。まあ、そうならないように今から話をするんだが」


 俺の目は、生憎悪いところが全部見えちまうんでな。


 先生の言葉に、瞬きも呼吸をも忘れて硬直する。

 ああ、今この瞬間だけは、エリーゼと引き離されて良かっただなんて思う時が来るなんて。隣に彼女がいない状況に感謝しながら、話の続きを懇願する。

 そうか、僕。隣に彼女がいないと、こんなにまで……虚勢を張ることが、難しくなってしまうんだ。隠せない動揺を見せた僕に、ダストア先生が「大丈夫だ。最後まで世話焼いてやるから」と、真剣な目で見つめてくれたことに助けられた。良かった、救われるんだ、と情けない表情のままでも無理に微笑む。

 山に戻ったら、どうすればいいのかなんて。この時点では考える余裕も無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る