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 魔力器官。

 それは、この世界の人間が生を受ける時、身体の内部に構築される器官。有り体に言えば、他の臓物と同じく僕達人間の体を構築するうちの一単位の存在である。効果が大小様々とは言え、基本的には魔法が使える人間が大半の中…魔力器官は「第二の心臓」とも呼ばれるほど重要視されているものだ。身体の内側にあるのが普通で、それが欠けていれば異常が起きていると同義。だって、魔術師として生きる為に必要な器官が存在しないだなんて、普通に考えればありえない事だ。

 先天性でその器官を持たない症状を持つ人間は大病とされ、この世界を生き抜くだけでも苦しいだろう。魔道具の存在は、魔力や魔法が使いにくい人間への支援だけで無く最初から魔法すら使えないことを約束されてしまった人間に対しての救済措置でもある。

 僕は、その魔力器官から構築された魔力を引き出して行使するのがひどく苦手な性質…かつ、問題を抱えている身。先生と一対一で向き合う話題としてその話を出されては、「やらかしてしまった」と言う念が押し寄せやすい。だって、今まで見てみぬふりを続けてきて、無茶をし続けたことに自覚しか無いから。


「ゆっくり話そう。魔法を行使した際に出てくる症状はあるか?細かいことでもいい、全部話してくれ」


 違和感を感じたのは何歳の頃からだ、

 …そう、癒術師の表情をして。けれど、僕までも導こうとしてくれる教師の顔も見せながら、ダストア先生は真剣に僕に向き合う。隠し事はしてはならない、と本能的に感じて。同時に脳のどこかで感じていた…これを話してもいい人に、ようやく出会えたのかもしれないと。間違いなく安心してしまった。

 僕の資料を片手に、既にある情報と刷り合わせる用意までしてくれている先生に。たどたどしく、時系列もバラバラで文章にもならないような情報群を少しずつ零していた。

 それは、吐いてはならないものではなかったの?と、幼い頃の自分に責められる罪悪感を背負いながらも。抱えていたものを拾い上げてくれた先生の前に、歯止めが聞かなくなった自分がここにいた。僕が魔術師として不完全な出来をしているのは、成り立ちが歪だと言うのもあるかもしれないけれど。自分ではこう思っている、……精神的な問題も、関わっているんじゃあないか、と。


「そんなに心配すんな。俺が見つけたんだ、すぐに治してやれるよう手配はするし。…俺が治してやるから、治療終わった後、どこに新婚旅行行くか楽しいことでも考えてりゃいい」


 話しつつ、先生が僕を落ち着かせてくれようとして。ところどころ、涙を流してしまうことも、あった。

 魔力器官は、魔術師にとっての要。その位置は、心臓とは逆の場所。人を前から見て左右対称の位置に存在するのだ。左胸に心臓、右胸には魔力器官。そう、地球人とは決定的に違う体の成り立ち。僕達は両胸に心臓を持つようなものである。ただ、生命的機能の維持を担当するのが本来の心臓であり、魔力器官は極端に言えば無くても生きることは出来る。それが無くなっても、魔法が使えなくなるだけ。

 その情報を、だけ、で済ませられるのも。前世では右胸にそんな器官が無かったからだろう。現世の僕よりも更に様々を制限された前世の僕の記憶があるから。だから、今まで甘く見ていた。医者にもかからず、根性で何とかできるだろうと。魔力器官との付き合い方が恐らく下手なんだろうなと言う自覚はあったけれど、幾ら体調を崩しても、本来の心臓の方には何の異常も無かったから。少し休めばいい、これが僕に出来る、僕がやっと手に出来た唯一の強みの魔法なのだからと。

 だから、多少は魔力器官に無理をさせても仕方が無い。そう、思い込んでいたのだ。


「…そうか。移動魔法、本格的に使えるようになってからまだ二年ちょいなのか。たったそれだけで、健全な状態からここまで脆くしたとは思えねえな。それ以前からの無茶も蓄積してるとしか思えねえ」


 ダストア先生の瞳が、薄く光を発しているように感じるのは気のせいだろうか。俺の目には見える、と言っていたからには、僕の中まで見通せる能力があるのかもしれない。…脳を覗かれた経験がある身で、今度は身体の中まで覗かれる経験をするだなんて、生まれ変わってもなかなか無いことだろう。

 疑問に思う声色に、懺悔するように。あの騒ぎの日の顛末まで語る。その際、魔力補填剤を度を越えた乱用までしたことも。ダストア先生が眉間のしわを更に深くその表情へ掘り込んでいく。ああ、やってしまったんだなあ、僕。”自分を大切にしなかった”から怒られるなんて、優しい先生だと思う。彼に診てもらえた患者は絶対に幸せだったと感じさせる思いやりが、言動のそこかしこに存在していて。


「その時の本数覚えてるか。生きてるってことは致死量じゃねえってことだが、補填剤は数飲みゃ毒になる。どんな薬だろうが度を越した使い方すると自壊の原因になるもんなんだよ。そう言った間違いを起こさない為にも癒術師がいるんだが」

「……ごめんなさい、覚えてない、です。僕、目当てのお店以外、山を下りて行く事もなかなか無くて。少し休めばいつも通りになるし、癒術院に行くほどでも無いと思って……」

「それでずっと過ごしてきたんだな。…心が丈夫でも身体が先に崩れちゃおしまいよ。さっきも言ったが、お前さん今日ここで俺と話出来てなけりゃその過ごし方また続けたろ?それで、手遅れになって嫁さん残して死んでたかもしれねえ…魔術師としても、人としても、だ」

「はい。だから、今、とても感謝しています…」


 ぞっとする。たいしたこと無いだろう、というなんとなくの思考はひどい素人考えそのものだと痛感させられた。四十行近い詠唱を延々と行うことにも慣れて、ひどい無理をすれば何とかなるということを覚えてからはそれにも慣れて。慣れて、慣れて、慣れすぎた。無理に慣れなければ、無茶を慣らさせなければ、僕達兄弟は二人で生きていられなかったから。

 兄さんの為に、彼女の為に、行ってきた無茶を努力と言う耳障りがいい言葉に置き換えて見ないようにしていた。押さえ込もうとしていた。移動魔法を使った後にいつも訪れる身体の不調に。三半規管がぐらつく、脳をゆさぶる程の嘔吐感。お義兄様に会いに単身でリース邸を訪れた時も、ヒイロ達に会いに教会へ行きその入り口で座り込んでしまったことも。稀少で使いづらい魔法を使ってしまったのだから、そのくらいのものは代償と思って我慢するべきだと思った。

 それを、思い込みだ、と初めて今僕は教えられている。


「お前さん、色の通りに保有している魔力の質は悪かあ無い。器官の形も、少し小さくはあるが平常。ただ、見る限りその通り道に大きい異常がある」

「通り道…ですか」

「正確に言うなら、魔力を引き出す時に異常が起こってる。…昨日の実技見た限りじゃ、魔力消費がまだ小さい水魔法を使っていた時は異常が無いように見えたが……お前がフィジィに一泡食らわせる為に詠唱破棄なんざした時、その異常性がはっきりわかったよ」


 先生が言うには、お前の魔力器官は「とにかく妙」なのだと。

 更に精密な検査を癒術院で行わねばわからないこともあるが、その瞳に見えるものをまっすぐに伝えてくれた。何か、に、魔力の引き出しを邪魔されているような。使う魔法の稀少さと消費量、それに対して魔力器官が若干の抵抗を見せているようだとも。


「とにかく、ありゃあ魔力消費量が水魔法とは比べ物にならんだろ?消費が大きけりゃ大きいほど、魔力器官は魔力の通り道を瞬時に収縮させて発動に至らせる仕組みになっているんだが……」


 先生がわかりやすく、その右手を出してぎゅっと拳をつくる。握った形から、ぱっと大きく開いてすぐ戻す。拳を開いて閉じることをぐっ、ぱっ、と数回繰り返しながら「これが普通の通り道の反応」と。しっかり開いてしっかり閉じる。魔力が身体に影響無く浸透し引き出せるようになっているのだと。


「そんでこれがお前の器官の動き」

「………えぇ……う、うそでしょう……」

「ひどさがわかってもらえて何より」


 次に、しっかり握った拳の小指の第一関節だけを二十度だけ浮かし。すぐには閉じず、先生が「ちょろちょろじわじわ出して、そんでようやく閉じる」と付け加え、小指を元に戻す。こうもあからさまに表現されては流石に自分の中で起こっている異常性を認めざるを得ない。

 …僕の魔力の通り道は、異常に狭い、と言うことだ。


「お前さんが昨日おもっくそやってくれたあの詠唱破棄は、この状態の拳を外から無理矢理ひしゃげさせて、そんで漏れた魔力を強引に使ってる。そのせいでいらん体力まで余計に奪われてんだ。つまり、身体に対する負担がでかくて疲弊が強くなりやすい。一度風船破裂させて瞬時に膨らませるみたいな無茶だ。自殺行為。だからしばらく詠唱破棄は禁止だ、本検査やる前にこれだけは守っとけ」

「え。…魔法全部禁止、とかではないんですね」

「お前さんみたいな無茶大好き坊主に全面禁止言い渡したところでなあ。守れねえだろ、その家庭環境じゃ。……生活に直結する魔法でもあるんだろうが。生徒の情報は読み漁るんでね、俺も」


 そこまで案じてくれているのか。少ししかいない転校生でしか無いと言うのに、こんな端の存在の詳しい経緯でさえ頭に入れてくれているだなんて。カシタ山での生活を心配した上で、全部は禁じない、と言ってくれる大人なんてこの世になかなかいないんじゃなかろうか。…胸にしみこんで行くこの感情は、きっと嬉しさだ。そして、安心。あの頃父さんに、頭を撫でられていたような、優しく包まれていく安堵感。


「こりゃあ、一限まるっと時間使うかもなあ。…魔法使えた時期と、魔法使えなかった時期。話せる範囲でいいからそこも出来れば話してくれ、とにかくお前さんの状態に至るまでを今は知りたい」


 外の世界を知らなさ過ぎた。山の中での独学でしか魔術的知識を備えてこなかった故の弊害だろう。でも、それがその時の僕に出来る一生懸命という限界だった。全てを注いでも、彼女を救いたかった。攫いたかった。兄さんに許しを貰って、誘拐を行う為に磨き上げてしまった魔術。罪だと知っていた、悪を救うことは悪であると天に言われている気がすると言えば否定は出来ず。それでもなお罪ごと彼女を愛し、僕も罪を背負うことを是とした。悪になった。…天罰のようなものなのかもしれない。歪な愛を持ったから?歪な感情を抱えているから?けれどそこに後悔は、もう一点も無い。

 だから、絶望するべきこんな時でも。また微笑んでしまうのだ。そんな僕でさえ救おうとしてくれる、「良い報せ」自体であるダストア先生と言う存在が、天罰に抗おうとしてくれているのだから。


 彼女の為なら死んでもいい。でも、まだ、幸せを一緒に、山ほど数えられていないじゃないか。挙式も出来ていない、彼女が学園を卒業する姿でさえ目にしていない。彼女の日常を、まだ、この目に全て焼き付けられてもいないのに!

 彼女の為に死んでもいいけど、それ以外の要因で死んでなんてやるものか。だから今はまだ生きなければいけない。死んでも悔いは無い、と思える日が来るまでは。必死に生にしがみつくさ。


 どうぞよろしくお願いします、先生。

 マイナスの感情を振り切った僕が、明るい声を努めて出していた。

 

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