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緑が薫る、自然の中に慣れ親しんでいない人には気付きにくいかもしれないけれど、確かにそれらの感触は空気と共に存在している。森林浴とは良く出来た言葉だ、まさしく浴びるように樹木と接する機会が学内に用意されているのだから。ここにいるとインドアもアウトドアも境界線が曖昧になって、外に出て歩いていると脳も身体も勘違いしてしまいそうだ。
「ちなみにここから先が教材の毒草を育てている栽培領域でな」
「わ、すごいですね…!透明な壁がここにありますよ…!」
「すり潰しただけで気絶する物や引き抜いただけで混乱する物が平然とあるからな、毒草栽培は理由が無い限りは教師と係の生徒以外は入れぬようになっている」
隣を行くエリーゼの案内に従い、植物園を物珍しそうに見回っていた中。透明な障壁を張られた場所に手を当てると、本当に触ることが出来た。昨日の実技の演習の時も思ったが、障壁……バリア、って男の子の憧れなんだよなあと感動する。
障壁に阻まれたここから向こう側は、危険な特性を持つ植物だらけなのだと彼女は言う。ちらりと視界の端に、図鑑で見たことがあるマンドラゴラもあって心が刺激された。実物で見ると、精神が高ぶってしまう。ファンタジーナチュラルとやらはたまらない。
滅多に無い環境にはしゃぎ出しそうな自分を抑える僕は、エリーゼの指導通りにメモを取りつつしゃがんで薬液作成に取り掛かるのでした。
この植物園は、学内の敷地でも特にセキュリティが厳重な領域のひとつだ。そも学園全体に安全性があるのは言わずもがな、こと庭園においては西の植物園と東の泉の双方共に学術的に非常に価値のある希少種がところ狭しと並んでいる箇所もあるくらいだ。博物館も目では無い程の完成度、そう言った環境が付随して来ることもこの学園へ入学出来るメリットだ。
…身分の違い関係無く入れる上にこんな教育まで施して頂けるのだから。より、他の学園に行った人に対して勿体無いと勝手に思ってしまう。他校キャラクターも確かに多いのだが、そこがここまで行き届きすぎた物を提供してくれるのだろうか?と、ここにいる生徒全員が恵まれていることに思いを馳せる。
入学するデメリットなどほとんど無いと思うが、特色がありすぎる分、イベントストーリーでは学園内でトラブルが起こることを主軸にした話が多めであったのはご愛嬌と言うところだろう。腐りきっていた部分を持っていた頃の学園の一部を切り取って新しい体制を敷いた今はどこを歩いて学ぼうがリドミナの中であればメリットしか無いに決まっている。
学ぶと言う行為自体、前世の僕はどうだか知らないが、今の僕は嫌いでは無い。兄さんから農家経営に関して教えられる時なども途中で飽きたりすることは一度とも無かった。仕組みが理解出来なさすぎて涙ぐんだり、煮詰まったりなかなか進行度が上がらないことなんてしょっちゅうで。それでも開き直ったり放り出したりせず、勉強を諦めないで済んだのは当時の環境も大きかったのかもしれない。
…点々と存在する下級生達の姿を発見しては、分からないながらも必死に課題に取り組もうとしている背中にかつての僕を重ねてしまう。あの頃は、頑張らなくても良いなんて選択肢は兄弟二人で殺していたのだから。誰の元にも行けず、頼れず。自分達だけでなんとかする以外に道も無かった。
『兄さん、どうしよう』
『焦らないでいいんだぞ。俺も分かんないとこまだたくさんあるし、一緒にやってこうな』
『兄さん、これわかんない、何回もやってるのに、わかんない、』
『わー!泣かないでくれ!大丈夫だよ、少し休もうな!……ったく、泣いても勉強やめないんだからなあお前は、すごいよ』
……ふと、両親を亡くしてから後の記憶が疾風のように脳裏を駆け巡る。
この葉っぱどうなってるの?
それは先生に言われたのと違うよ、枝に棘がある、
暗くなると色が変わる花ってどこにあったっけ?
私は可愛いのがいい!
様々な個性を見せながら、眩しさを携えて元気に走る下級生がすぐ側を通り抜けて行く。平和な王国で育つ子供達の、なんと心が和むことだろう。思わず笑みがこぼれる。
「あ、あの、七年の人、ですか」
「ん。どうしたの?」
控えめに出された幼い声、それが僕達の背中にかかって振り向けば、声量と同じくらい縮こまったのでは無いかと思う程に背丈が小さな下級生がいた。僕が大きいだけかとも思ったけれど、周囲の物と比べてみても確かにとても低い位置に頭がある。一番下の一年生でも十一歳なのだから、この背丈は少し珍しい。
口を開きそうで開かない動作を見て、言いたいけれど恥が邪魔してなかなか言えないのだとピンと来た。僕も昔、こんな簡単な問題が分からないのか、って言われたら恥ずかしく思って質問することでさえ下手だったように思う。けれど、兄さんは全くそんなことは無くて、仕事も忙しいだろうに後追いで勉強する僕を見てくれた。馬鹿にしないで受け入れてくれるだけでも、人は嬉しいのだ。小さい子まで一緒だと、余計に昔を思い出すなあと過去に浸かりたくなる。
「何か分からないことがあるかい?良ければ一緒に手伝うよ、僕達の課題は終わったし。ね、エリーゼ様」
「まあな、平均以上は固いだろうねぇ。残りをただ過ごすにも飽いていたところよ」
「!あ、ありがとう、ございます、っ!」
少女がおずおずと差し出してきた鉢植えと、お願いを聞いて。僕は、兄さんにほんの一部でも近付けているのかな、だなんて、尊敬する人のことを思ったのだ。
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