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「凄い…こんなに多くの種類が育てられているなんて…」


 緑の香り、土の匂い。庭園の西に足を入れてからと言うもの、僕が周囲を見る目は確かにキラキラと輝いていたと自覚出来る。肌に触れる空気の感触はまるで景色に優しく撫でられているようで、芳しさを象徴に僕の魂を誘っているかのよう。資料を見た時から、僕がはしゃいでしまいそうなのは恐らく此処だろうなと、自分の中の子供が喜んでいるのが分かって気恥ずかしい。

 庭園の中に、更に庭園がある。そう表現することに間違いは無い、とは思う。むしろ植物図鑑がそのままこの空間で再現されたかのような高品質。痩せた樹々は一切無く、人の腕のように太い枝を持つ樹を見かけては感動した…何故かって、魔法で育てられた痕跡が一切見当たらず自然そのままのエネルギーを感じるから。山奥のあの自然を彷彿とさせる程、ここは学園の中で最も僕が知る狭い世界に近いものだ。

 花々は淡く光る灯火のようにたおやかに点在するものや、空を見上げるように姿勢良く大輪を咲かせるものが存在を主張し。その全てもやはり自然の力だけで育て上げられたものだと分かる。空気が、空間が、自分自身と相性が良いなど滅多に出て来る感想では無い。事前学習の一貫で読み込んだ資料の中では結構期待を持っていた場所、ここまで見事に整えられているのを目にすればしてやられたりと言う感触だ。


「それでは、今日は人体に良い影響が出る薬の合成を実演してみたいと思います。その後は各自に簡易キットをお渡ししますので、三十分間は植物園を歩き各々で薬草や薬花の効能を確認しながら合成していきましょう」


 担当教師が、実験器具が完備された園内の木製テーブルのゾーンで今日の授業内容を簡単に説明する。

 リドミナ魔術学園、本日の七年生Ⅰクラスの一限は庭園の西に位置する植物園にて行われる。この世界の生物形態は前世の情報と似通っている為か地球上で見かける植物に酷似したものも目に見えたり、あちらの世界では物理的に有り得ない形状をしている葉や枝を持ちながらにしてしっかりと根を張る植物まであり、見える範囲全てから入ってくる情報量がとても多い。くるくると自分の身体を一回転させた程度ではとても見切れないだろう。

 僕とエリーゼの周囲は少し空いているが、礼拝を行う大聖堂に比べれば座席数は天と地の差。一クラス分と予備の席くらいしか無い為、隣には座りたくないけど絶対に離れたい思いに席数が歯止めをかけているのか二席分ほど空けた距離あたりにいるのが滑稽だと思う。露骨に嫌い過ぎだろう、これからここの管理国王様二人になるのだけれどこう言う様子も世間に見せられる勇気あるのだろうか?まあ罪がある僕達側が言う言葉では無いだろうけど。

 …学園改革前の腐敗体制は、国王二人の介入により善き方向へ行く未来が確定しているとは言え、体制一新をしたばかりの今はついていけない生徒や、不正がまかり通っていた楽な頃を忘れられない生徒も混入していることが想像に容易い。それらは澄んだ水に一滴混じり込んだ毒のように、今後の学園の信用を侵食する可能性もなきにしもあらず。とは言え、ベニアーロ王のあの言葉や反応を見てからも抵抗を続ける者は流石にいまい。それでも前の学園の方が良かったなどと戯言を吐ける人間は余程の愚か者か、余程の命知らずのどちらかに限定されるだろう。けれど、どうせすぐにでも新しい体制の波に流されて素直に馴染んでいくのだ、人間なんて結局はそんなもの。国王に忠誠を誓う者達のようにもっと真っ直ぐ生きればいいのになんて、不法侵入の前科がある僕は他人のことが全然言えないのにもっともらしいことを思う。


「今日は一年生の全クラスも植物園で見学と観察スケッチの授業を行っておりますので、皆さんも上級生らしく、困っていたら協力してあげて下さいね」


 ちなみに下級生に変なアドバイスやら間違えた指導など行ったら教育的指導が下ります、としっかり釘を刺して来る。この教師も、新任のうちの一人だった気がした。通りで笑顔が眩しい筈だ。

 はい、と皆で返事をして。実験の用意をする教師の姿を目で追いつつ、僕の前世の魂が懐かしさを感じているのだろうか。それに連動して僕まで楽しみになってくる。僕の前世が小学生の時など、六年生と一年生がペアを組んで行う授業もあった。……そう言うことに、過去は憧れていたと言えば嘘では無い。僕には兄さんがいるし、生きる為に必要なことも必要ないことも兄さんから教わった故か、小さい頃の学園に対する憧れはすぐに兄さんで上書きされた。プレッシャーから学園には通えず、山で過ごす力を身につけて外部との繋がりも学んで行き。とんと友人や年下の子供との付き合いとは関係の無い時間を過ごしてきたからか、忘れ去られた青春体験期間のようにも捉えてしまっているからか少し申し訳ない。


「エリーゼ様、一年生に何か聞かれたらどうしましょう。僕学が浅いから山野で見かける植物以外詳しくないですし…」

「……オマエ、アタクシが下級生から声をかけられると思い込んでいる前提の話はやめな」

「ほ、ほら、アデラ姫に間違われること、カシタ付近では多かったですし。ね?」

「おめでたい奴」


 …エリーゼは、正直子供からも好かれると思うのだが。犯した罪は除いても、こんなに素敵なお姉さんがいたら下級生も声をかけたくならないだろうか?なると思う。僕ならそうする。だが惚れるなとも。別に彼女を崇めてほしいとか彼女を好いてほしいとか言う気は無い、彼女を愛するのも彼女を崇めるのも僕一人で十分と言う独占欲がある為だ。

 ただ、彼女が。ただ一人の人として周りから普通に接されている場面を微笑ましく見守りたい、と言う欲もほんの少しはある。彼女に、誰とも普通に話せる状況を楽しんでほしいとも願う。こう言ってみると大分僕も矛盾する部分があると思うのだが、……恋とは何とも複雑な感情の塔だと改めて知るのであった。


「ーーでは、これより各自実験の時間としましょう。なるべく別種の合成薬液を不純物無しで完璧にした状態の試験管一本ごとに評価をつけますので。楽して同じ内容の量産をしたりいい加減な姿勢で向き合うと容赦無く成績から引きますので!最上級生としての自覚をしっかり持って行いましょうね」


 御教授願います、とエリーゼに申し訳なく囁く。

 構わん、むしろ今まではオマエに教えられたことの方が多いからな、……と返されて。心に花が咲くと言うのはこう言う感覚か、とあまりの尊さを感じながら植物園での探索を始めていった。

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