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 鉢植えを手にした少女は一年生であったようだ。この後先生から小さな種を貰ってそれを魔法で促進させる実技を行うのだとか。その為に、葉と魔力の手助けになれるような栄養満点だと思う土を各自小さい鉢植えの中に入れて帰ってくるように、という課題のようで。


「あたし、植物詳しく無くて。お家の庭とかも、庭師さんが魔法で綺麗に整えてるのを見てるだけだから、育つ仕組みも全くわかんなくて……この授業が苦手なの」


 話す印象から、この子は相当なお嬢様なのだろうと思う。それも大切に育てられ愛されて来た子だ。言葉だけ聞くと世間知らずのようにも思えるけれど、声に乗る感情を探ればそれは誤解だと分かる。その声色に傲慢さや我儘を思わせるものが無いのだ。事実を述べるも、誰かを悪く言う言葉は一切聞こえないことに、いい子だなあと言う思いが自然と湧き上がってくる。良い子であり、愛される子なのだと感じさせるのはその容貌も理由だ。一人での手入れが難しいだろうふわふわの髪、土いじりをするには適当では無いふわふわなフリルだらけの服。腰の部分からは何とも女の子らしい、長いリボンが伸びていて。大股で歩くこともままならないだろう、愛らしさが優先されたような風体。しゃがませるような動作ですらさせたくないのでは、と思える。……大事に大事にされてきた子だろう。

 申し訳無さそうに出る声に続いて「あたし友達も少なくて」とそのまま消え入ってしまいそうな言葉が出たところで、大丈夫だよと微笑みを見せる。僕達が手伝うから、ほんの少しでも慰めや励ましになればいいと思って出した言葉を、少女は素直に受け取ってくれたようだ。


「お嬢さん、君の名前は?」

「エルル。エルル・アイロニィと言うの、あ、お家の爵位は、先輩には言った方が良いのかしら…?」

「ううん、平気だよ。それに、さっき会ったばかりの男に色んなことを教えるなんてとんでもない。言いたいことは言いたい人だけにとっておきなさい」

「名前はいいの?」

「名前はいいよ。色んな人から色んな風に呼ばれると、どんどん自分ってものが出来上がっていくんだ。……まあ、流石に名無しのまま呼ぶのも僕が申し訳ないからだけどね」


 じゃあ、先輩達のお名前を呼んでいいかしら?

 物知りたそうに期待する目を向けられ、初めての下級生との交流が始まっていた。

 ノア先輩、エリーゼ先輩、二人の名前をはきはきと呼ぶ姿に。そして先輩という呼称に、胸の中がくすぐったくなってくる。先輩後輩の概念がここまで強く印象付くのも学園ならではだろう。

 ……土下座してきた五年生のことが一瞬脳を過ぎったが、交流と言う枠組みとしては既にノーカウントである。あれを思い出に出来る強さは持ち合わせていない。

 汚れるといけない、鉢植えを持つよ。心配から出た一言が僕の口を突いたが、「ハイドラと同じくらいの重さのは持てるの」と返される。…聞けば、ペットの合成猫らしい。子供ってこんなに可愛かったっけ、と思えてきた。

 …兄さんも小さい時の僕を見てた時、もしかして可愛いとかちょっとは思ってくれたのだろうか。いや抜群に可愛くなかった自信しか無いな、マイナス思考で泣き虫だったから…。変なことを考えるのはやめるか。


 小さい歩幅でちょこちょこと歩く少女、エルルを挟み。僕とエリーゼもゆっくりと歩く。…二人の間にもしも子供が産まれたら、きっとこんな光景に似ているのかもしれないと、おめでたいことを思った。


 × × ×


「わ〜!すごい!すごいの!こんなに近くで高いお花を見れるなんて初めてだわ!」


 実が弾けたように、ぱっと明るくなったエルルの声が聞こえるのは、僕の頭の上。彼女の課題をすぐに終わらせた十数分後、自分の足から僕の足へ移動手段を変えたエルルはなかなかされない肩車を十分に楽しんでくれている。

 高い位置に咲いた花を見てみたいと言う彼女が指差した先もまた、希少で外ではなかなか見ることも出来ない種類だった。


「たかーい!高いの!何でも見える!」

「怖くないかい?」

「全然!お家じゃ、危ないからってこんなことさせてくれないわ!」

「そっか、じゃあここだけの秘密だね」

「うん!」


 純粋にはしゃいでいる様子のエルルに、ここまで喜んでくれるとこの身体も役に立つものだなとしみじみ思う。

 完全に課題を終えた為、実験キットは封をしてとうにポーチの中に入れた。エルルの鉢植えは今、隣を歩くエリーゼの手に渡っている。炎を持つ彼女の手に、小さな鉢植えがあると言う事実だけでも相当愛しい。可愛すぎる。エルルちゃんありがとう、と思うほどである。

 …………そのうち僕、エリーゼが愛しいと言う理由で泣くようにならないかが心配である。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花…地球の日本にあった諺の擬人化では無いだろうか。立ちも座りも、動くだけでも感動して当たり前なのだと、ちょっと気持ち悪く微笑んでいたかもしれない。


「エリーゼ様…不肖、私、とても至福です」

「オマエ、アタクシがいれば常にそうだろうに」

「くっ……その通りです…!ありがとうございます…!」


 はしゃぐエルルに聞こえない程度の声量でぼそぼそと話す。エリーゼが、僕が幸福になる方法を既に熟知してくれていて感涙の極みである。送る愛を自覚して頂いていることは、どれほど金を積み上げて手に入れた物よりも価値があると発信したくなってきた。


「ノア先輩、このお花は食べられるの?」

「食べちゃ駄目なやつだよ。人が食べられる種類の物は他のところだね。蜜がおいしい物とか、花びらごと食べられる物とかあるよ」

「じゃあ、ここの土はおいしいの?」

「……あれはさっきだけだよ、あまり真似しちゃいけないことだからね」


 絶対真似しちゃいけないよ、ともう一度だけ告げておく。

 何を隠そう、エルルの課題消化の為に土を調べたのは僕なのだが。自然と住み慣れた農家としては見るだけよりも土を舐めて栄養価を知る方が早い…ここまで聞けば察しの通り、あんまりよろしくないことだからねと注意しながらも土の粒を掬い舌で判断した結果がエルルの鉢植えの中。当然うがいはした。

 都会人の前ではなかなか出来ないどん引かれる行動の一つだと思ってはいるけれど、この方が手っ取り早いのだ。結果的に早く終わったし、その分エルルも自由時間として今を使える。エルルは素直である以外に少々天然らしく、「すごい!こんなに早くわかるなんて、土の魔法使いなの?」と目をきらきらさせていた。ご想像にお任せするよ、と返した裏には、あわよくば下級生からも僕の存在感を補強する噂が広まってくれないかなと言う思いがあるにはあったが。ここまで純粋な子には打算が通じないだろうとも思い、何だか謎の人物設定になりかけている僕達である。


「そろそろ集合の時間かな?降りて行こうか」

「…の、ノア先輩、……このまま行って貰ったら駄目?このまま行って貰えたら、今日の授業がもっと好きになるわ、あたし」

「ふふふ、高いところ、意外と好きだって分かってよかったね」

「うん」


 こうして、わずかな時間の交流は一旦の終わりを迎える。


 のしのしと肩にエルルを乗せたまま下級生の集合場所へ案内すると、「すげー!」「でけー!」と縦に長い僕達を見て声が上がった。担当の教師からもあらあらありがとうございます、と、上級生として協力してくれたことに礼を言って貰えた。

 エリーゼの姿を目に映しても、下級生の方には例の事件の詳細は難しいのだろうか。それらを把握してないだろう女生徒から、彼女に向かって「アデラ姫…」と声が上がるのを聞いて。またアレか、と呟いたエリーゼである。僕の言った通り、貴女も人気者でしょう、そうからかうように微笑んだ。どんな形であれ、エリーゼが受け入れられている場面を見るのは、僕の心を満たしてくれる。


 エルルが手を振る姿に、小さく手を振りかえして僕達も元いた場所へ課題を持って歩いて行った。

 楽しめたか、とエリーゼが僕へ聞いてくれたことが、何より嬉しくて。色んな感情がこもった「はい!」が、意外と大きい声になって出ていた。

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