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 毎日同じ物だと飽きてしまうだろうし、毎日気を張りすぎても引かれてしまいそう。兄さんと二人の時は肉親相手特有の感覚で料理出来たからか別段過剰に気にもしていなかったのに、愛する女性をも相手にすると色味やバランスなどちょっと気にし過ぎにもなるようだ。前世の僕でもここまで真面目に自炊したことあっただろうか。


(やっぱりバランスが男向きのことが多いもんなあ、ヘルシーな料理本でも今度買おうかな…)


 僕は台所に立っていた。…母さんと父さんが亡くなってからは、この場所の使い方を二人で急いで真似して泣いたものだ。今でこそ二、三人分作ることも苦には思わなくなったが、慣れない最初は適量でさえ全く分からず互いに参った記憶がある。そんな僕達が今では普通に交代でご飯を作り、僕達の家庭の味をエリーゼへと食べて貰っているのだからとても感慨深い。

 …おっと、しんみりした空気はやめようか。さあ作るぞ、と気合も新たにエプロン姿になる。

 感触はふわふわで、もちっとした物を。お昼の時間になっても固くならない柔らかなパンを朝からしっかり手でこねて焼いて、味見しておいしいと思うまでの工程が楽しい。バスケットの中に更に小さな籠を入れて、そこへジャムの瓶やフルーツも詰める。錬金術の技術で作られたチャック付きのフードパックや、包装紙を使えば見栄えも少しは綺麗になるし中がごちゃごちゃしないのが助かる。オーバーテクノロジーはほぼ魔法と錬金術の合わせ技で何とかなり日用品として普及した物もあるこの世界、地球の現代日本にもあった物と似た道具が使えることがあるのが大助かりだ。

 ともあれ、とても気分は高揚していた。はりきって早起きしたのでお昼ご飯と一緒に三人分の朝ご飯も作って。…これは、自発的な花婿修行では?などとも思い始めた。家事を女性ばかりに任せたり、その大変さを一切理解出来ない男にはなりたくないと常々感じているからか、とにかく尽くしたくて尽くしたくて仕方がないと言う面があるのは認めよう。ただ、それも限度と言うものがある。彼女のやりたいことまで奪って尽くすのであればそこに愛は全く無い、そいつはただの尽くすことが好きなだけで相手に愛情が無い奴だからだ。僕はそれとは違うだろう、彼女だから尽くさせてほしいのだ。

 包丁片手に、少しずつ上がったテンションで今、僕は間違いなく浮足立っていただろう。それは昨日食らった多くのプレッシャーのせいもあるのか、身体が無意識にストレスを溜めないようにした結果の気分かもしれない。

 朝の音を響かせるのは、僕。その音を聞いてくれるのは、彼女と兄さん。世界でいっとう平和で愛しい空間はここにある。愛する家族はここにいる、何だか歌い出したくなってくるくらい嬉しいぞ。

 よし、気分は上々。今日も何とか動じることなく、学園へ出向きたい。

 おはよー、と先に起きてきた兄さんの声がいきなり背後からかかり。テンション上がりすぎてちょっと踊りかけてた姿はまさか見られてなかったよな?とちょっと恥ずかしくなった。


 よく眠れたらしいエリーゼの起床は、僕の挨拶と共に今日も始まる


 × × ×


 前略、朝のうちの幸せそうな僕へ。

 如何お過ごしたかどうかは自分自身なのでよく存じ上げております。僕は家の尊いこの景色がいつまでも続くといいなと思いましたね、何なら槍でも鉄砲でも何でも降ってこいと意気込むくらいの勢いでしたね。ええ、彼女にいちゃもんつける者全てを相手にしてやってもいいわと言うくらいには幸福度が高い朝でしたから。

 ……ですが、無事に登校し朝の礼拝も終わった後に来るものは君が予想するより遥かに困惑する状況でしたよ。


「ノア様!!!本当に!!生意気言って!!すいませんでした!!!」


 あ。いけない、意識が勝手に飛んでいた。あまりに今目の前で起きている出来事が意味不明であったが故の防衛本能なのだろうか?

 まあ状況を確認させて頂こう。日時は礼拝終わり、場所は教室へ移動途中の大広間。……の中心で、何故か僕の名前を大声で叫びながらこれまた大声で話し続ける青年。問題なのは、その生徒がこんなだだっ広い場所で僕に向かい開口一番謝りながら躊躇無く土下座してきたことであった。

 脈絡が無いし前後の繋がりも無い、ただ、座学の為に移動しようとした際に「あの!ちょっといいですか!!」と焦った声で呼び止められ振り向いたらとても良い勢いで土下座された。僕の頭に疑問符しか浮かばない理由、分かって貰えただろうか、先程までの僕!


 ーー槍や鉄砲どころか、何故か一人の男子生徒に土下座されるとか言うハプニングは、敵と呼ぶにはあまりに妥当ではなさ過ぎるだろう?


 そう、よく分からなさすぎる。何だ?何だこれ。そう、何?と言う原初の問いしか出てこない。一瞬ドン引きしながら現実逃避していたが、依然大声で僕ではなく床に喋り続けながら土下座の姿勢を崩さない男子生徒の様子に、周りがざわざわとし出すわ遠巻きに何あれ、と話しながら見てくるわ、今の大広間を上から見たらドーナツとしか言いようが無い。勿論、真ん中の穴にいるのが僕とエリーゼとその男子生徒である。


「いやもうほんっと、初日からすいませんでした!!俺みたいなのがノア様みたいな強いお方に歯向かって!!ぶっ飛ばさないでくれてありがとうございました!!!むしろ誘拐とか不法侵入とかすっごく男らしい行為だなって俺ずっと思ってて!!」

「待ってとりあえず先にその口を閉じてお願い」

「えっ!!何でですか!?むしろ武勇伝を語ろうと!!俺は!!すいません!!媚び売りまくるんで殴らないで下さい!!」

「君は僕に喧嘩でも売っているのかい!!?ほら顔上げて、こんな所で騒がれちゃ他の生徒にも迷惑だろうが!!」


 やめろ!声がでかい!!うっかり僕、って素で出ちゃったじゃないか!

 僕は悪役平民ムーヴするとは言ったがあくまでそれは大前提として「エリーゼの隣にいるに相応しい」と思わせる程のものになりたいという思いがあって!こんな、ところかまわず土下座させて殴り倒すようなイメージが今まさにつきそうな展開は流石に望んでいない!我儘で悪いとは思うけれどそれにしたってこれは突然の上にひどすぎるだろう!?

 エリーゼの前でこれ以上醜態を晒したく無いし謎の行動もされたくない。何故かは分からないがいきなり、エリーゼではなく僕に対して朝っぱらから媚び売りに来た生徒の顔を上げさせた。


「うわっ、君、や、貴方は…」

「お、覚えててくれました!!?そうです!今日からノア様の舎弟一号です!」


 そして、気が付いた。流石に二日前のことを忘れるような脳はしていない、なんなら結構印象に残っていた人物。忘れられない、エリーゼでは無く僕だけを目的にはじめて突っかかってきた奴。お前のせいで大目玉を食ったと、エリーゼ復帰一日目の終わりに僕へ文句を言ってきた、奴。


 …この生徒、僕が誘拐事件の際に侵入した時、案内係を担当していたあの生徒だ…!


「カイルとお呼び下さいノア様!!今日も奥様は素敵ですね!!はい!」

「いやいやいやいやはいじゃなくて、」

「俺ほんと長いもんには巻きつけの性質してまして、まさか貴方が七年のフィジィ様やバトラトン様をボッコボコにやっつけるとは思わないじゃないですか!?そしたらもう命の心配しますでしょ!?一番最初にクソ無礼働いたの俺なんですから!!!仕返しされたらどうしようと思って!!だってバトラトン様より上とかもう死しかないでしょ死しか!!だから懸命に媚び売りに来ました!!朝から!!二日前のことは忘れて下さい!!靴でも舐めますから!!許して!!」

「何もかもが飛躍しすぎでしょうが!!少し落ち着いて!頼むから落ち着いて下さい!!」


 本気で待ってくれ、聞き捨てならない尾ひれと背びれがついた噂が今この生徒の口から出たんだが!どうしろと言うんだ!あと本当に君どうした!?プライド自分で引きちぎってゴミ箱にまとめて捨ててる自覚は無いのか!?もう少し自分を大切にしてほしいのだけれど!?


「頼むからもう少し自分を大切にして下さいよ、平日の朝からこんなことする為に生まれてきたわけではないでしょう貴方!?」

「お優しい…!俺みたいな野郎にそんなに優しくしてくれるなんて……流石、校内一と言われるバトラトン様を軽々ぶっ倒した超新星…あんな奴らが一番とかだったのがおかしかったんですよね!やっぱり時代は今日からノア・マヒーザって言うか!」


 口が止まってくれなーーい!!!!

 荒波と地震と隕石落下が同時に来る死の予告のような誇張表現をやめろ!!いやエリーゼの為のデコイになるにはとても楽な奴だけど!!それは命が足りない!余裕で僕が五十人は死ぬぞ!!ほらやめろバトラトンのファンらしき女生徒からちょっと悲鳴上がってるじゃないか!!


 ああそうだった。死んだら困るが、死んでも守ればいいだけの話。うん、悩まなくて済むな。


「ニアはんにどないしてこの惨状報告せぇっちゅーんじゃこのダボがァーーーーーッ!!」


 ドオォンッーー!!

 収集がつかないここに、誰も近付こうとしない僕達の周りに。たった一人、とんでもないスピードで一直線に来る存在を確認したと同時に。

 …乱入して来た人物は、土下座していた青年の頭を床にめり込ませた。比喩では無く、本当に。

 床が割れる音、そのヒビに沈みこまされたカイルと言う男子生徒の首から上。…を押さえつけている、乱入者の片手と荒れた息。


「ノアはん言いましたな!?えろうすんまへん!これ、アシのクラスの馬鹿野郎です!アシは五年IVクラスの監督生のユーリ・ウラヌス言います!とどのつまりアシの監督不行き届きですぅ!!このダボ、後で反省文書かせてまた謝らせに行きますんで!!ああもう、ノアはんにもニアはんにもえろう申し訳のう思いますわ!このダボ!ドベ!」

「あだだだだだだ」


 方言が強めに出ている乱入生徒は、とにかく必死でこちらに謝ろうとしている。ひんひんと必死で謝りながらもカイルの頭をリズミカルにゴンゴンと床に叩きつけるので流石にやばいのでは無いかと思ったのだが。頭を床にぶつけ続けられながらものったりと言葉を出すカイルを確認して、びっくりした。

 ユーリ、と名乗った男子生徒の手をはねのけ、ギャンギャンと吠えるカイルを見ていると。何だろう。同級生同士と言うより、お母さんと子供を見ているような感じがする。遠い目をしながら僕は経過を追うしかなかった。


「だ、だって〜!ユーリ!この人七年で一番良かった実戦記録抜いたって言うしさあ!そんな人に突っかかっちゃったら怖いだろ!!手の平大回転祭りだろ!俺はいつだってそういう風に生きてきたんだ!」

「雑魚精神を誇るな!威張るな!!ほら、立ちぃ!ああもう、朝からこんな騒ぎ起こして!始末書書くんアシになるの分かってて嫌がらせしよるんか!?ほら行くで!先に癒術室や!!」

「ああ〜!引きずるなって!ノア様!舎弟第一号イズ俺ですからね!!だからお願い!俺だけには手あげないでくださっ、ああああ〜〜………!!」


 台風一過。

 文字通り乱暴に床から引き剥がされ、引きずられていったカイルをよそに。またも現実逃避しかかったが、精神に鞭を入れた。何だか、身体が謎に震えている。


「……子犬」

「…………はい」

「………耳が腐りそうなほど騒がしかったな……」

「はいっ……!」


 二人して、今は触れない方が吉だと秒で判断した。

 朝の僕へ。知らないだろう、この濃度でまだ三日目の授業前です。他人が勝手に全方向へ僕の名前を使って喧嘩を売りました。了。


 授業前のトンチキすぎた騒ぎに、果たしてお昼ご飯を安心して彼女と共に食べることが出来るのか、疑問が浮かんだ朝になっていた…。

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