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 精神だけならとうに四日分は磨耗したに等しく思う。昨日は午前授業だったからか、その反動で余計に今日の密度があまりにも濃く感じる。これが都会の最高峰の教育現場かと関心し、恐れるまでもあった。


「王都の方々は凄いですね。このカリキュラムをそつなくこなすのでしょう…?」

「農家とはまた違う面倒さがあるからな」


 それでも、今のオマエを誰も田舎者とは信じないだろうよ。と。平然と言い放たれたのを聞き、恥にはならない振る舞いが出来ているだろうかと気を張っていた今の僕を、普通に認めて貰えた気がして安堵した。

 午前の実技も終わり、残すは午後となった今からは昼休憩の時間だ。正直、誰かしらから後をつけられることは遠慮したいと思い、皆が北庭園からほぼ出て行った頃を見計らい、僕達二人はするりと表へ出て来た。一応この学園には相当広く豪華な食堂もあるのだが、わざわざ大多数がいそうでなおかつ変な輩や関係者に絡まれる確率が高そうな場所を選ぶのも躊躇する。


「では温室へ参りましょうか」


 と、言うわけで。今日の僕の手には、朝早くから起きて作ったお弁当があると言うわけなのです。目指すは温室、あそこなら人の出入りも多くは無いだろうと言う見立てで、しっかりと休息を取るにはそこが一番では無いかと思ったのだ。

 先程勢いで魔力器官を酷使したばかりだと言うのに僕と来たら、彼女が隣で寄り添ってくれていただけでこんなにも満たされて。精神的な荒れも、肉体的な不調も、エリーゼがいればすぐに知らないものになる。ああ、恋とは、愛とは、こんなにも深く刻み込まれるものなのだなあと。笑みを隠さず心が踊り出す始末。

 そんなに豪華な昼食では無いけれど、二人きりで食べましょうと言った僕にうなづいてくれたエリーゼに愛しさが募るばかりで。浮き足立ちそうなのを自制して、不調が和らいだ身体を彼女の隣で歩かせていた。


「ーーエリーゼ様、お久しぶりです、」


 その時だった。進行方向上に現れた二人分の人影が見知った顔だと即座に気付いた頃には、こちらに声がかかっていて。

 良かった、間に合って。そう言いながら柔らかな表情を携え、臆することもなく今のエリーゼに近寄る者…ヒイロ・ライラックと。その横で、ただただバツの悪そうな顔をしているスオウ・カザルムを見て。何とも言えぬ空気がまた漂ったのであった。


 × × ×


「ごめんなさいエリーゼ様、余計なお世話かもしれないと思ったのですが」

「真にいらぬ世話よ、アタクシがここで食事を摂ったこと等一切無いことを知っていての誘いか?」


 厳しい言い方に見えて、その実棘が一切抜けていると僕にはわかっていた。面白そうに口角を上げ、その様子を見て会話の続きを許されたと察したらしいヒイロが朗らかに笑う。


「ふふ、だからこそですよ。私だってどんどん悪いこと考えるの得意になっているんですからね!…………だって、全然こちらへ来られたことも無い貴女が、私と一緒に仲良さそうにお食事をしているのを見せつけるのって、皆に分からせるのに一番手間が少なく済むと思ったんです」

「ほお。少しはやらかすようになったねぇ。このアタクシを巻き込んだあたり、死にかけてからまた死にたがりが加速したかい?」

「死なずにいますよ。何度だって。私、ありのままのエリーゼ様をいつまでもお慕いしていますから」

「ハッ、口では何とでも言える。ーーが、なかなか、今の方が人間らしく見えるぞ、ヒイロ」

「!ありがとうございます……とても、光栄に思います、」


 ヒイロとエリーゼが言葉を交わす光景が、現実として今僕の目には見えている。分厚い眼鏡の下に隠れている瞳は、今、間違いなくエリーゼの言葉だけで輝いた。何と言う奇跡。名前を呼びあい、食事を共にする場面が本物の事象としてこの網膜に焼きつく時が来るだなんて。

 こんなにも、こんなにも互いに楽しそうにされている姿を拝めるなど。エリーゼ・リースのドロップアウトアフタールート、地球じゃ絶対に可能性が無かった幻想の彼方。その果てに見た幸福の一欠片がこれに間違いないのだろう。

 ……前世の僕が、隣で実体化しそうな程に僕は今、前世の僕と近過ぎる感情を持っている。それ即ち、尊過ぎる、と言う、岩を削る荒波のような感動だった。


「おい。…おい、アンタ。それ俺の飯なんだが」


 はああ、と、充足した心から自然に吐息を漏らしてはその様子を見ていた僕に、正面から横槍が入る。ぽわんと浮遊感まで感じていた状態からはっと正気に戻され、僕は慌てて投げられた言葉の意味と現状をすり合わせた。右手に持っていたフォークが突き刺していたのは、僕が作ってきたお弁当の内容物では無く、対面で食事を摂っていたスオウくんの皿の端に追いやられていたスライストマトで。


「え?あ、ご、ごめん。本当だ……完全に手が迷子になってたよ。はい」

「いやそのまま寄越すなよ!何で男同士であーんなんてしなくちゃなんねえん、ぶ、む、」


 完全に無意識で反射的にやってしまった。まさかもう一度皿の上にぺっ、と返すよりかはマシかと思って、フォークをそのままスオウくんの唇に向かって押し当てて。話している最中にそんなことをされたせいか、うまく拒まずに口の中へ僕のフォークを誘う羽目になったスオウくんは、何と言っていいかわからなさそうな顔をしていて。

 気のせいでは無く、どこか遠目の端の方から小さく「も、萌え…」と隠しきれない嗜好を抱える業の者の呟きが聞こえた気がするのは、前世の僕の業が過剰に反応しているせいもあるのだろうか。仕方無しに噛み締め飲んだ後のスオウくんと来たら、「アンタもしかしなくてもエリーゼ以外に関しちゃポンコツだろ」とその両目でじとっと訴えていた。


 そう、今僕達は、リドミナ学園内の広い大食堂……それも、ほぼ中心と言える位置に四人で座っていた。学園資料で見た通り、多人数が利用することを前提にされたここは、食堂だと言うのに一般のそれと規模も違う。長く端から端へ伸びるテーブル席は、平民がイメージする豪邸の中の食事処そのものだろうか。シックなテーブルクロスは新品のような触れ心地で、等間隔で置かれた美しい造花。高く高く見える天井には、シャンデリアが美しく垂れる……こんな場所で食べる物はまず間違いなく美味しく感じるだろうなあ。

 地球で言うレストランやホテルのように、大食堂の職員に注文を行えば配膳用のワゴンと共に料理が運ばれてくる。しかも生徒であるならば無料でいくらでも食べられる、と破格の対応だ。この学園で曲げずに学び続けるだけでも勝ち組だと噂されるのも納得出来る程の好待遇、まあ食事の持ち込みも許可されている為

僕のバスケットも拒否されることなくこの場にいるのだが。食事以外での利用も大丈夫らしいので大食堂兼談話室のような扱いにもなっているのだとか。


 僕にとっては身の丈も合わないくらいの場所だが、何故こう言う展開になったかと言えば先程の通りだ。簡単に言うと、僕達は午前の授業終わりをヒイロとスオウの二人に狙われ、可愛らしい待ち伏せをされていた。そうして、この大食堂で一緒に食べないかと誘いを受けたのである。わざわざ行くのも、と思って一度は断ろうとしたのだが。午前授業が終わり次第姿をくらますことが出来た昨日と違い、これからの日程は標準の授業数がこなされる為、その間少しでも妙なことが起こらないようせめて側に置いて欲しい、と言うヒイロの心配を肌で感じ取った僕達は無下に断らず、一緒にここへ来た。

 その際一瞬表情を歪めたエリーゼであったが、そこで突き放さずに素直に歩みを共にした時点で、エリーゼの中にもヒイロに対して新たな感情が生まれた証拠になるだろう。


 嗚呼、この二人の関係を見守るのがこんなにも胸をときめかせるだなんて!


 …この学園に来る以前に挨拶した時より、ヒイロは更に表情が豊かで柔らかくなっている気がする。その理由は…きつい言葉を出すが幼馴染のスオウでも無く攻略対象であるメインヒーロー達でも無く、僕の愛しいエリーゼのお陰が大きいのだろうと。

 隣り合う僕達の対面には、それぞれヒイロとスオウがいて。昼食を注文した彼等の傍ら、いつものお昼を摂っている。束の間の、平穏な時間。


「ったく、アンタらがいるだけで食いづらくて仕方ねえ。どいつもこいつも見世物みてーな目でこっち見るしよ」

「はは、まあ無視でいいでしょう。僕それより二人の姿をこのまま焼き付けることに集中したいので」

「素が出過ぎてねえかアンタ?」

「今くらいリラックスしたいんですよ、午前は気を張り詰めすぎましたから」


 この四人の空間に、「周りから結構な視線が向けられては突き刺さっている」と言う点を除けば。とてものどかで平穏な癒しの時間だ。

 それらの反応全てを意識外へと追いやりシャットアウトし、この四人だけの空間に意識を向けるなど僕にとってはあまりに容易い。気持ち悪いことは自覚しているのでそれ以上責めないでくれると嬉しいかもしれない。


「あー、そういやそのことがあって、こいつが余計に心配したんだよ」

「す、スオウ、言わないでもいいってば、」

「北庭園、七年が使うって知ってたからな。俺ぁ、アンタがいるからそこの女の心配はねーっつったのによ。ヘイリーの野郎とバトラトンの野郎とも学年的に鉢合わせるからつってさ。もし何かいざこざがあったらバトラトンだけでも説得してみせるって勇み足でアンタら待ち伏せに行ってたんだぜ?」


 スオウがさらりと話す内容に、困った様子で口を噤むヒイロがいた。…この子は、また、自分以上にエリーゼのことを考えてくれていたのか。先日の教会での時だって、彼女が心の容量を割いたのはほぼエリーゼに関してであったし。何と健気で、無垢なのだろうか。ただ、その真っ白だった純粋さに、エリーゼと言う足跡が深く刻まれた今のヒイロには、イイコチャンすぎたずっと昔より遥かに人間性が宿ったのでは無いかと思う。

 いや、違う。人間らしくなった、は大きな間違いだ。正しくは、僕に少し似るようになってしまった、だろうか。ヒイロには勝手に親近感を覚えているところがある、エリーゼに対する強い感情も。盲目で無く、彼女の罪を受け止めた上で今後も向き合っていくことを希望している姿には嫉妬心さえ抱く。

 恐らく、僕がこの世界で普通の女子として生まれ。学園に入学したとして。絶対に、ヒイロと同じことをやると思ったから。絶対にヒイロと同じように、性別も前世も関係無くエリーゼに巨大な感情を持っただろうことを予想出来るから。

 どこか、どこか似ていると自惚れてしまう。直向きにエリーゼに向き合う姿を、言動を知る度に。


「…まるで、自分のことのように嬉しいです。そうまで心配して頂けるなんて、伴侶である僕からも改めて感謝させてください」

「そ、そんな、私の自分勝手ですよ。……自分勝手に、エリーゼ様のこと、いっぱい考えたいだけなんです」

「……ああ。ありがとう。本当に、……エリーゼ様に殺されかけたのが、君で、良かった」

「私も、エリーゼ様と向かいあえて本当に良かったと思います!……あの瞬間だけは、貴方にも譲れない経験でしたもの、ノアさん、」


 物騒で気が狂った会話だと思われるだろう。だが、これで通じ合えたと互いに痛感し、心を揺さぶられる。

 気付けば二人の脳内では星が爆発を起こし、自然に握手をしていた。忘れかけていた、この感覚。これは、これは、



 ーー推しの尊さを、他の人と共有した前世の僕のときめきだ……!



「…………お前さ、なんか、宗教の教祖にでもなるつもりなのか?」

「知らん。こ奴らは元からこうだぞ」

「お前、自分で気付いてない才能あと幾つぐれえ持ってんの?素直に怖ぇよ…」


 昼下がり。

 この後話の中心になる今日の顛末の前に、ヒイロと僕は改めて通じ合っていた。

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