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 教師からの癒術も受けず、互いの存在以外は今は必要無いとでも言うかのように、ギャラリーを無視してゆるりと人の輪から外れていくエリーゼ・マヒーザとその婚約者に好奇の視線は未だ突き刺さっていた。特に感情が強いと思われる瞳をしていたのは、ラムとニアと……もう一人。

 修羅場だと野次られていた新学期最初の対人戦は、面白い、の言葉が似合う結果で終わる。勿論良い意味でも悪い意味でも、だ。


「騒がないでくれ。まだ授業の続きだろう、落ち着かないか。このまま次に移ろう、……ダストア先生、次の希望がすぐ出ないならこのまま俺が行っても良いだろうか」


 空気の流れと色をスパッと変えるように言葉で切り込んだのは、Ⅲクラスの男子生徒だった。その声に抑揚なく、感情無く。静かながらも前へ積極的に出る姿勢を見せていると言うのに、冷酷な印象ばかりが今だけは強く出ている。

 何故なら、皆は周知しているからだ。その生徒がエリーゼに対して良い感情等微塵も抱いていないことに。…その生徒の怒りは、未だに引かないだろうことを勘付いているのだ。あれ程騒がしく下世話な言葉まで数秒前は飛び交う有様だったと言うのに、その青年が一声上げただけで空間の淀みですら一瞬で消し去られたかのようだ。強制的なまでの空気の浄化に周囲が自然に協力し従ってしまうことには、三つほど理由がある。

 一つは、彼がこの場の中では一番爵位の高い家系の嫡子であること。二つは、誰から見ても非が無い、何に対しても完璧な人間であること。最後の三つは、


「ああ、下らない。何を惑わされているんだ、あれは何一つ変わっちゃあいない。ただ、新しく出来た男に対する態度だけが物珍しいだけだ。反省も無く、罪は未だに有ると言うに、あの女の悪性は何一つ変わっちゃあいない、触れればまた燃やされるだけ。……あの女が良くなるなど、夢のまた夢なのだから」


 …彼が愛する存在を、何より非道な手で傷つけたのがエリーゼであると知っていること。


「お、了解。Ⅲクラスの……セリュアス・バトラトンだな」


 そう、今、誰よりもエリーゼに何かを言う資格があったのはこの彼。ヒイロ・ライラックをこの学園へ誘う切っ掛けとなった、侯爵令息でありⅢクラスの監督生でもある、セリュアス・バトラトンその人。

 ミルキークォーツのような、乳白色と透明度を掛け合わせたなかなかと見れない美しい頭髪は、ハーフアップの形に結われていた。ただ、それが少しだけ崩れ飛び出した前髪にも気が行かない程に怒気を隠せていないことが察せられる。まるで人形のように美しい、髪と同じ水晶のような目の色。気高い騎士のようだと例えられる彼の高貴な振る舞いは日常茶飯事であり、爵位を誇る家系であるからこそどこにでも目を向け手を差し伸べることを信条としている彼の目はいつも柔らかいアーチを描き笑顔をより優しく見せていると言うのに。今の吊り上がった目を見れば、皆が実感するだろう。彼とて、普通に怒りを感じる人間らしさがあるのだと。


「おや。君が出るなら、僕がお相手しようか。セリュアス」

「元よりそのつもりだ。笑ってくれ、友よ。あの女を目にして平静でいようとした結果がこの有様さ。今はただ、この怒りを理不尽に暴発させたくて仕方がない」

「ああ、他でも無い君の頼みなら」

「何にせよ、俺と対等に渡り合えるのはここではお前一人だけしかいないだろう」


 さあ、位置につけ、ニア。

 そう言い放ち、戦闘が許可されている領域へ歩みを進めたセリュアスの足元で、パキ、ピキキ、と割れる何かを踏みしめる音が上がる。セリュアスが一歩、一歩と進む度。その足が地について離れる度、彼が触れた部分から物質が結晶化していた。

 クリスタルのようなそれを、抑えられないと言う理由だけで自然的に発生させている。その現象は、最上級生の中で最も美しい魔術を使うとされるセリュアス・バトラトン…彼の一族に伝わる希少魔法である、水晶魔術の使い手であることの証明に他ならない。

 おやおや、と余裕を含んだ笑みで笑うのは。直々に指名を受けたニア・マッドーリだ。鎖がぶら下がっている両腕を広げ、「おいで」とただ一言、そう呟いた。次の瞬間、轟音を立てて彼の背後から現れたのは鉄錆が赤く滲む不気味な扉。彼の首や手を封じる鎖と同じように、巨大な鎖でその前面を封じられていた。ニアの呼び掛けに答えるように地上を突き破り生えてきたと見えるそれは、不穏なことに縛られた鎖が軋むほど、中から容赦なく何かがぶつかる音と衝撃で持って扉の門部分を膨らませていた。


「ちょうど。僕も素晴らしい術を覚えたばかりでね。この子の初めての相手には、君が一番相応しい」

「ほう。この俺で試そうと言うか。……すぐにでも、いつもの手段に変えざるを得ないぞ」

「ふふ。何だい、すぐに楽しそうな目に変わったじゃないか」


 合図も無いうちから早くも臨戦状態へと移行する二人をよそに、威勢が良すぎる奴らばかりだと呆れたように笑うラムであったが。その内心は、他にいた教師と同じく驚きに満たされていた。

 この年齢にして、かたや詠唱も無く自然発生の事象として周囲に変化を起こすセリュアス。かたや、明らかに魔力消費が大きすぎる召喚術を使っても平然としているニア。強さだけならエリーゼも含めてこの三人が最上級生の中での天才と言う枠に入れられるだろう。様々なギルドからは引く手数多だろうに、惜しむらくは二人とも既に今の時点で働いている身であり、王国へ貢献していると言う点だ。セリュアスは侯爵令息として社交界へ華々しい活躍をし外交や領地での働きを見せ、ニアは師の助手として様々な奉公に出るだけでなくこの国の異端審問官として功績を挙げている。


「お前さん達、開始と終了の合図だけはしっかり聞けよ!Ⅰクラス、ニア・マッドーリ、Ⅲクラス、セリュアス・バトラトン!それじゃあ対人戦開始だ!!」


 ラムの合図と共に、ニアの背後の扉に動きが見えた。頑丈に巻きついた鎖が破られ周囲に弾け飛ぶ、それが飛んだ樹木に早速貫通する程の大穴が開いて、先程までとは打って変わったスケールの違いにワッと周囲が湧いた。


「さあ、ケルベロス!君の力を見せておくれ!」


 扉を破り姿を現したのは、三つ首の巨大な番犬。地球では冥府の番犬と呼ばれた怪物は、死をもたらす性質を持つと言う幻獣の一種として語られ、この世界では扱われてきた。


「大きさだけでは、俺に翻弄されるだけになるぞ、友よ!」


 対峙するセリュアスも更に魔力を増幅させているのが分かる。次の瞬間、まるで天高く突き刺さる氷柱のように、尋常では無い速度で硬化してはその面積を広げていく水晶が剣山のように一斉に地上から生えていた。

 だが、三つ首はそれより速い。人の手では届かぬ高さの宙に舞い、その下では水晶の動きを見切ったかのように、階段を登る感覚で硬化する空気の一部を蹴り上げつつ上へと昇るニアの姿が追いつこうとしていた。


「主よ、幸福な痛みをここに!」


 ケルベロスの背に優雅に乗ることを達成させた彼がそう叫べば、どこからか喚ばれた黒い鎖達が彼らを突き刺そうとする水晶へと巻き付き、締め上げれば少しの抵抗を見せた後完全に砕け散る。まるでスターダストのように美しい、雪降る空を見ているかのような光景が広がっていった。


「そら、君の瞳にはもう僕しか映っていない。エリーゼくんのことも、霞んでいくのではないかい?」

「ああ、この苛つきが全て消えるまでは。お前をあの悪女と思い込むことにしようか」

「おおっと、そう来たか。……まあ、少しの間だけ。本気で楽しんで和んで貰おうと思うよ」


 セリュアスが笑い、ニアが微笑む。この戦いの場を心から楽しんでいるように。


「おー、危ねぇ。上まで障壁範囲広げててよかったな。……ところでお前さん、他校から来たんだよな?ここまで強い生徒見たことあるか?」

「い、いえ。資料では見ましたが、実際目にすると恐ろしいですね。……だって彼ら、これでまだ発展途上なんでしょう」

「末恐ろしいわ。そりゃ、この学園出身なら名のあるギルドで手柄ばかり上げる筈だっつの」


 美しいとは言えど、砂粒のような大きさになっても硬度は変わらない水晶群。締め付ける鎖に反発し余計に膨張した水晶は、小さくなってもなお他を傷つける力は大いにある。

 こちら側にまで被害が及ばないよう張っていた魔術障壁の維持を確認しつつ、ラムは隣の教師に言葉を投げかける。そちらもまたこの状況に驚いてはいるようだが、やはり王立ですからね、と大層感心している様子だった。他校の出来る生徒と比べても明らかに突出した才能を持つ者が多い、それに成績の水準も他に比べれば相当優秀な部類だ。

 ただ、アクが強すぎる輩が多い。他人を半殺しにした生徒までいる上に、国王がこの学園に手を入れるまではそこに至ってしまうまでの環境を整えることもしなかったのだろう。そうであれば教師陣と言う大人に対する信頼もほぼ今は無いと見て間違いない、腐った大人共が適当に管理をしているだけの場で、教育とは何であるかを語れる者も存在はしない。


「ったく、クビになった奴らは揃いも揃って後のこと考えねえんだからよ。こんだけすげえ奴らを学園ごと潰しかねないところだったってのが分からねえんだろうなあ」


 前任への愚痴をこぼしつつ、優秀な監督生同士での戦いには学ぶ物が滝のようにあるらしく。多くの生徒が釘付けになって彼らの戦い方を見る中で、たった二人、それに興味も示さず、後列の更に後ろにある備え付けのベンチで休息をしていた存在がある。ラムの目は、ニアとセリュアスに向かいながらも時折、そちらへ向かっていた。

 先程先陣を切って初手の試合を速攻で終わらせたあの転校生に対して、言いたいことは溢れるくらいにあるのだが。


(ありゃ危険だな、どこかに登校していた記録も無し。農家で働きながらの独学、っつうことは魔術界においての専門知識が乏しいと見た)


 ーー魔力器官が酷使されすぎてズタズタだ、ありゃすぐ使いもんにならなくなる


 ラムの目には、見えていた。今、気丈に振舞っている青年は、このままでは二十になる前にも魔法が使えなくなる危険性があるとまで推測して。

 はたから見れば情報が無いように映っても、教師陣には生徒のデータは余すところ無く渡されている。彼がどこの出身で、どのような魔法を使い何をしたのか。先程の試合でもラムが展開を追い切れたのは、彼が移動魔法と言う習得難易度が高すぎるものをかろうじて使えると言うことを事前に知っていたからだった。

 僅かな期間だとしても、そんな致命的な欠陥を抱えた生徒を見つけた以上。教師として、ラムはそれを見逃すわけにはいかない。


「やり甲斐がありすぎて困っちまうと思わないか、なあ」


 想定以上の場で起こる、想定以上の課題達。いつのまにか胸を高鳴らせていることに気が付いた自身を、ラムはどうしようも無いおっさんだな、と自嘲していた。

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