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「クク、大儀であったぞ、子犬」
どうにもならないこの空気を突っ切って彼女の元へ向かおうとした時、こちらにかけられた言葉。エリーゼの傍に僕が向かおうとするよりも早く、主人然とした様子でいつの間に隣へと近寄ってくれていた。
…感謝の言葉しか無い。魔力器官と魔力量に合わない魔法を使い続けているお陰でいつも術後が独活の大木状態になる僕にとって、彼女が隣にいるだけで限界の状態でも立っていられる。とどのつまり強がりが加速するわけなのだが、今倒れて嘔吐してしまっては全てが丸潰れである。
僕の左腕にしなだれ掛かる…ふりをするエリーゼ。僕の悲惨な表情を気遣ってか、体重を一切かけず、まるで彼女の方から甘えているように見える装い。…分かる、手に取るように分かる。注目を集めるうちにとっととこの目も当てられないツラと呼吸を整えておけと言う彼女なりの励ましだろう。とてもありがたい。
ただ、触れられた面積に心臓が跳ね上がり、余計に息がしづらくなりそうだ。この童の貞め。
「余興を面白くせよと命じた通りさ。…オマエのような物と違って、これは随分と役に立つぞ?」
あのエリーゼが男に媚びを売る真似を!?なんて目で見てくるのが分かって、違うこれは僕を支える為の演技だそのような下品な視線で彼女を見るんじゃ無いと叫びたいところだが、あと少しは大人しくしていないと本当に胃の内容物が逆流する。いっそのことお前の顔面に嘔吐しながら説教でもしてやろうかと煽りたいところだが負うダメージが桁違いすぎる、この恐ろしい発想も捨てよう。
「オマエにとってはどこの馬の骨とも知らん奴だろうねぇ。だが、その馬の骨に一泡吹かせられた気持ちはどうだい?ハハ、実力以上に他人を見下す癖があるオマエには丁度いい灸だろうよ」
「ぐ、……。ふふ、ふふふ、…エリーゼ、お前らしくも無い。他人の為にそこまで言葉を出すなど。その男に弱みでも握られたか?ああ、周りから捨てられたような奴は、もうどんな奴にでも媚びるしかなくなるもんな?」
まだ口が回るかこの三下。こちらまで口の悪さに拍車がかかる。負け惜しみに選ぶ言葉にデリカシーが無さすぎだろう、何だ?お前は僕の怒髪天衝き機か何かか?どんどん僕の中でお前の評価が人間より下になるのだけれどそれでいいのか?ここに来て嫌悪感を更に満たしてくれてむしろ礼まで言いたくなりそうだ。ありがとう、一切同情しないで済む理由を山程与えてくれて。
倫理的思考知能が僕まで下がり始めた一方、ふりだけだったエリーゼが僕の腕に絡まりぎゅうと力を込めてきたことに、血管の巡りが異常に良くなったことは真実だった。
「そりゃあ、饒舌にもなるだろうよ。此奴はオマエと違って……アタクシの衣擦れの音を、こんなにも真近で聞いたことがあるのだぞ?」
吐息のように紡がれながら投下された爆弾発言に。…僕だけでなく大多数の男子生徒に、とんでもない何かの概念が突き刺さった気が、する。
待ってくれ。お待ち下さい。それは、僕の誤魔化しの為にだけで使ってもいい展開なのでしょうか。ヘイリーが唖然とした様子で口を開いている、僕と言えば青ざめた顔が急に沸騰したお陰で青いのか赤いのかよくわからない顔色になってしまった。
いや、だって、エリーゼ様、それは。今、それは。許婚がいたり政略結婚があったり、色恋沙汰に関して様々なことも学んでいるだろう貴族達相手にとっては、特に衝撃な言葉でしょう。
上品に見せかけた言葉に隠す気も無い艶を乗せる彼女の姿は、正しく傾国の悪女と言っても過言ではないだろう。
「アタクシと部屋を共にしたことも、アタクシと朝を共にしたことも無かろうに。今も大口を叩けると思い込んでいるなぞ、滑稽よな」
ああああ、確かに嘘は言ってません!虚偽ではありません!懺悔しましょう、僕は山奥で彼女の衣擦れの音が聞こえるくらい近くにいたこともあります。彼女を朝起こしに行ったこともあります、彼女と部屋で話したことは結構増えました。
ただ、この状況でのこの言葉は。あまりにも……そう言ったことがもう二人の間で行われた、と錯覚させるには十分過ぎる!
そら、初心な方の生徒がもう既に顔を赤らめているのが見えた。やめてくれ、エリーゼに対してもう女を見る目になっているのをやめてくれ、青少年の悪いところだぞ。皆少し前まではエリーゼに対して圧倒的に忌み嫌うような反応だったじゃないか。
「……た、のか、」
「はい…?聞こえませんが…?」
「した、のか?」
ヘイリーまで素に戻った挙句とんでもないことを口走りはじめた。
馬鹿野郎!!馬鹿野郎、馬鹿!もう馬鹿!お前まで口から魂と理性を吐き出してどうするんだ!衝撃的なのは分かるが授業中なんだぞ今は!なまじ普通にお前は顔がいいんだから余計にえげつなく聞こえてしまうのを理解しろ!
「………逆に伺いますが、貴方はされていませんので?」
はっきりとは答えず返しただけなのだが。ヘイリーに雷に撃たれたような衝撃を与えるには、これだけでも大丈夫だったようだ。ぼやかしただけ、嘘は言っていないだけ、そうだと言うのにここまで既成事実を組み立てられることなんて出来ると思わなかった。
「はいはい!話終わり!ヘイリー、お前さん完全に異常は無いよう癒しはしたが頭を打ってるんだ、念の為あちらでもう一度見てもらう。ノア、お前さんも急に顔色が悪いが癒術をかけても構わないな?」
「い、いえ。僕は大丈夫です。その分こいつにかけて差し上げて下さい」
「そうか…無理はするんじゃないぞ」
よかった、間にラムが割って入ってくれたことでこのなんとも言えないが何も言わせない空気に終止符が打たれて。
後列の方に行くぞ、と小声でさりげなく言ってくれたエリーゼにほんの少し身体を寄せながら、なんとも無いですという風体を装って引っ込む。それと同時に、ヘイリーも呆然としながら癒術の先生のところへ引っ立てられて行き。
「あちらの影で少し休め、教師にはアタクシが言っておこう」
「……あの。…我儘なんですけど、…一緒にいて頂いても…?」
「…仕方の無い奴め。まあ、上出来な余興だったからな」
「ふふ、光栄です…」
さりげなく、さりげなく、その場から消えていく。
そんな僕達二人の背中を、特別な意味で見つめる視線が三人分あったのだが。木を隠すには森の中…、数多の視線に紛れてしまった為か、それらが発する視線の意味に気付くのを遅らせていた。
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