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 リドミナ魔術学園内は、果てしなく広い。その上、毎日磨いたように綺麗であり汚れが積もった形跡も微塵も無い。特殊な魔法が空間はおろか建造物である学園自体にも作用しており、美しさを維持出来るだけでは飽きたらず、有事の際には壊れた場所を再生するセキュリティの作動まで出来ると言う至れり尽くせりと言ったところだ。身分差関係無く入学出来る校風も、王家直々のバックアップと言う巨大な後ろ盾があるからこそ安全に運営出来るもの。

 前世の記憶にある物を利用してかろうじて表現するならば、王道学園にファンタジーを掛け合わせて更に広くしたような豪華な内装だ。女王の名と同じ眷属であり、この国を象徴する生き物でもある金糸雀のレリーフが装飾として様々な場所へと埋め込まれていて。この学園そのものが芸術として見られても当然と言う程だ。…僕には、あまりに縁遠い場所。土の香りと森の話し声に囲まれて過ごしていた人間にとっては、このように広くて素敵な場所でも、少し経てば「窮屈だ」なんて贅沢な弱音を吐いてしまうのだろう。僕が世間を知らなさすぎるだけであると言うのに。

 右を見ても左を見ても、必ず視界にちらつくのは美しい場所だけでは無く、ここで学ぶに相応しいとされた生徒達。制服は自由な物を許されている代わりに学園側からはローブが支給される、それも着用義務があるわけでは無いが…やはりリドミナの在校生であることが一目で分かることからほとんどの生徒が着けているように思える。学園に通えることを栄誉だと、皆が誇りを持って歩んでいる証拠だ。逆に考えれば、その中でローブを使わずにいる生徒はそれだけでも少し目立つのかもしれない、ローブどころか特に私服が自由一択であるエリーゼは、余計に。


「はい、私ですか?ええ。ほんの少しの間ではございますが、エリーゼ様…伴侶の傍で学園の良さを知りたいと思いまして。特別に女王様からも許可を頂いた上での通学になります。使用人でも、何とでもお好きにお呼び下さいませ」


 自分の一言一言でざわつく反応が起こると言うものが続くと、恐怖に近いものが這いずり回る。ここにあるのは単純な優越感などでは無い、ただ、恐れだ。皆が皆、”エリーゼは孤独であらなければならない”と言うレッテルを貼り付けたような目で見てくることが、恐ろしい。彼女は追い出されてもう二度と姿を現さないのが普通と言わんばかりのような反応に見えてしまうのだ。確かにメインストーリー上ではそのような扱いだったかもしれないが、いざこうして行間に当たるだろう彼女への印象を生徒達を通して見てみると何ともひどいことである。

僕の前世の人にも集団生活の記憶はある、学校を経て社会に出てもなおそんな過ごし方だったと言うのに、星も世界も育ち方も違えば、記憶だけあっても全く役には立たないことをまざまざと思い起こさせていて。都会独特、しかもエリートも一般もまぜこぜの校内で負の一角を築き上げていたエリーゼに対する印象はすぐに払拭出来るものでは無いと気付いてはいたものの、好奇と畏怖の視線が交互に刺さってくるのは彼女も気味が悪いだろう。

 度が過ぎて慇懃無礼にならぬよう、しかし丁寧な対応を心がけてはいる。イメージするのはウィドーあの人である、執事然とした振る舞いだけでも見よう見まねでした方がまだ波風は立てまい。


 エリーゼの通った教室へ到着し、僕に関して何の説明も無いまま一限の授業へ移ってくれたことはとてもありがたい。そも、貴族が使用人を連れて来ても講義が必須な正式な生徒とはわけが違う、使用人はあくまで付随物だ。一応エリーゼと歳が一緒だからか生徒に近い扱いは受けられるものの、クラスの名簿には記載されない。学園側に存在を申請はするものの、クラスで一々紹介など受けないのが普通らしい。

 ――まあ、主君の為に授業中も隣の席に座ってわざわざ授業を聞く使用人は普通いないからこそ悪目立ちはするだろう。エリーゼが今までそういった存在を頼らなかったと言うのもあって余計に物珍しさを感じてしまうのかもしれない。


「ああ、それと。彼女はもうエリーゼ・リースではございません。私の名を分けた、エリーゼ・マヒーザを今学期より名乗ることになりましたので、何か言いたい方はリース家では無くこの伴侶の私に直接どうぞ。伯爵樣本人にも正式に認められた婚約者ですのでご安心をば……短い間ではありますが、どうぞよろしくお願いしますと他の皆様にお伝え下さっても良いですよ、ご学友」


 教室の内装はどこか高級な映画館を思わせるような雰囲気がある。華美になりすぎず、シックな色合いを携えた空間、ほんの少しだけ段差をつけた座席の並びと固定された長机。使われている材質も相当良いものであろうと、平民ながらに察することは出来た。金糸雀のレリーフが見守る中教科書を片手に、教師の声に集中して耳を傾けたり、それをノートに書き写したり。まるで電脳世界の一部を具現化したかのように、黒板の代わりに魔術で作られたモニターが四つ角に位置する水晶体から出力され形作られていて。教師が刻み付けた文字に釘付けになる者もいた。これがリドミナで受けられる講義かと、先程から感動したものである。


「それにしても質が高い講義ですね…教室でもシステムから何からこんなに整った環境で勉学に励めるなんて、羨ましい限りですよ」

「器と金なら幾らでもあるからな、ここは。他校より環境の点では何歩も先を進んでいる」


 以外にもおとなしく、僕と同じ机で講義の席に着いていたエリーゼは一切ノートを取らない主義らしい。腕を組み、時折欠伸をこぼす様子を見せながらも退屈そうに耳には入れている。農園ではしかとメモを取ってくれていた場面を思い出し、少しにやけてしまいそうになった。学園での講義よりうちの暮らしが興味を惹いたと言うことが分かると、本当に良い花嫁様を誘拐したものだ。

 そうこうして一限も終わり、休憩時間に入ったのが今さっき。席が近い者から飛んだ疑問の声に素直に答えただけだと言うのに、平然と話続ける僕達の間に割り入る勇気はそれ以上無いらしい。聞いてきた方が萎縮してどうすると言うのだろうか。ばつの悪そうに座席に戻った人間の背中から視線を外し、それこそ前々からこの教室で過ごしてましたと主張せんばかりに馴染もうと試している。


「伴侶!?伴侶って言った今あの人……!?やばくない?あのエリーゼと?絶対金目当てよ、嘘っぽいもん」

「あの伯爵樣公認ってことは、フィジィ家はリース家に見限られたってことなのかしら……」

「でも婚約破棄されただか、噂で言ってたじゃない、ああ、やだやだ、今度は何する気なのかしら。私達まで悪者に思われたくないわ」


 代わりにやけに口数が多くなるのは、幾人かの生徒。全く、好き勝手言ってくれてるな、全部僕の耳に入っているぞ。生憎と、彼女に関する話題には地獄耳にならざるを得ない。


「でも、……正直、ヘイリー様よりも色が濃くない?身長も高いしさあ、絶対に優秀な人よ!…あんなに立派な色を持つ婚約者候補がいたなんて、どんなツテがあったのかな。羨ましいわ」

「マヒーザ、どこかで……聞いたことある、ような気もする、」


 …それは恐らく兄さんの名前が載った資料か何かで見たに違いない。自分のことに興味を向けられると安堵する。脳を僕に割く分、エリーゼのことを考えないでほしい。今の僕、はたから見ずとも果てしなく同担拒否の面倒な男に見えそうだ。実際ほぼほぼその通りなので否定はしないけれども。


「………そら。オマエが謎めいた風体でいれば勝手に周りが深読みして近付いて来ないさ、この年頃の輩は大抵男と女が並べばあらぬ妄想をして暇を潰すのが好きなんだろうねぇ。つっかかる気も無い奴は、お茶の時間におかずにして終わるだけだろうよ」

「それでも念には念を、ですよ。通学が許されているうちは、刷り込んでおきませんと。――貴女の傍にいる新しい男は、特に面倒くさい奴だとね」


 ひそひそ、とわざとらしく小声で話し。次の講義の教科書を、彼女の鞄から出していく。ひとまず、このクラスにはネームドにあたる原作キャラクターの存在はいないようだ、見渡した限りその情報が分かっただけでもありがたい。

 経済学と印字された、難解そうで分厚い書物を手に。こんなことまで学べるんですねと感心する。これはオマエに習う箇所もあるかもしれんな、だなんて言葉に瞳が潤みそうだった。

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