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 諸君のこれからに期待している、……結びの言葉としては汎用性の高いそれに対して。高揚したのは誰なのか、恐れたのは誰なのか。時間を割いてまで学園に来たその方々は、礼拝堂から護衛達と共に優雅に此処を後にして。ざわつきながらもその背を見送った者達の中には、憧れの視線で国王を見た者や対抗意識を燃やしてやる気を出そうとする意欲を感じる生徒達もいた。それもそうだろう、尊きお方をこんなに間近で見ただけでなく、今回の教師陣も見れば明らかに今後の勉学の質が上がることに興奮間違い無しだ。貴重な魔法の技術と知識だけでも沸くと言うのに、それに加えて王自らが集めてきたと言う箔が心を揺さぶるにはあまりに強すぎる。

 二学期目の始業の日、教師が何人も辞職し入れ替えられて。異様な始まりを目にして不安を大きくした者も確かにいるだろうが……それ以上の感情を起こす、強烈に記憶に焼き付けられる今の教師陣達を前に。全体の割合としては期待に胸を膨らますことが多いのではないだろうか。

 ざわつく声が広がりつつある礼拝堂、始業の挨拶が終わったことで日常に戻るべく教室に帰ろうと体を立ち上がらせて先に行く者。先程の王からの言葉に後ろめたいものを感じたのか、逃げるように一目散と出て行く者。ぺちゃくちゃと話をしながら塊になって移動する者。驚きはまだ彼等の心に残るものの、そこは始業式代わりの礼拝が終われば生徒の習性として教室に戻ることを優先している。


 僕達はそれを見下ろしながら、段差をひとつひとつ下に向かい降りていく。周りに人が来なかったお陰で混むこともなく悠々と進んでいき、わざとらしい足音まで立てる余裕ですらある程だった。生徒達が勝手に少し道を開けていきつつも、その距離では悪口ひとつも出す勇気が無いのか静かに見守られながら避けられていく。

 人間、何か言いたいことがあってもなかなかたった一人では強気な姿勢を出すことも叶わない。王が来る前に僕が何人か面倒な輩を追い返した姿も見ているのだから、下手に口を出せば目をつけられるのは自分になると多少なりとも植え付けられただろうか。まあ恐らくリースの名もあるからかもしれない、どちらにせよクレーマーの対処なら仕事の上でも行っていること。彼女にまとわりつく埃などさっと振り払えばじきに近寄ることすらしなくなるだろう。


「何とか穏便に行きたいものですね」

「穏便と言う顔ではないな、それは」


 彼女の少し後ろを、召使のように忠実についていく。口汚く表現するなら、今喧嘩売ってくるんじゃないぞと言う感情も撒き散らしながら、である。


 始業日、小休み明けのこの一日目だけは、どの学期であっても午前のみの短縮授業。各講義の時間は一時間を確保し、午前と午後でそれぞれ三枠分の講義を行う仕組みだ。それ以後は自由学習として学園内に残る者もいたり、所謂部活動に近い生徒同士での自主的な活動団体の場として使用されたりする。王立の名だけあって結構な実力を持つ団体ばかりで、文武両道、どの部活においても実力者揃いであるとか。

 エリーゼはどこの団体にも所属しておらず、つまり時間をそう言ったものに取られずにさっと戻れると言うもの。ただ、裏を返せばその分いつも一人であった。しかし孤独と言う言葉を彼女は自分に当て嵌めない、少しずつ彼女を知れた今の僕から見ればエリーゼは孤高の存在だ。一見花火のように一瞬で派手に散りそうな人生観を持っていそうだと思わせておいて、その実物事を長期的に捉えることを是としている性質だ。そうでなければ山奥の農園での作業なども出来るわけが無い。とまあ余計に考え込んでみるものの、終われば一緒にすぐ帰れることに僕が嬉しがっているだけである。

 婚約者で夫で従者で付添人の護衛。肩書きだけなら今は山のようにあるが、彼女の周辺が落ち着いていることが確認出来るまでは全ての顔を利用していきたい。流石に講義中に変なことを宣ってくる勇気のある者もいまい、頼むから僕のこの心配が「考えすぎたか」と安堵して笑うくらいであってくれとも思う。……個人的に、僕から接しに行きたい人間を除けば。

 お手を、と差し伸べたこの掌に。僕より細い手を疑いも無く乗せてくれることが、当たり前だと思ってはいけない。僕が間違えば、きっと彼女はその掌を離していく。盲目は僕だけ、婚約者としての矜持を更に磨かねばならない時が来たのだ。穏便に努めようではないか。

 不穏な視線がたまに混じることよりも、今も彼女を気にかけてくれている存在がこの場にいてくれることの方が、強く感じられた。


 × × ×


「良かった。……心配無さそうで」

「分かりやすすぎて逆に心配だぞあれ。何かあったらカウンター仕掛ける気満々じゃねえかアイツ、」


 山奥に住んでる奴が何であそこまで好戦的かね、なんて呆れ半分で溜め息をつきながらもヒイロの隣を意地でも離れないのは、スオウであった。とんだサプライズが滝のように降り注いだ始業の日、それらの出来事に心を奪われぬまま、ただひとつエリーゼだけを心配していたヒイロと礼拝堂をゆったり歩いて教室に向かうさ中。先日教会前で土くれと同じ色をしていたとはとても思えない、エリーゼの婚約者の様子を遠目にして反対側へと進んでいた。


「……ありがとう、スオウ」

「何が。礼言われるようなことはしてねえよ」

「いいの。わたしがお礼を言いたいだけだから、気にしないで」

「……はいはい。あんまり、自分以外のことは考えすぎるなよ。心配無さそうつったんだから、アレ……エリーゼのことは、アイツに任せるべきだろ」

「うん」


 だってエリーゼ様、本当に幸せそうだもの。今割って入る勇気はわたしには無いわ。

 そう、自分のことのように喜んだヒイロの様子を目にして。この笑顔がまた見られなくなってしまうことだけにはしたくないと心底思う。ただ、その為にはエリーゼのいる空間が必要になってくると考えると複雑なだけ。ヒイロの感じる幸福を犠牲にしてまでエリーゼを排除しようとは、もう思ってはいない。

 二度とヒイロを傷つけられたくない、戻って来た後で巻き込み事故だけは絶対に御免だ。

 あの両名が何かしらやらかしませんようにと念の為に祈り始める。暫くの間は様子見だな、と結論を出して。面倒な恋敵達に出会す前に、ヒイロと共に教室へ入ろうと企てていた。

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