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 カナリア王国、朝の風景。国鳥である金紫鳥が愛らしく鳴き日の出を迎え、徐々に活動を始める民はそれぞれの日常を謳歌する為に動き出す。

 職場に行く者、開業準備をする者、朝は取り分け学園へ通う者の姿も見えることが多い。リドミナ学園へ向かう者は、支給のローブを着用している為よく目に留まる。……今日の生徒達は、普段より少し不安げな表情をしている以外はいつもと全く変わらない。

 ……今日は、休校明けの初日。学園で行われる朝の礼拝で果たして何が起こるのかが心配なのだろう。

 由緒正しき伝統ある王立リドミナ魔術学園が、今回のようなケースで短期とは言え強制的に休校になったのは初めてのことであった。所謂、不祥事、とはとんと縁の無い物だと皆が思っていた。生徒も、教師も、それこそ民の皆も、王立と言う肩書きに誇りと敬意をもって信じていたのだ。しかし蓋を開ければ、教師陣からの箝口令も敷かれ、何があったかも知らないままに休校となった生徒は少なくない。それでも、外への口は命令で閉じたとして、内輪に向けての噂の共有だけは誰にも止められることは無かった。好奇心が騒ぎ出す年代なら、それこそ余計に。

 様々な身分が通うことが許されたこの学園では、人の多さもあり目立つ人間の周囲にはある程度の派閥や集団が出来るということもある。貴族のファンクラブや親衛隊等と言う物から、平民だけのお茶会の集まりまで生まれてはひっそりと人目につかない範囲で楽しむこともあった程。また、そのどれもが平和的なものであった。

 しかし、とりわけ生徒の中でも爵位を持つ貴族は基本的に注目の的にもなりやすく……その中でも、学園での負の一角に留まる伯爵令嬢と言う存在は、嫌でも耳にしてしまう。何故って、皆が話し出すから。


「……な、なあ。何で、あの女が戻って来てるんだよ、」

「知らないわよ!あたしだって今驚いてるんだから…!」


 学園内。 

 初代カナリア女王の聖なる像が、全てを見通すようにして微笑んでいる。ただ、今日だけはどうしても、罪悪感や不安、保身を思案し抱える生徒が多いからか、変わらない像である筈なのにその微笑みが厳しい表情にも見える。リドミナ学園内礼拝堂、祭壇の上に在る聖像が皆の心に対する楔のように存在し、見守っていた。

 休校も明け、いつもと違う二学期の始まりの様子を恐る恐る察しながら書面と共に礼拝堂の席に続々と登校してきた生徒がいる中でも、いち早くにこの場所に到着していた者達に次第に注目が集まってきている。情けなく声を発した生徒や、不穏な空気を纏う生徒がちらりと見上げた後の視線の先。それが一致しているのだ。


「戻って来るとか誰が予想出来たんだよ、」


 血のように赤い色、人を刺し貫くような視線を作り出す瞳。一度眼前に立てば蛇に睨まれた蛙のように、後はその悪行の餌食になるだけだとまで噂されているのは、良い噂しか聞かない伯爵家の唯一の汚点と罵られた者。……学園でも負の一角を形成する悪名高い、エリーゼ・リース。今回の休校の原因となった者だと、断罪に参加した生徒の一部から吹聴されている者。最上級生で、バトラトン侯爵の令息が見初めて編入させた平民の女子に筆舌尽くしがたい無体を何度も働いたと。その生徒が、何故か休校明けのこの場に平然と姿を現したことに驚愕する者は多くいた。


「リースに目つけられた奴が何人いるんだって話だよ、ほんと、権力振り翳すだけの迷惑な奴」

「いや、あの伯爵に限って悪事はしないだろ。絶対騙したんだよ、エリーゼの方が。優しい伯爵様をさ。ヒイロを殺しかけた奴だぞ、身内を騙すくらい普通にやるだろ?何で取っ捕まらないんだろうな……」


 祭壇の四方をぐるりと囲むように配置された座席、全校生徒が着席出来る程の広さがあるここは常であれば礼拝以外に集会等で使用される講堂のようなものだ。上へ行けば行くほど座席がなだらかに高くなる構造、その一番後ろの最上段に、……エリーゼ・リースはいた。その座席の一列を独占し、腕を広げて伸ばし足を組み、随分とくつろいだ雰囲気で全体を見下ろしている。支給のローブも何も無く、好きな衣装だけを着る自分勝手さもそのままで。まるで、これからの出来事全てが楽しい見世物であるかのように、時折不穏な笑みを浮かべていた。

 いつからいたのか分からない、ただ、早めに礼拝堂へ集合した者達によれば初めからいたと。悪行三昧と言われた人間の復帰と言うものがこれ程不愉快だとは、今人生で初めて感じるものもいるだろう。

 ――しかし。彼女の復帰とは別に、もう一つ驚くべき点もあった。


「……なあ、ほんと、あの隣の奴誰なんだよ、」


 戻ってきたエリーゼ・リースは一人では無かったのだ。


 彼女の隣にいる、先程から親しげに話す背の高い青年。それが、身なりも姿勢もきっちりとした様子を見せている。この学園で誰もあんな風に彼女に接することが出来る者はいない。金を積まれたとしてもやりたくは無い。あんな女の為に愛想を振り撒くだなんて真似、何をするよりおぞましいでは無いか。

 彼女の取り巻きも、彼女が断罪されてからすぐに手のひらを返してあれに命令されてやった、と罪を擦り付ける有り様で。今現在、元取り巻き連中は彼女の姿を確認することも出来ないくらい、その存在に緊張してうつむく者がちらほらといる。結局罪を擦り付けても同レベルの愚か者だと言うのに、エリーゼから離れただけでもう許してほしいとのたまうひどさは褒めるべきであろうか。ともかく、彼女の周りに集まるものは彼女を守るためしも無い。婚約者からも婚約を破棄され、休校前に断罪されて逃げ出したと言う噂を聞いた者は、その情報と現在の映像の齟齬をなかなか噛み砕けない。

 あれと仲が良さげに喋る芸当など、考えにくいがあれの友人か、同類か、それとも。


「新しい婚約者かも……」

「ええ?どんだけ軽いんだよ、ヘイリー様から婚約破棄された途端に?新しい男?」

「でも、あいつならやりそうだろ」


 平気で人を踏み躙る真似を、あの女ならやる。彼女の元婚約者だった貴族もあれを嫌がるのも当然だったろうに、許可無しに婚約破棄を行ったとしてリース家から縁を切られ、その件について家から多大な叱りをくらったらしい。確かに、リースの家名は様々な場面で見る名だ。あの家の紋章が刺繍された人間は、公共機関でもよく目にする機会は多い。そのリースから縁を切られたことは確かに掃討の被害だろう、これから受けられたであろう恩恵の全てを断ち切られたのだから。しかし、あの女を嫁に迎えるという想像が大多数にとっては悪い方にしか向かないと思うのだ。家が大切な者も気持ちも分かるが、愛せもしない女と共にいることを時として強要される貴族と言うのは可愛そうだと、元婚約者に対する同情も集まっていて。

 婚約破棄をされて正解の女だ、それがすぐに男を作れるだけのパイプを他にも持っていたと言うことか。ヒイロ・ライラックだけに飽きたらず、あんな女と婚約をしてやったフィジィ家にまで当て付けを行うなど、つくづく彼女の行動は不愉快だ。


「急に休みになるから家での予定もガタガタだし、嫌な奴は戻ってくるしで……何なんだろうなホント」

「嫌な予感しかしないよ、もう…だ、だって、国王様だよ?国王様二人して学園休ませたんだよ……? 怖いしか出なくない?」


 誰のせいだ。誰のせいにすればいいのだ。そんな不安と迷いと、怒りの矛先をぶつけるには分かりやすい対象はそこにいたのだけれど。彼女の真隣にいるその青年と、何故か目が合うのだ。

 ちらりと好奇心で覗いてみた者も、誰彼構わず、彼女を見ようとした者と何故か、目が合うのだ。先程、悪意を 持って近付こうとした者も、すっくと立ち上がった青年の大きさに萎縮して捨て台詞を吐き礼拝堂の席に戻っていくのも見えた。まるであの女を守るようにして間に割り込んでくる姿勢と、向けた視線には必ず目をあわせてくる異常さ。

 見られている。見てくる。悪意を持ってエリーゼを見た者を、あれは必ず見返してくる。遠くから見ていると言うのに、それでも自分だけを見られているような不思議な感覚に陥るのだ。優男の風体をした青年の個性の色は、エリーゼと同じか……それ以上に濃い。

 誰もが今の状況に声を上げられぬまま、彼らは待った。休校明けの朝、いつもと同じ朝礼。けれど、絶対に平穏には終わりそうにない気配だけが礼拝堂を包み込んでいた。

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