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 幾ら反応しすぎても足りないと言う言葉はこういう時に使え、のような実例が身に起こるとは思わないだろう。……と言うのも数回繰り返した気がする。平民なのにお目にかかれなさすぎる事例に出会いすぎているのでは、と。下手すれば目が潰れそうなくらいの後光を持つお方を眼前に、眷属越しの対面以外では初だと言うのにやけに緊張することに意識を割けないのは、見るからに不機嫌になったエリーゼがいるからだ。


「うふふ、待ってたのよ。そのブレスレット、私がエドガー様に渡したの」


 すいっと無視を決め込むように横を通るエリーゼに僕も合わせるが、ぴったりと早さも歩幅も完全に一致させて横についてくるその人もその人だ。足音に体重がきちんと乗っているのだろうか全く歩く音がしない、ふんわりと広がった女王に似合いすぎているスカートをこのペースの早さで踏むことも無く歩く姿に、よもやスカートごと浮遊しているのかと疑いたくなる程に……存在感の大きさとは反対に質量を全く感じさせない不思議な感覚を抱いた。光を一切通さず反射もしない、彼女の眩しさを食いつくしてしまいそうな純粋すぎる黒で塗られたバレッタが、動作と全くあわない髪の動きの優雅さを更に魅せている。


「こ……これはこれは、お話は、か、かねがね、女王様、エリーゼ様のご学友の、」

「子犬。おい、子犬」

「ハハハハ……いや、でもせめてお話くらいは」

「これは無視くらいで丁度いい」


 いやエリーゼ様、その代名詞で呼んでる方、一国の女王です。僕には酷です。流石、その態度の強さに余計惚れるのですが。

 エドガーお義兄様が行き先をはっきり伝えられなかったのも分かる、それより上の女王である彼女が、出会うのに都合がいい場所の近くに設定されたのだろう。お茶会が出来る温室とは、なんとも少女らしさがある。


「やーん。エリーゼちゃん、相変わらずの厳しさね、そう言うところが私に好かれてしまうのよ?わからないかしら?」

「知らんどっか行けクソアマ燃やすぞ」

「大丈夫、燃やされずとも、彼と常に燃える夜を過ごしているわ。勝手に燃えているから」

「わーーーー!!やめません!!?やめませんその貴族ジョーク!?まだ早朝ですよ!!?って言うか何故一国の主がこんな朝っぱらから学園にいらっしゃるんですか女王様!?」

「それは勿論、いろぉんな用事があるからよ」


 エリーゼの反応が露骨すぎる程辛辣で苦笑いしか出来ない。一体この二人、この世界ではいつにどうやって交流を築いたのだろうか純粋に疑問が浮かんでくる。ともかく、初対面は眷属越しであったとは言え、今のこの対面が二度目であると言うことは僕から言わない方がいいのは分かった。……女王様の、直の目が、こちらを見る。その一瞬だけで、心の中の物を勝手に盗まれていくような感覚が、した。

 花園の出口で待っていたこの人は、楽しそうについてくる。何を喋っていいかもわからない状態で、三人で並んで歩くというのはこの上無く奇妙な経験で。六本の足は芝の道から石の道、そして魔石で加工された床へと踏み入った。学園の敷地内で特に巨大な建造物である校舎へ続く廊下の途中、「鬱陶しい」とエリーゼが盛大に溜め息を吐き、仕方なく足を止めた。……彼女をこれ程までに呆れた表情にさせるとは天晴れである、何が天晴れなのかは分からないが。


「ふふ。嬉しいわあ。エリーゼちゃんとこうして間近でゆったり話せるのなんて何年ぶりかしら」

「オマエもオマエで相変わらずヒイロと同じくらいの鬱陶しさだねぇ、」

「だから、そういうところよエリーゼちゃん。「皆が好きな人を嫌う才能」があるから、あなたってば嫌いな輩から好かれちゃうのよ。私みたいな面倒な女王様にね」


 確かに、言い得て妙である。カナリア女王様の言葉はエリーゼの立ち位置を表すにはあまりに当てはまる物だ。ヒイロもそうだが、今のカナリア女王のよつに、エリーゼとは正反対の女の子ばかりから質量ある感情を向けられている現状はとても不思議だ。けれど、言わんとすることは分かる。

 皆に好かれる……いや、ヒイロとカナリア女王様の場合は、皆に「好かれてしまう」性質を持つに等しい。それが常のような形で……所謂主人公、正ヒロインであるヒイロはその性質に対して無自覚ではあるが。女王様の場合は完全に自覚がある上で、敢えて皆から好かれたままでいてやる、というスタンスなのが理解出来ると思う。

 ……そんな彼女達の心の中に、その他大勢には決して当てはまらない、ともすれば劇薬のような存在であるエリーゼが入り込めば。心の中で大きな楔にはなるのでは無いだろうか、少なくとも僕がヒイロの立場なら絶対、忘れられない程鮮烈な人と思うことだろう。悪女と言う立場であっても、彼女をきちんと心に留めておいてくれる人が僕を含めて何人もいることは実感として湧いてくる。

 しかし、こうも矢印を幾つも向けられていることが分かると、地球での流行を思い出す。悪役令嬢物の作品が相当流行っていた時期もあったっけ、いい子の悪役令嬢がヒロイン達を魅了して、男を除いたハーレム状態にする奴だ……エリーゼのこの、悪の枠にいると言うのに善属性から好まれている感じはもう作品で例えるなら主人公格すぎる。

 この方僕の花嫁様なんで。

 僕の!花嫁!なんで!


「少しの間だけでも会えて嬉しいわ。最近は新しい教師を集めるのに大変だったから。ウィドーが」

「ウィドーさんが」


 一秒で苦労が分かる。学園改革は、メインストーリーでは数行で「教師陣もこうして一新された」のように済まされてしまうものだが。そこに至るまでの新人教師とのスケジュールの兼ね合いやら何やらが相当大変そうだと言うのは、この学園の規模を見れば言わずとも伝わってくる。


「私とベニアーロも外交で忙しかったわ。何せ、一番上の存在だから。今はね、新しい教師陣が使っている陸路と海路と空路の最終確認も済んだし、合間を縫って会いに来ただけ。…………後で、私もベニアーロも来て全校生徒に激励するわ。ここの新たな管理者としてね」

「ここの膿を出せたことに感謝くらいしてほしいもんだね、断罪以外に遊びが無いのか疑問な程わらわらと集まってきていたぞ」

「まあその人達全員名前も家も最初から把握してるし、もうリースの名に手すら出せないわよ。皆意気地が無いわよね」


 最愛の末妹が誘拐され、直後に手を回したのは他でもないエドガーお義兄様だと言うことは分かっている。囲って断罪しようとした奴等もとんでもなく馬鹿だなと思う、一番末で好きに生きている彼女は確かに一族からも少し距離を置いた場所で過ごしてはいたが……だからと言って手を出せば、一族の長であるエドガーお義兄様が黙っていないだろうと予想をつけなかったのか。

 エリーゼになら断罪行為をしても見逃してくれるとでも思ったか、それとも……学園の中に、リースより爵位が上の者がいたりするのだろうか。だから何か起こっても何とかしてくれるだろうという無謀な集団心理が生まれたのか?確固たる後ろ盾も無しにやったとはなかなか考えにくい。

 一応この国は五等爵、伯爵より上の爵位となると公爵、侯爵あたりが挙げられるのだが……ここまで考えて、急に記憶の引き出しがこじ開けられる。


 そうだ、ヒイロの才能を見つけ、学園に誘った張本人こそが初期実装メインキャラクターのうちの一人、バトラトン侯爵家の令息だ。


 ……いや、考え過ぎか。これは僕の妄想でしか無い。実際は本当に愚かしく、ただ勢いで断罪行為をしましたと言う結末でもおかしくないのだ。ここは、現実の世界なのだから。それに、バトラトン家がそんな手を使うことも無い、彼もまたヒイロに惹かれている一人なのだから、みすみす嫌われるような真似をすることも無いだろう。

 悪い方ばかりを考えると視界が狭くなる、机上の空論にはまだ早い。まずは落ち着いてからだ。


「顔を見るだけでも安心したわ。皆に通達したとおり、登校時間になれば礼拝堂で予定通りに新しい教師の紹介と新学期の挨拶…………勿論、私達からの説教も長いわ。今のうちに言っておくわね」


 女王様からひしひしと伝わってくるのは、「私の伴侶の名がある管轄をよくも目茶苦茶にしてくれましたね」というこの上ない上品な脅しだ。エリーゼが彼女の贔屓対象で無ければ、ここ二人もまとめて遠慮なく罰せられたのが普通に分かる。


「やかましいぞ伴侶バカめ」

「あら!こんな可愛い護衛のワンちゃん連れてきてるのはどこの誰かしら」

「フン、これはアタクシだけの子犬だ、どこへ連れていこうが何を言われる筋合いも無いね」


 嬉しい……嬉しい……そろそろ大型犬種にランクアップしたいところですけれど嬉しい…。じいんと感動に浸りたいところだが、身体はすぐに別の場所へ行かねばならない。


「あら、一分居すぎたかも。国王って本当に労働時間では人権が無いわ……また後でね、エリーゼちゃん。ノアくん」


 礼拝堂はもう入れるようにしているから、始まるまでうろついててもいいわよ、と。ぴったりエリーゼにくっつくような距離にいたのに、すっと離れて別の方向へ足を向けて別れるカナリア女王様は、公私を一応はしっかりと分けてくれているらしい。

 じゃあね、と。その微笑みで大の男が一気にぶっ倒れそうな程の後光を見せて、霞のように消えていった彼女の後ろ姿に、エリーゼがそれはもう面倒くさいと言う表情を投げていた。


「……あれは昔からああだ、飛び付くのも離れるのも急でな。弄ばれているようで気にくわん」

「いや、まあ、そんなそんな。本当にエリーゼ様のこと、心配してくれているご様子ですよ。……嫌いでしたら、貴女も相手にはしないでしょうに」

「――まあ。あれは、特定の相手だと勝手にこっちの事情を「覗いて」話にかかるからな、……無駄話をしなくて助かるくらいしか利点は無い」


 普通、頭の中を覗かれているなんて知ったらそんな反応で済む筈は無いのだけれど。恐怖もせず、ただ、いらぬ話をしなくて助かる、なんて感覚で接しているから。その接し方を好むだろう女王様に特別に贔屓されているんだろう。

 エリーゼ様、そういうところです。そういうところですよ、本当に。その人が誰にも想われたことが無いであろう感情を、それが当たり前みたいにぽんと放り投げるから、皆貴女を忘れられないのではないでしょうか。


「エリーゼ様、……行きましょうか。よければ、礼拝堂に行く前に、貴女の教室が見たいです。どの席にお座りかはまだ知りませんから」

「ああ、そうしようか。うるさい奴がいなくなると、オマエの音が余計に気に入る」

「光栄です。……ええ、本当に、」


 誰もいない学舎を、二人の影だけが歩いていた。

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