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視界は良好。上空では所々の小さな雲がゆるやかに風と散歩をしている。それを見ている僕の片眼鏡の紐は、これまたお義兄様の計らいの中にあった金色のチェーンに変えられていた。ほんの少しだけ重みが増したそれに、見える物全てがまた輝いてしまいそうだ。
「それじゃあ、行ってきます」
「兄君、……行って参ります」
エリーゼを横に、僕は彼女の荷物が入れられた鞄を持ち念のための上着も腕にかけていた。ぽかぽかと暖まる陽気を見せていながらも、三月を完全に抜けなければ寒さも去っていかない。僕のスーツは厚手だが、エリーゼの今の風貌は少し薄手のパンツルックだった。
赤黒い色でさらりとした手触りのボレロはレース生地が使われている為か少しだけ透けている、その下にある彼女の肌を覆うのは以外にもふわりとした見た目の白いブラウスだ。上半身は少女性、のような雰囲気を纏わせていると言うのに……その下、腰にぴとりとくっつく黒のコルセットが、彼女の扇情的なシルエットを余計に際立たせているようにも見えてしまう。
いつもと違いスカートが強制する優雅さを捨て、その長い両足のかたちを見せるのは赤いズボン。自分の存在を刻み付けるように地面に突き刺す赤いヒールは、僕がここへつれてきたあの時と変わらない。艶やかさと凛々しさを引き連れるような芸当が出来る女性なんて、彼女以外に果たして存在しうるのだろうか…?
鼻の下は、伸ばしてない。大丈夫。
「おう、いってらっしゃい!しかし、いいなーそれ!あんだけ遠くても酔わずに行けそうで安心だよ、はっはっは!」
「兄さん……!」
「そうですね。毎朝泥に顔を突っ込んだような顔のまま引き連れるのも、アタクシの趣味にあいませんで」
「エリーゼ様まで……!もう!もっと上手く使ってみせますから!将来!絶対!」
軽い口の出しあいにも、くすりと笑える余裕がある。肩の余計な力は抜けつつも、しゃんと気品ある姿勢を保ちながら、僕達二人は手首にはめたブレスレットの魔石に魔力を込める。
赤と青を基調にした色彩が兄さんに見送られながら、瞬時に姿を消していた。
「無茶だけはすんなよー!」
山の向こうに語りかけるような声が、後から僕達の耳に響いて。二人の掌はいつの間にか自然と繋がっていた。
× × ×
「ご気分如何ですか?」
「問題無しだ。なかなかに便利だねぇ、こいつは」
「貴女のお義兄様のご協力もありますから」
何だか、乗り物に乗っているような心地だったかもしれない。自分で術を発動させるのとは全く別の感覚、お義兄様が特注品と言っていたから結構な技術が使われているのだろう。
魔道具を使用した所感としては、全く気持ち悪くもなく問題も無し。体に異変も無し、流石は伯爵家が用意したアイテム、便利すぎて恐ろしい。魔石も消耗品であり、耐久力があるから使いすぎれば壊れてしまう物ではあるけれど。これ程の少量の魔力だけで、僕が発動する苦労全部追い越すような仕組みを作れるのだから技術の進歩は凄い。まあ、特注だと言われていたから、これ程の物を多量に作るのは難しいだろう。
別段、悔しい思いなんて生まれてない。トラックで百キロ走るのと裸足の身体ひとつで百キロ走るのとでは、求められる技術と努力の種類も方向も違う。それと同じだ。だがもっともっと移動魔法は上手に使いこなせるようにする、絶対だ、いいな。
「校内図は覚えてきたかい?」
「勿論。時間はありましたから、どこに何があるかは分かりますよ。何せ、学園の要項も全部読みこみましたからね……後は現地で覚える物を拾うくらいです」
「上出来だ」
「ふふ。貴女に案内して頂くなんて労力、使ってほしくありませんから」
……見渡せば、植物が自然ではなく人為的に美しく配置された中。美しい花々や葉は、僕達が動く度にその動作に首を向けてきそうな程、生き生きとした活気を放っていた。
連続した緑色の紋様が刻まれている床の上には、テーブルクロスを纏う白い丸机と、それを挟むようにある可愛らしいデザインの小さな椅子。それが何セットか、離れたところに設置されていて。僕が座ったら全く似合わない、と言うのは見たらすぐ分かるくらい、ファンシーで女の子らしい風景が広がっている。
「……ここ、温室ですか?庭園の」
「ああ。このまだるっこしい装飾は、相も変わらずだな」
温室。僕達はそこに立っていた。とても広いガラス張りの建物の中、遠くを見ればガラスのドアの向こうに更に広い庭のような景色が見える。僕は、早速頭の校内上面図を立体的に想像してみた。
リドミナ魔術学園は、上空から見るととても広い円形の設計である。一番外側を、強固なセキュリティで守られた魔石の壁で囲み、その中で学園生活が行われるのだ。学園内も相当広いことはさることながら、その周りを囲む庭園も、様々な用途に分かれた領域ごとに特色を持つ。
北は、ギルド就職を目指す者達の仮想戦闘領域を含む他技能成長の為の施設に。西は、薬学の為の植物園。東は唯一、庭園内で水槽と名のついた泉もある、特殊な生物が多数生息する場所で。最後の南、こちらは北とは真反対で全てが憩いの広場として使われている。温室は、南の庭園にしか無いと書かれてあった。
……つくづく、学園と言うよりは完全に学園都市に近いような気もする。ああ、前世の記憶の箱をひっくり返して思い出せば、学園内内部も美麗な背景ばかりだった。あれだ、僕の前世の人が好む言い方をすれば、王道学園を更に誇張して遠慮なく領域を広げに広げて過剰にレベルアップしたような感じと言えばわかりやすい。その筋の人達を間違いなく一本釣りするだろうこれは。とりあえず前世の人は僕の心で座っておいて下さいね。
「どこに繋がってるかは教えられていなかったのですが、随分と可愛いところですね」
「確かに早朝から茶をここで嗜む輩はアホ以外に少ないだろうからな」
「人に見られないと言う意味では、いい入口ですね」
そもそも、正規の入口である学園の門を使わずに特別な対処を取って貰っている時点でこれ以上の我儘も言えない。
「……しかし、兄様らしくないな。学園のどこに飛ぶかも言わなかったとは」
「やはりいきなり内部に飛ぶと、セキュリティ上の都合で余計厳しくなるのでは?ギリギリ許せる範囲がここだったのでは」
「まあ、相当慌てさせてしまったのはこちら側だからな、」
かつかつと足音をたて、ガラスのドアを開ければ。美しく揃えられた芝が地面に広がっていて、綺麗に整えられた生垣が道を案内するように配置されている。憩いの場にしているからこそ、曲がった生垣の後ろに人一人入れるスペースに白い椅子とテーブルがあったりして。午後を読書して過ごすには最高だなと、周りを確認しながら進む。
……この生垣、僕より高いぞ。スケールが全部でかい……大きいことはいいことだと思うけど。ああ、いいなあ、緑に囲まれた中で平和に逢瀬をする身分違いの子達とか、ここにいそうな感じもする。それはなんてロマンチックなんだろう。
「実際目にすると、すごく綺麗ですね」
「燃やす燃料としては最適だ」
「ではよく燃えるように僕の水で育てるお手伝いでも」
どこも枯れたり栄養が行き届いていないような箇所も一切無い。これ程の量の植物を、こんなに完璧に生きさせるなんて、と。この環境を維持させる庭師に大きな関心を寄せつつも、その緑の全てを炎に巻くであろう彼女の魅力の方が大きいなと当然の結論に行き着くのであった。
花のアーチで出来た道が見えて来た時、確かこの先に学園内へ繋がる道が開けてくる筈だと少し先に視線を飛ばした、その時だった。
「待っていたわ、エリーゼちゃん。ノアくん」
げっ!!
そんな風に、心底嫌そうな声をエリーゼが上げた真横で。僕と言えば、腰を抜かしてしまうことすらも頭からすっ飛び、その場で棒立ちになってしまう。
ただし、この手は、エリーゼを引き寄せた上で。
太陽ですらしもべにしたかのような、金色の髪。
世界で一番慈しみを持ち、世界で一番恐怖を携える、美しすぎる微笑み。彼女を表すその頭髪全て後ろで束ねるバレッタの色を、僕は直接見ていなくても、知っている。だって、僕は、……この、最強の恋人達を、前世に描いたこともあるぐらいなのだから。
会うのを私、楽しみにしていたのよ!
花のアーチが終わる道、その先で。少女の顔をしたこの国の女王が、全てを見通すその瞳で僕達だけを映していた。
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