6錠
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紺色の頭髪に、紺色の双眸。鏡の中には、ぎこちなさと照れくささを同居させたような顔の僕がいる。
どうだろう。少しは良さそうな男に見えるだろうか。宝石が装飾としてついたクラバットを乱れなく首に巻いた後、セレスティアルブルーのスーツを羽織る。こんなに鏡の前で自分自身の見目を確認するのは、2月20日…あの運命の日以来かもしれない。
――とうとう、来たのだ。エリーゼが王立リドミナ魔術学園に復学する日が。
もう、エリーゼがここに来てから一ヶ月以上も経ったのか。正式に彼女が僕の名前を名乗れる手続きを行ったあの日から更に八日が経過していた。休校期間の終了を告げる書面が届いてからは五日ほど、四月を目前にして肌寒さはほとんどもう無くなった頃合。カシタ農園では非常に平和な時間が流れていた。だからこそ、あまり平和ボケしすぎないように気をつけないと。今日から僕も学園にしばらくは彼女の傍仕えとして護衛に向かうのだから。
身だしなみを整えて気を使うのも当然、第一印象のだいたいは清潔さや身なりで判断される。貴族も平民も入り乱れた学園なら尚更気を使わねば、と平民ながら思うところもあった。豪華な服も何も無い、一張羅でさえとても少ない、そんな中で出来る工夫なんて限られている。
農園生活は基本土汚れは勿論のこと、家畜も飼育しているカシタ農園ではそれらの排泄物の処理や清掃も行う。作物を弄る際の土や泥の付着、家畜と触れあう際に付着する毛やにおい。虫との付き合いも当然ある上に、日夜汗水流して管理や世話に費やすのだ。つまり、決して綺麗で優雅な生活では無い。スローライフと一言で済ませるのはとても楽だろうけれど、スローライフを本気で実行しているからこそ僕は思う、楽して出来ると思い込むな、スローライフを舐めるな、と。
それに加えて体を痛めることもよくある。この山、農園の範囲を更に越えた場所に入るとそこはもう野生の森だ。子供の頃、兄さんと二人だけで山の散策を勝手に行った結果、生息していた猪や熊に追いかけられ泣きわめいた経験がある。だから、飼い慣らされていない獣の恐ろしさも知っているのだ。特に熊は怖すぎて、間一髪無事に逃げられたその夜は夢に見た後ベッドに地図を描くことになった。話が脱線した、ああもう何か恥ずかしくなってきたぞ、色々なことを考えていないと落ち着かないだけなのかな?
ともあれ、様々なやんちゃに耐えられるには動きやすく汚れても大丈夫な作業着が一番。つまり、元から僕達の家には一張羅が極端に少なかったのだ。
「兄さん、これ、似合うかな…?」
「おっ、すごい男前になってるぞ!やっぱり、エドガー殿の見立てはすごいな、会ってまだ全然経ってないのにさ、お前にぴったりの服選んでくれるんだから」
「あはは…いやもう本当に、あんな生意気な口きいたのに申し訳ないくらいだよ…」
美しい色合いのセレスティアルブルーのスーツの下には、ワインレッドのベスト。スーツと同じ色の宝石をつけたとても良い生地のひらひらしたクラバットは、締め付けすぎずに僕の首元におさまっている。…不思議だ、身の丈にあわないだろう根の張る衣服を頂いたと言うのに、服に全く着られていない感じがするのだ。それこそが似合う、ってやつだな!と兄さんが背中を叩いて来る。嬉しい痛みだ。
しばらくの間だけでもいいからせめて彼女の隣に立つのであればもっともらしい服装をしなさい、と。何ともすごいことに、エドガーお義兄様から高級としか言いようが無い服がまとめて郵送されて来たのは二日前。僕の分だけで無く、エリーゼ様の私物も多くまとめてのものだった。流石貴族、お洒落にも精通されている様子で、僕と兄さんに宛てたアクセサリーも数点あったのには慌てたくらいだ。兄さんも、こんな高価な物ばかり頂けませんよ、と急いで連絡していた…兄さんがあんなに動転している姿は久しぶりに見た気がする。それくらい、こういった高価な物には僕達は無縁の暮らしをしていたのだ。
「俺もあの人好きだなー!何だかんだ言って、無理してたの見破られちゃあな、敵わないもんな」
「…うん、すごい、いい人だよ。誤解してた期間がもう僕の黒歴史だもん…」
黙って受け取っておけばいいんです、と兄さんに言ったエドガーお義兄様は、そのまま続けてこう言ったのを覚えている。貴方とてまだ未成年なのですから十分甘えなさいと、話していた。
兄さんは、大黒柱だ。僕も負担を少しでも減らせるように努力をしてはいるが、努力の割合で言えば兄さんの方が圧倒的に上。多方面に渡り、世を生きる術を身に着けているのも兄さんだけれど。それでも、彼もまだ未成年…十九歳で、この山の管理者として努力を続けるにはあまりに背負う荷が重すぎた。それを自覚しながら、兄さんはいつも辛い顔ひとつ見せずに僕を導いてくれていた。だから僕も色々教わって、大人のいなくなったこの広い広い山にたった二人ぼっちで頑張って来て。
向こう側にいたのがエドガーお義兄様と言う大きすぎる存在だったのも、兄さんのプレッシャーになっていたかもしれない。それを感じつつ巻き込まれてくれた兄さんの重荷を、また少し軽くしてくれたのが、その通信でのエドガーお義兄様だったのだ。たった一人で僕とエリーゼに付き添ってくれたことも、僕の行動に嫌がらずにずっと傍にいて支えてくれたことも、今までの生活がとても辛かっただろうということも、その全てで頑張ってきたことを淡々と褒めてくれて。…あそこまで顔が真っ赤になった兄さんも珍しかった。お義兄様は、仕事に関しては凄まじい程の量をこなす人だから。この家で一番努力をしてくれた兄さんの頑張りも、目に見えたのだろう。
「…あと少しだけ、我侭に付き合わせちゃうけど、本当にごめんなさい」
「何言ってんだ、兄弟だろ。そんな些細なこと気にすんなよ、…むしろ、お前に我侭言って貰える方が俺は安心するんだ。昔より随分元気な顔するようになったな~ってさ」
「ありがとう。作業とか、しばらく日中手伝えなくて…」
「もう言いっこなしだって!いいんだよ、むしろ山神がうるさくってさ~!お前が力仕事だいたいやってくれてたから、権能使う必要も無いなって思ってたのご立腹らしくて。だから久々に神の力使え~って言うんだよ。俺が力の使い方忘れてなまっちゃ困るってさ」
山神のお株奪ってたんだから、お前だって十分に頑張ってるよ。兄さんが、僕の姿を見てそう言った。胸の真ん中からあたたまっていく心地がする。
兄さんの契約する大精霊…山神の加護は、山全体の生き物に恵みを与え、外敵からもこの山を守護し撃退する為に働く。山神から見れば、契約者以外の命は大体同列なのかもしれない。同じ山の中に生きるものとして、自然の摂理で先にああ言った弱肉強食の教訓を習うのも普通だ。それら野生の獣達の制御をきかせることが出来るのも山神の契約者だけ、僕らの世代になってからは自然災害等もとんと拝む機会も減ったからか、兄さんの性格のお陰もあるのか、今山神の権能を使える兄さんが管理するカシタ山はとても穏やかでおとなしい気もする。おだやか過ぎると、確かに権能を使う機会も減るだろう。
「俺も、細かい能力の使い方勉強するいい機会だと思うからさ。お前に似せた土人形幾つか作って労力の足しにするわ」
「ひえ…恥ずかしい……」
「だって力仕事してんのお前以外の姿だと落ちつかねえもん」
ほら、今日はエリーゼちゃんの手しっかり引いて行けよ王子様、だなんて。にやついてしまいそうな言葉を貰って、二人分のブレスレットと彼女の荷物をまとめる用意をする。
廊下に出て、エリーゼ様?と呼びかければ。彼女の着替える部屋から「もう終わる」と聞こえてきた。登校時間より少し早い朝の時刻、緊張とは反対の緩やかな空気を感じながら。僕達は、リドミナ学園への出立に少しずつ近付いていたのだった。
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