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「そうか……何というか、君らしくて安心しました」


 安息の日の午後。この教会はいつもヒイロ一人になるらしい、午前にここで礼拝を済ませたら王城へとフレデリカ神父がそのまま礼拝へ向かうからだとか。入れ替わるように彼女の様子を見に来るのがスオウらしく、全くもって微笑ましい。

 壁側にある窓のステンドグラス達が太陽の光の色を変えて通しながら、きらきらと輝いている中で。僕は、僕個人の紹介を交えながらも、ヒイロからリース家との和解の際の様子を熱心に聞いていた。


「なかなか言えないよ、そう言うの目にして全額寄付とか」

「そ、そうですかね……ありがとう、ございます」

「金だけで解決しようとするのもおかしいだろうけどよ」

「スオウ~……!お金のことだけじゃなくてきちんと謝って頂いたって言ってるでしょ……!」

「けっ」


 はっはっは、拗ねるな拗ねるな。結構生意気な様子を見ていると、もしも僕にも弟が出来たらこんな感じだったのかなあとほんのりあたたかい気持ちになる。

 ……ヒイロから聞く限り、和解の場はなかなかに良好な雰囲気の中で平和に終わったそうだ。何でも、リースの使用人では無く姉らしき女の人が一人やってきて交渉をしたそうで。まずは謝罪と今後のリース家の動き、それにあわせて「好きな金額を」と小切手を渡されたらしい。ヒイロは依然として、事件ではなく事故でしたからと慌てて断りはしたものの、せめて少しでも償いになるかたちをとらせてほしいとまっすぐに言われたそうで。

 それなら、とヒイロが取った行動は。彼女にとっては大きめの金額を少しばかり記入して、これを孤児院に寄付して下さいと願ったそうだ。彼女が育ち、フレデリカ神父に引き取られるまでは家であったヒノヒカリへ。


「でも、すごかったです。お渡ししたら、「遠慮しすぎです」って言われて、その場で0が三つも書き足されちゃって……神父もびっくりしてました」

「流石……財力がすごい……」


 でも確かにヒイロなら遠慮がちに書き込むだろうし。十四歳の子供が小切手に書ける金額なんて、幾ら好きに書けと言われてもヒイロなら精々多くて数万ネアリあたりだろう。それに0三つ、と言うことは……一千万ネアリを軽く越す単位……恐ろしいな、リース家。金額はそのままヒノヒカリに寄付されたそうで、それがヒイロの望んだ交渉なら本当にヒイロらしい和解の仕方だと思った。


「……やっぱり、それを聞けて安心しました。エリーゼ様と色々あった君が、そうして終わらせることに同意して貰えたのは僕としてもほっとする。何せ、休校終わったら僕もリドミナにしばらく通いますし」

「えっ、そうなんですか!?」

「そうですよ。むしろ、伯爵令嬢なのに今まで護衛の一人もつけないで通ってたことがおかしいんですから。使用人の代わりとして、しばらくは君達と同じ学園で過ごすことになります。いやあ、君みたいに優しい子がエリーゼ様と同じ学校だと安心しちゃうな~!」


 ……兄さんの話し方を少し真似ると、明るさが滲み出てきて良い。エリーゼの復帰を聞いてぱああと瞳を輝かせるヒイロの真横で、苦虫を噛んだような顔で足を組んでいるスオウの分かりやすさまでばっちり確認出来る。

 とにもかくにもこの反応を見ていれば、僕が直接色々と頼むこともしなくて良さそうだ。彼女はエリーゼとの距離をもうしっかりと把握しているだろう、気持ちも理解せずにパーソナルスペースにずけずけ入り込んだりすることもヒイロなら無い。スオウへの様子を見ていれば、言い過ぎた人間が間近にいればなだめることも出来ている。

 ……僕ももう、リースの兄姉全員から見れば義弟の立場だ。婚姻の手続きを完了した以上、リースとマヒーザはもう肉親。和解の際、変なごたつきが生まれていなかったかが気になってはいたが、全く問題も無かったようだ。


「その人、名前はなんて言ってたの?」

「ニーナさん、とおっしゃいました。その……エリーゼ様と、特に仲が良い姉妹とその人から聞いてます。少し、不思議な雰囲気の方でしたけど……エリーゼ様のこと、心配なさってるんだろうなって、」

「へえ!ありがとう、今度会ったら是非お礼を言わなくちゃ。僕にとってももうお義姉様だしね」

「喜ばしいことですね……ふふ」


 ニーナさん、ニーナ・リースか。当然のように聞いたことの無い名前だ。今のところリースで知っている名が、エドガーお義兄様とニーナお義姉様、それにエリーゼ本人だけか。社交界や内政の役職、その他色んな界隈で活躍している程の人数がいると言うのにまだ全然聞いたことも見たことも無い。住む世界が根本から違うと言うこともあるんだろうが、兄姉全員に会って挨拶出来るのはいつになるやら。


「……あの。ノア、さんは?もう、エリーゼ様と籍はお入れになったんですよね?」

「はい。ですので、今後は彼女も学園ではマヒーザの名を名乗ります。これで、リースに向かう嫌な矛先も少しはこっちの家に来るでしょうし」

「そこまでするなんて、エリーゼ様もきっと幸せだと思います!……あの。だからこそ、……ご兄姉の、一部のことも?」

「知ってます。……歳近い兄姉が、断罪に加わったんでしょう?それに、彼女を捨てた元婚約者の存在もちらりとは」


 大丈夫です、しばらくは一切許さないので。それだけを僕はあっけらかんと笑顔で告げた。


「まあ、やらかした兄姉の方は現状を聞いていますよ。今は外に逃げた方がマシってレベルの折檻を受けてるそうなんで」

「えっ……!?対応されてるとはニーナさんから聞いてましたけど……す、……すごいですね、」

「そりゃあ、お義兄様の許可も無いし、お義兄様の見てないところで勝手に偽装した縁切りの届出なんて認められませんから。リースの家の名を汚したのはそいつらも同じですよ、普通なら勘当か追放されてもおかしくないけど。今回は人格矯正だけで済むみたいですから」


 知っている。エリーゼの断罪に加担した奴等の存在も、それらがエドガーお義兄様の傍仕えのクロエによって強烈な躾をくらっている旨も。……あの傍仕えにやられたら最後、凄まじく摩耗するんだろうなとは。彼等が復学するかどうかは本人達の様子見もあるとのことで、僕もまだ教えて貰ってはいない。もしかしたら学園にすら戻らない可能性もありますよ、とヒイロに伝えれば、ほっと一息ついていた。この子は、エリーゼの為にどこまで心配を広げているのだろうか、優しすぎて心を疲弊してしまわないかが、怖い。


「あ、そうだ。ついでと言ってはなんですが、エリーゼ様の婚約者って、名前と地位はわかります?怒られない程度でいいんで教えてください」

「……待て待て待て待て、アンタそいつに何する気だ!?今の流れで聞かれると、教えたヒイロに損が回ってきそうだろ!?」

「つまりスオウくんから教われば良いというわけなのでは?大丈夫、何かしようとかは思ってませんから。まだ」


 まだ。


「屁理屈かましてんじゃねえよ歳上の癖に……ヘイリー・フィジィって言うエリーゼと同級のクソヤローだ。エリーゼんとこよりは地位も低い。…俺が貴族嫌いで運が良かったな、アンタ。あいつも男が腐ったような奴で気に食わねえんだ、口が軽くならぁ」

「ありがとう、君から教えて貰ったってことはどこにも言わないでおくよ」


 ヘイリー・フィジィ。ヘイリー・フィジィ、ね。アプリじゃ名無しのト書き婚約者だったけれど、名前がついて実際に存在している確信があると、思うところが幾つも出てくる。地位はエリーゼより下、…………の癖に、彼女をキープだとか抜かした男の風上にも置けない野郎か。知ってるんだぞ、うすぼんやりだがおおまかなことは彼女の口から出ていた。

 お前それお義兄様の前で言ってみろ秒で家の全部奪われるぞ。僕も許しはしないが、エリーゼと婚約しておきながらそんな態度を取れる厚顔無恥さは呆れる程だ。しかし、エリーゼと婚約を正式に出来たのが僕である以上、意識をするなと言われる方が無理な話である。


 僕だったら、そんな真似はしない。

 彼女を捨てるような真似は、彼女を見限るような真似は、絶対にしない。

 これは、彼女を誘拐した時、現状を聞いて幾らでも思ったこと。この感情を余計に沸騰させる要因に、その元婚約者が当てはまるのは火を見るより明らかだ。


「色んな方と、学園で会う日を楽しみにしてますよ。……大丈夫、僕はエリーゼ様を一人には決してしません。だから不安な顔をしないでもいいですよ、ヒイロさん」

「えへへ……頼もしいです。エリーゼ様、わたしは戻って頂けるのとても嬉しいんですが。それを、良く思わない人もいっぱいいること知ってますから。だから、貴方のような人が傍にいてくれて良かった。わたしの、……わたしの尊いエリーゼ様を、よろしくお願いします」

「……ありがとうございます。ええ、必ず、そのように」


 大丈夫。もう、孤独にはさせやしない、誰かが彼女に付け入ろうとする隙すら与えやしない。

 その点においては自信が持てるのだ。だって僕は、僕が生涯かけて想ってきたその人を拐うことを成し遂げた男なのだから。彼女の素晴らしさを微塵も理解せずに罵った輩とは、愛を貫く覚悟も何も無しに感嘆に手放すような輩とは、僕は絶対に違う。


「おや、結構長く話し込んでしまいましたかね。そろそろおいとまするとしますか、」

「おう、帰れ帰れ。……あいつが戻ってきても、ヒイロさえ巻き込まなきゃ俺はもうどうでもいい。ま、アンタが頑張ろうが頑張るまいが、他の面倒な男は絡んでくると思うがな」

「あら~!恋人想いなことで。あてられちゃいそうですね」

「アンタなあ!!そのからかい方やめろ!!絶対リドミナですんじゃねえぞ!!わかってんのか!?」


 あら~!二人とも頬が赤いですけれど。まあ、これ以上年下をからかって可愛い可愛い言うのも意地悪が過ぎる。軽く謝って、ようやく軽快に動けるようになった両足ですらりと立った。


「それでは、お二人さんごきげんよう。またこちらで会った時は、色々教えて下さいね。何せ僕は、……伯爵令嬢を花嫁にした以外に取り柄もない、全くもって田舎者でございますので」


 そう言うところがエリーゼと同じで怪しく見えるんだよ、とスオウの文句が聞こえたところで、ふふふと思いきり笑ってしまった。


 × × ×


 さあ、これから学園で何が起こるか。

 ヒイロを慕う者との論争か、はたまた元婚約者とのいざこざか。もしくはメインストーリーよろしく、様々な事件に巻き込まれてしまうのか。

 予想したところで何も無いかもしれない、予想外のことも付きまとうかもしれない。それでも、僕はエリーゼの居場所を確実に学園でも作り直す。邪魔な取り巻きや不穏な者は全部排除して、作り上げる。誰が何をしようと、「作る」のだ。それを確定事項としよう。

 僕は、愛する人と同じで強欲だ。

 この色と同じく、僕の欲深さは深海よりも底に近いところまであるのだから……それに相応しいことをする。ただ、それだけのこと。


 深海に光る炎は、彼女ひとつだけでいい。

 その輝きを鈍らせる物全て、なんとしてでも蹴散らして、彼女の居場所を増やしてみせよう。


 ドロップアウトのその先で、無かった筈の未来がクロスオーバーしていく。誰も見たことが無い過程を作り上げていくのは、今生きている僕達自身だと、改めて明日を紡ぐ覚悟が燃えていた。

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