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 臨時休校のお知らせ、と記載された豪華な装丁の封筒に刻印されていたのは王家の紋章。この国の民なら誰だって見慣れているマークがついたそれを手に取り恐る恐る開きながら中身を取り出せば、数枚の書類が同封されていて。朝焼けが清らかににじんでいく空の下、僕はそれを躊躇なく開封していく。宛先が僕宛では無いところに申し訳無さを感じるが、これから先間違いなく僕も首を突っ込むだろう案件だ。それに、万が一変な物でも入っていたらそれこそ大変なことになると言うもの。


「……一応は予定通りに進んでる感じなんだなあ、」


 ウィドーの他の、もう一人。…こうなることを知っていた僕ではあるが、山奥の家宛にまさか王家の名義でエリーゼ・リース宛の書類が直に送られてくるとは驚いた。書類をぱらぱらと見る限り、本来ならこれらは全ての生徒宛に臨時休校が決定された日に学園で配布された物であるらしい。エリーゼが休学中と言うこともあってかわざわざ綺麗にまとめて郵送してくれたのだろうが、リース邸では無くこちらに向かってくるとは。散々リースの者と顔をあわせたり、あまつさえ女王様と眷属越しではあるが接触してしまった時点で、一部の人間にはエリーゼの居場所など露呈していることは分かっているのだが。不謹慎ながら、いいなあ、なんて思ってしまった。エリーゼがここにいる、ということを、僕の横にいることを既に知っている人間が数人いる。朝っぱらから幸福になるには十分な真実だ。


 冷たい空気にも慣れて目が覚めた、一番乗りの起床時間。木々もまだ眠りを続ける中、日課である郵便受けを覗いた僕は、前世の僕が残していった記憶の箱を慎重にこじあけながら現状を把握していた。

 この書面を見る限り、学園改革に向かって今はあちら側が様々な動きを見せているらしい。やはり、メインストーリーでちらりと描写されたように女王様主体で動いているのだろうか。だとしたら相当早く展開は進んでいくだろう。……メインストーリー、何章あっただろうか。途中のイベントストーリーに関しての記憶もあるにはあるが、正直段々と薄れて来た部分が多すぎる。ある程度覚えていれば、彼女がドロップアウト後のストーリーに混じったとしても危機に対する案が幾らでも練れるだろうに。しかし記憶を取れば、僕が僕である自我が完全に無くなり前世の性格になってしまうだろう。それだけは絶対に嫌だ。僕は僕としてエリーゼを愛することに生きがいを感じているのだから、前世の人格を付随させることは望みでは無い。

 …こうなると、同類のウィドーのことを余計に知りたくなってくる。どう見たって、彼は明らかに僕よりも大人で長く生きている。その分この世界での経験も長いと言うことで、メインストーリーにすらならない前日譚を生き抜いてきた彼は、どうやって色んなことに対策を行ってきたのだろうか。先輩として教わりたいことがこうも沢山出てくると、王都と山の距離の遠さを余計に悔しく感じる。


 学園改革後の流れで思い出せるのは、教師陣の激しい入れ替えと、彼らがヒイロの攻略対象として増えること。改革前よりも他校との交流の機会が増えたり、社会勉強として学園側に来たクエスト依頼を協力して解決したりする場面も多くあった筈。…才能開花素材(慈愛のマトゥエルサートでは解錠素材と呼ばれる)の回収が渋すぎるというユーザーの声に、ぶっ壊れ素材配布率の周回用クエストを常設でやった運営を拝んだなんて記憶も出てきた。忘れよう。

 ヒイロが様々な事件に巻き込まれる確率が高くなるのも、確か改革後であったような。ともあれ、ここから先で一番心配になるのが「エリーゼがいない筈のストーリーにエリーゼが混じる」ことから起きる予想外の事態だろう。既にあの会合より時間も経ち、明日の安息の日で一週間ちょうどだ。明日は先週に比べて、極めて安息らしい安息の日が送れることは分かっているので安心出来るのだが。この六日間でエリーゼの意向も聞けた、リドミナ学園を辞することも彼女はしない。むしろ、エドガーの為に他の兄姉を見張る目的もあると言う。一族一番の問題児でありながら、一族の抑止になろうと言うのだ。僕も、彼女に学園を辞める選択肢は提示したくなかったし、何よりヒイロ・ライラックがいるからこそ彼女は学園に戻るのだろうとも。

 アプリの中では、ただのヒロインと悪役という配役だった。退場を予定されていたからこそ宛がわれた設定を背負ったエリーゼ、主人公だからこそ目をつけられ理不尽な扱いを受ける設定を背負わされたヒイロ。配役という縛りから解き放たれたこの世界で、二人がどのように絆を作ったのかは僕でさえ知らないけれど。悪女とうたわれるエリーゼにそれでも近付くことをやめないヒイロは、彼女の言う通り僕にそっくりなのだろう。僕とは違う形でエリーゼに寄り添おうとする姿勢は、あの安息の日に十分と見せつけられた。彼女は何も企んでいない、ただ本当に、まっすぐにエリーゼを、ちがった形で愛しているだけだ。

 ヒイロは、基本的に企むということが出来ないキャラクター像である。育った環境が教会であり、影響を受けた人間がフレデリカ神父ということもあり、あまりに眩しい言葉と思考を持っているのだ。その眩しさが時に人を救い、時に人を刺す凶器となることを知っていてもなお、ヒイロは自分に降りかかる全ての事象を受け止めて御してしまう。無意識に、救おうとすることをやめられない優しすぎる人間なのだ。それ故、後に聖女と呼ばれ慕われ。あまりの純粋さに辟易して離れていく者も作り出す。

 彼女の傍にいると、救われてしまうのだ。人間の心はなんとも複雑なことに、救済してくれる者を選ぼうとすることがある。救済などいらないと跳ね除ける者もいる。そういった存在が勝手にヒイロに絡んだ挙句、自業自得で救われてしまう。勿論、彼女に救われて幸福を手に入れる者達が攻略対象キャラクター全員であるのだが、理不尽な悪意からヒイロを守るのもまた、彼らであった。


(攻略対象キャラともしも出くわしたらやっぱり大変なことになるよなあ)


 理不尽な悪意、の中に。間違いなくエリーゼも入っている。

 学園に戻る以上そいつらとも絶対に顔を会わせる機会が山ほど増えるだろう、そんな場面でエリーゼを一人きりにすると言うのも不安だ。彼女が絶対に誰にも媚びず心も折らず我を通すことは理解しているし、何かしらの嫌がらせを受けたとしてもねじ伏せるだけの強さを宿していることも知っている。けれど、愛する者としてそんな不安が残る場所にたった一人で行かせて「御無事で」なんて願うだけの男がいてたまるか。願うな、動け。そういった精神の元、何とか復帰後のエリーゼの学園生活に僕も絡めないかと、最近は思案するばかりで。

 スオウくんの態度を見ていれば分かる、彼らはエリーゼを許さない。例え、まかり間違ってエリーゼが善人になってしまったとしてもヒイロを殺しかけた事実を絶対に許さないだろう。…彼らのその決心が揺らがなければ、僕も対峙することを迷わずに選べる分、是非エリーゼに対する嫌悪をずっと貫いてほしいとも思う。

 …最初は、エリーゼのことだけを考えていればそれで幸せだったのに。手を引いて、隣にいてくれて、同じ屋根の下に在って。幸福度の過剰摂取だと言うくらいなのに、まさか、平民の身でありながら攻略対象キャラクターに対峙して彼女を守る為に働くことになりそうだなんて。いいや、守る為に働けることが出来そうだなんて。群衆のうちの影だった筈が、エリーゼの手を取ってから少しずつ、主軸の登場人物達に近付いていく。それは間違いなく、神が、女王様が、僕に定めた運命なのかもしれない。

 エリーゼを守る男としての姿を見せてみろ、と。財力も持たず、権力も持たず、野山で働くことしか知らなかった平民に対してまずは献身を捧げろとでも、天から品定めされているかのような展開だ。


 …正直、エリーゼが一番気を置いているのは、これ以上エドガーに迷惑をかけられないという点が多いだろう。ここ数日学園でのことや親しい兄姉のこともよく話してくれるようになってくれたが、彼女の根底には特に長兄に対する親愛が根強くあることを言わずとも感じ取れた。ヒイロのことを除いても、リースの名誉を少しでも補修する為という思いがあるからこそ彼女はリドミナへと戻る。

 対策が全く無いと言うわけでも無い。ただ、焼け石に水程度の足掻きにしかならないだろうし、正直、……正直、この場面で行ってもよいべきなのだろうか?と悩んでしまうくらい、僕の欲の側面が溢れ出た策でもある。それでも、リースの名を自分のせいでこれ以上傷つけたくない彼女の意向に沿うのであれば、死ぬほど強引だが、ひとつだけ。取れる手はある。


 ああああああもう神様仏様女王様ごめんなさい、

 僕は彼女からもうひとつ、奪おうとしています。今、まさに。”リースという名前”ですら。彼女が欲しいと、彼女を手に入れた証として、なんて愚かで欲に塗れた選択。見せたくないし、見てほしい。僕の隣に立つ彼女を、彼女の隣にいることを許された僕を。彼女を嫌う人間達に、彼女を愛する人間がいることを、知ってほしいだなんて。

 人間の欲は、男の欲は、こうしてどこまでも尽きないものなのだろうか。


 書面を子細までしっかりと読み込んだ後。あと少しだけこの考えを落ち着かせようと、この手は朝食を用意する為の動きに移っていた。いつもより、包丁を持つ手に力が入った朝だった。

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